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未だ慶応三年 〈其の三〉

三月十日には、伊東甲子太郎がかねてからの予定通り、とうとう同志数名を語らって新撰組からの脱退を近藤に正式に申し出た。組織の名は『御陵(ごりょう)衛士(えじ)』。新撰組からすれば、真正面から面子を潰されたような格好である。

新撰組の面々は益々神経過敏になっていた。

「卒辞ながら、何処の御家中にあられるか」

洛中の往来で猛と隼人に威圧的な態度で声を掛けて来たの二人組は、目に立つデザインの外套から一目で判る、新撰組隊士であった。

「おい__」

猛は隼人に目配せした。

“どないする?”

猛の恍けた目線に隼人は不敵な笑みを持って答えた。

新撰組と事を構えるのは余程の事が無い限り謹むのが賢明、というよりは当然の行動なのである。何せ相手は名高き殺戮集団であり、譬えその場で追い散らしても後で必ず人数を揃えて復讐に来るのだから、始末に負えない。要するに面子を立てるのが彼等の稼業で、その規範は完全にヤクザそのものである。下手に彼等と事を起こせば後々京都偵察方の仕事に支障をきたす為、出来るだけ遠慮して来たのだがこうなった以上は仕方が無い。普通なら、目を逸らしてやり過ごせば如何に新撰組でも絡んでくる事は滅多に無いのだが、伊東一派の脱退で組織内も殺伐としており、すれ違いかけた猛と隼人に因縁を付けたのである。

「我等は何れの家中にも属さん__」

隼人は誇らしげに言い放った。

「我等が主と仰ぎたるは天子のみ、左様、心得るが良い!」

その一言で新撰組の顔色が変った。完全な宣戦布告である。

「どうした?」

通りの向こう側から、別の新撰組隊士が二人、声を掛けて来た。市中巡察の最中だったのだろう。新撰組は必ず二人以上の班を作って行動する。事に及んだ時には必ず相手を仕留めねば成らないからである。兎も角相手よりも多い人数を繰り出し、押し込んで殺す。新撰組が浪士達から怖れられるのはその為だった。卑怯も卑劣も無かった。殺す事が任務、目的の為には手段は選ばず、そんな糞リアリズムの集団がこの新撰組なのである。実戦は綺麗事ではない。竹刀では弱いが実戦では抜群に強かったと言われるこの浪人結社の首魁、近藤勇の斬り合いを目撃した古老の話によれば、時代劇のような華麗な剣戟などとは程遠い、残忍な物であったと言う。怪力の近藤が、細身の小柄な志士と鍔迫り合いを行い、力任せに押さえ込んで肩口に愛刀(偽)虎徹を押し付け、鋸のように擦り切って惨殺したと言う。実戦とは綺麗事ではない。この位やらねば勝ち残ってはいけないのが凄惨な真剣勝負なのである。

「手を貸してくれ、こやつ等、浮浪の者じゃ!」

どうやら彼等は元々四人で市中を巡回していた所に、更に二手に分かれて見回っていたらしい。隊長クラスは居ないようであった。

「あーあ__」

猛がしょうがない、と言わんばかりの溜息をついた。

「どないすんねん」

「丁度良いではないか。肝付殿の仇討ちだ」

最早覚悟を据えてはいたが、隼人の大口に流石の猛も呆れる想いだった。通りの前後から二名づつ、挟み撃ちにするような格好で迫って来る新撰組に猛が向きを変え、二人は背中合わせで相対した。

「どうする、1号?」

隼人が嬉しそうな、やや緊張したような声音で猛に言った。

「このまま逃げられそうも無いぜ」

「判った、判ったわ__」

確かに、ここまで来たら最早何事も無く収まりそうも無い。猛も丹田に気合いを込めつつ後ろを振り返り、目の前に迫って来る新撰組に油断なく視線を、一箇所に固定する事無く向けていた。

最初に声をかけて来た新撰組の二人は、刀の柄に手を掛けてジリジリと迫って来る。隼人も愛刀清麿の鯉口を寛げていつでも抜ける体勢であった。向うから来る新手の二人に対して、猛も一応腰に差した柄に手を置いているが、果たして竹光でこの場を切り抜けられるかどうかは甚だ疑問だった。因みに猛の差しているのは太刀の方は竹光だが、小柄は真剣である。江戸初期の名人、針ヶ谷夕雲は矢鱈と斬りあっても刃が欠けるからと言って刃引きの太刀と、自決用に脇差だけは抜き身を仕込んでいたそうである。

左右から押し込むように迫って来る新撰組は敵を挟んで向こう側の仲間に、目配せで合図を送っている。猛達は背中合わせだが、互いの呼吸は心得ている。左右どちらもまだ間合いに入ってはいない。隼人と相対した、最初に声をかけた方の二人組は一歩踏み出せば間合いに入る位置にまで来ると立ち止まり、それ以上迂闊には近付いて来ない。隼人の動きを注視しながら、まるで相手を逃がさぬよう守りを固めるが如く、息を詰めてそこに立ちはだかっていた。向うから来る隊士と連係して、一気に勝負を付けようと言う魂胆らしい。流石は新撰組と言うべきか、事に臨んでも泡を食って浮き足立つような事はせず、確実に相手を仕留めるべく機会を窺っているらしい。恐らく実戦の場数も相当に踏んでいるに違いない。油断すれば命取りである。

彼等からかなりの距離を置いて京の町衆が事の成り行きを見守っている。こう言った光景は日常茶飯事なのだろう、取り立てて大騒ぎする事も無いが、係わり合いを怖れて遠巻きに見守っていた。

猛の目の前に迫って来た新撰組が、まだかなりの距離を置いているにも拘わらず、そこで足を止めた。どうやら迂闊に近付いて取り逃がす事を警戒しているらしい。距離にして3m強。通り一杯に、左右に分かれるような位置に立ち止まっていた。

辺り一面に物凄い緊張が漲っている。

猛が、不意に柄から手を離した。新撰組の二人は不可解な色を見せた。しかし、猛がその手を懐に入れると、一気に緊張が高まった。猛の袂で硬く響いた、チャキッ、と言う撃鉄を引き起こす音に隼人も耳聡く反応し、全身に気合いを込めた。当然、隼人を見据える新撰組もその気に反応した。しかし、隼人が仕掛けて来ないので手出しを躊躇った。隼人もまた、次の成り行きを事前に予想して手を出す事無く待っている。

それでも、懐に手を入れただけで、一呼吸置くように猛は動きを止めた。新撰組も抜かりは無い。猛が袂から何かを__恐らく手裏剣か何かを想像しているのだろう__取り出した時にはすぐに斬り掛かれるように目を据えていた。再び猛が手を抜くと、反射的に彼等も間合いを詰めながら抜刀した。抜いた瞬間、そのまま躊躇わずに斬り付けていれば猛も撃てたかどうかは判らなかった。だが、猛が懐から取り出したドラグーンを目にすると彼等の顔に顕かな、滑稽なくらい大袈裟な狼狽が走った。猛は間髪入れずに引き金を引いた。

まさか、浮浪の士が短筒などを懐に忍ばせているとは夢にも思わなかったのであろう。相手が長州の密偵ならば考えられる事だったが、現実に目の前に出てくると一瞬思考力が停止してしまうらしい。鈍色の竜騎兵が咆哮し、鋼鉄の口から火を吹いた。新撰組の片割れが仰け反るように吹っ飛んだ。その銃声を合図に隼人の清麿が鞘走り、抜き胴のように鮮やかな手並みで真一文字に一閃した。相手は猛の発砲音に度肝を抜かれ、棒立ちになった所に胴薙ぎが決まったのだ。

野次馬たちが悲鳴を上げてざわめいた。

辺り一面に火薬の刺激的な臭気と、濛々たる煙が立ち込めた。一瞬にして二人を倒された新撰組の隊士二名は、信じられないような形相で取り残されたようにそこに立ち尽くしていた。これで完全に形勢逆転である。人数的には互角だが、瞬く間に二人をやられて新撰組の方は完全に気後れしている。やられた二人はまだ息があるらしく転がってうめいていたが、残った二人は手負いの仲間を気遣う余裕も無かった。

猛が親指で今一度、撃鉄を引き起こすと胴輪が威圧的な金属音を立てて動いた。この頃の拳銃は当然シングルアクションで、一発撃つ毎に撃鉄を引き起こさねば成らない。猛と対峙した新撰組は、憎悪の篭った目で煙を吐いた銃口を睨み付けながら、刀を構えたまま見えない壁に阻まれたようにそこに立ち往生していたが、とうとう耐え切れなくなったらしく猛然と撃ちかかって来た。恐怖が限界点を超えたらしく、まさしく捨て身の一撃である。しかし、猛は軽くかわすと懐に飛び込んで銃の台尻を振り下ろして、小手を強烈に痛打した。手の骨が砕けた事は間違いない。その際、思わず引き金が動いたようで、ドラグーンが暴発するように火を噴いた。その銃声を合図に隼人も跳び込んで再び一太刀を加えたが、流石は新撰組である。驚いたものの同じ轍は踏まぬとばかりに、辛くもこれを受け止めると鼓膜を突き刺すような金属音と刺激的な火花が散った。

「ぐおおお__」

今また濃厚にきな臭い硝煙が立ち込める中で、手首を一撃されてうめく相手のこめかみに猛が再びグリップの底を横殴りに叩き込んだ。重量1,8kgの鋼鉄の拳銃で急所の太陽穴を、思わず手加減抜きで打ち抜いてしまったのだから、もしかしたら即死したかも知れない。如何に44口径とは言えこの当事の管打式の旧式拳銃である、急所でも射貫かねば一撃必殺は無理だった。下手をすれば銃弾に当たるよりこちらの方が殺傷力がある。

猛が振り向くと、隼人は新撰組と鍔迫り合いの真っ最中。猛は今一度撃鉄を引き起こし、隼人に当たらぬよう新撰組の頭の後ろを通過するように狙いをつけて発射した。それ程のガンマンでもない猛だが、この距離でこの位の大雑把な狙いなら付けられる。通過するだけで弾道に衝撃波を生み出すマグナムには遥かに及ばないが、発砲の轟音と弾丸の通過する風圧に一瞬、新撰組の集中力が解けた。そこを逃さず隼人が押し込むと新撰組は尻餅をついた。

「逃げるど!」

言うが早いか猛は駆け出した。

「待て__」

隼人もあたふたと後を追いかけたが、その足取りに迷いは無い。今一人の敵にとどめを加えられないのは残念だが、ぼやぼやしていると今の銃声を聞きつけた新撰組が集まってくるかも知れない。彼もこのまま遁走するに如かずと言う事位承知している。行く先は薩摩藩邸である。

「これで、京で密偵は出来んようになってもうたな__」

「致し方ない、新撰賊にツラを憶えられてはな」

他にも密偵は居る事だし、長州の方には何とでも報告できる。隼人は新撰組と事を構えるのを遠慮せねばならないこの偵察方の仕事に嫌気が差していたし、正直猛も辞めたくなっていた所である。元々密偵と言うのは、その他大勢で噂話やちょっとした町衆の雰囲気の変化を目敏く観察して報告する仕事だった為、会津や新撰組と渡り合うべく京都に乗り込んできた隼人としては最早限界に来ていたのであった。無論、猛も同感であった。



四月十四日、とうとう高杉晋作が二十八年の太く短い生涯を終えた。

「面白き事も無き世を面白く__」

これが辞世の句である。

この句の通りの人生を全うした、野放図で型破りな生涯だった。


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