ついに明治元年 〈其の五〉
幕末、長州の奇兵隊や京都の新撰組など武装グループが数多く組織されたがその最低最弱の集団が、恐らく、否、疑いなくこの彰義隊であろう。元々旗本の子弟等は慶喜が散々扱き下ろしたようなどれもこれも使い物にならない、正真正銘の役立たずだったが、それでも多少マシな連中は清川八郎を暗殺した佐々木只三郎に率いられた見廻組として、新撰組とは比べ物にならないとしてもそれなりに京都で活動した。言わばこの彰義隊は、旗本の中でも選りすぐられたカスのカス、堂々たる本物の残りカスだけが集まったどうしようもない連中なのである。そのメンバーは殆どが二十歳前後の小僧どもで、やる事と言えば官軍に因縁を着けて集団暴行に及ぶだけなのである。官軍には、江戸で私闘をすれば本人は無論親戚一同にまでその罪が及ぶという規律があった為、手出しできないのをいい事に一方的に襲撃するのだから殆ど暴走族、否、それ以下の、フータロー狩りとか称してホームレスを襲う、キレ易い若者と変りないのである。
更に言えば彰義隊が迷惑をかけたのは官軍のみにとどまらず、天野派と渋沢派の対立で随分もめたし、他にも旧幕臣を一人殺している。フランス帰りの洋式軍事指揮官で、その原因と言うのが旗本の御殿様に向かって本格的な戦闘訓練を施したところ、その態度が武士の面目を蔑ろにするものだと言って怨まれたために、その話を聞いた彰義隊が彼を手に掛けたのであった。匍匐前進の為に地面に伏せ、腹這いで行動するとか、命令違反者に対しては尻を蹴り飛ばすなどの行為が旗本の御殿様にとっては耐え難い屈辱であったらしく、彼の洋式軍事訓練は旧幕臣たちの憎悪を集めたのである。戊辰戦争の際に歌われた『薩摩の立ち撃ち長州の寝撃ち』などという行動に比べれば、高がこの程度の事で味方を殺すまでに怨みを抱く旗本と言う貴族階級が如何に戦争には不向きな人種であったかが理解できると思う。フランスと言えば、有名なフランス外人部隊も最近は上官の理不尽な命令に対する訴訟等が増えたため、軍全体の指揮系統が弱体化してその実力の低下が危ぶまれているそうである。兵隊などと言うものは命令とあらばどのように無茶な事でも筋が通らぬような理不尽でも平然と甘んじて受けるくらいでなければ強くはならないものだ。因みに、蹴りを主体としたフランスの格闘技サバットは、元々仏軍の士官が兵士の尻を蹴り飛ばした事がルーツであると言われ、もしかしたらこの殺された幕臣が生きながらえたら、日本初のサバットの習得者となったかもしれない__という可能性は限りなく0に近くはあろうが。
その彰義隊が江戸にわいた為に官軍としてはほとほと手を焼いている最中だった。しかし、江戸市民はこの彰義隊に声援を送り、言わばアイドルであった。江戸庶民は官軍嫌いである。官軍は京都を振り出しに各地で熱狂的な歓迎を受けたものの、流石に徳川将軍のお膝元である江戸ではそうは行かなかったが、これには理由が幾つかある。一つには、慶喜が前将軍として江戸に戻った途端にそれまで庶民の家計を圧迫していた米価が6分の1にまで値を下げた為、徳川家に対する信仰のようなものが未だに生きていると言う事であろう。もう一つには、首都である江戸の殷賑が京都に奪われるのではないかと言う不安。現にこの後天皇が江戸に動座すると江戸の市民は掌を取って返したように歓迎したが、それが素朴な庶民の感情と言うものであって、なんら罪は無い。江戸を盛り立ててくれるのなら、徳川家が天皇陛下にすげ代わった所でどうと言う事もないのである。
江戸の市民に後押しされた彰義隊は得意になって官軍を挑発している。官軍といっても薩長土だけではない。寧ろ、その大部分を占めるのはそれ以外の、ついこの間まで日和見か幕府に付いていた大名の家臣の侍で、その中には譜代大名まであったから、戦意などは殆ど無いに等しかった。彰義隊が狙ったのはこういった顔見せ程度の連中だったのである。
その、彰義隊の面々が今、猛と隼人の目の前に立って居た。全部で五人、何れも二十歳前後の若造である。
「どないする?」
猛は隼人の方に顔を見合わせた。隼人は憮然とした表情でこれを眺めている。
「貴様等、錦切れが?」
官軍は錦の布切れを身に着けて身分を現す目印としていた為、彰義隊ではこれを錦切れと呼んでいた。当然猛と隼人もこれを付けていた。
「ガキどもだ、相手にする事も無い」
隼人が肩を竦めながら言った。
「答えろ、錦切れか?!」
いきり立つ相手を前に、隼人が睨みを効かせて答えた。
「我々は、畏れ多くも天子様に御仕えして国事に身を呈する親兵である。下賎の者、謹んで畏まるが良い」
「貴様!」
仮にも、前時代には御直参とか呼ばれた下級貴族である。隼人の権高な、というより無礼千万な物言いに辛抱の効かない若者は血相を変えて怒り狂った。
「今、江戸は大変立て込んでおる。みだりに市中をうろつくのは公務の妨げゆえ、自宅で静まって居れ!」
「己、下郎!」
「貴様、我等が彰義隊と知っての狼藉か?!」
隼人はがなり立てる少年隊を前に、軽蔑したように鼻を鳴らした。猛が呆れて肩を竦めた。
「貴様等が市中を荒らし回っては得意になって居ると言う、吹けば飛ぶよな彰義隊とやらか。意外と可愛らしい連中ではないか」
「無礼者、口を謹まんか!」
落ち着き払った二人に気圧されてはいるものの、虚勢を張って声を荒げる彰義隊だった。
「我等は天下の直参なるぞ。貴様等下賎の者どもとは違うのだ、控え居ろう!」
とは言え、この彰義隊を率いている二人、天野八郎と渋沢成一郎も元は百姓なのである。江戸幕府が瓦解したこの期に及んで、時代錯誤とも言うべきこの言い草に、隼人だけではなく猛も凄みを利かせてニヤリと笑った。
「なるほどのう」
猛が相手に聞こえよがしに言った。
「天下の直参がこないな体たらくでは、慶喜さんが政権を天子様に返上するのも無理無いわ」
「貴様!」
無分別な小僧どもが、今にも抜きかかりそうな物腰で叫んだ。
「慶喜自慢の幕府歩兵も江戸の町人集めて作りよったそうやし、新撰賊の近藤やら土方も武州在の百姓やからな」
「己、公方様を呼び捨てとは、最早容赦ならん!」
彰義隊が大義名分に掲げているのは徳川慶喜の護衛であるが、肝心の慶喜自身が水戸に謹慎し、官軍に恭順を表明しているのである。彼等の行動は慶喜の意思とは完全に矛盾しているではないか。要するに、幕府が瓦解して今まで支給されていた俸給が停止されると恐れた連中が、訳も判らず寄り集まって騒ぎ立てているだけなのである。
「官賊、誅を加えてくれる!」
「まあまあ__」
刀の柄に手をかけた彰義隊に、猛が両手を広げて近付いた。
その瞬間。
素早く一人の懐に入り込むと柳生心眼流の当て身を食らわせた。更に今一人、何が起こったのか判らず混乱している彰義隊を当て落として突き飛ばし、残り三人にぶつけた。その刹那、素早く竹光を引き抜いてもう一人こめかみを打って気絶させた。
刀を抜く間も与えられず、三人やられた残り二人の彰義隊は、呆然として猛と隼人を見返していた。
「ボク、早うお帰り__」
そう言うと共に懐からコルトドラグーンを取り出して、彰義隊に銃口を向けた猛だった。
彰義隊の少年たちは倒れた仲間を置いたまま、真っ青になって逃げ出した。
「悪いのう、俺一人で片付けてしもうて」
「何、相手は子供だ。斬って捨てるのも哀れだろう」
倒れた彰義隊の不良少年をほったらかしにして、二人はその場を立ち去った。
しかし、それ以外の官兵はこの二人のような訳には行かず、頭に血が昇った青少年達の“理由無き反抗”に反撃も許されず、官軍の被害は日に日に増えていった。若気の至りというか、何かにつけてやる事が無軌道で無分別な連中で、彼等は上野の寛永寺を根城にし、今や江戸では恐いものなしであった。佐賀の江藤新平などはこのままでは官軍は江戸で滅びるとまで危機感を募らせたほどであった。が、遂にその黄金の日々にも終末がやって来たのである。