時に文久三年 〈其の三〉
猛の長屋に居座って約一ヶ月、愛刀清麿にタンポで打ち粉をまぶしていた隼人の元にショッキングな事件が伝わって来た。この打ち粉に使われているトクサという植物は四億年も前から生息する、所謂生きた化石なのだが無論隼人が知る由も無い事である。
「清川殿が__」
その話を聞いたとき、隼人は声を詰まらせたが、すぐに気を取り直して歯を噛んでみせた。出羽浪人清川八郎が暗殺されたと言うのである。四月十三日の事だ。
「何や、知り合いやったんか」
猛もその名前は聞いていた。
清川八郎__幕末の、所謂志士と呼ばれる活動家の中の、比較的初期の人物である。数々の反幕的言動と人目を欹てる奔放な才気の為、数多くの人間から尊敬と憎悪を受けた難解な策動家で、ある種奇人伝中の人物と言って良く様々な逸話を残しているが、その際たるものがかの有名な新撰組結成のきっかけを作った事であろう。反幕活動家の清川が、不思議な事に幕府の重役に献策して江戸周辺の浪人を集め、京を騒擾する、所謂“浮浪”を鎮圧すべしと持ちかけたのである。一行が京に到着したのが二月二十三日、奇しくも隼人たちが足利将軍の木像の首を三条河原に梟した当日である。所が京に着くや否や清川は態度を一変させ、我々は幕府には従わない、独自に活動して天子様を奉戴し、攘夷の先駆けとなる、と言うのである。幕閣は仰天したであろう。有体に言ってしまえば清川に騙されたのである。慌てた幕閣一同は清川を呼び返した。無論只帰って来い等とは言う筈が無い。前年の生麦事件の影響で、開港場の外国船に不穏な動きがある為、急ぎ江戸に戻れとの事だった。それも幕府の命令など聞く訳が無いから、関白を通じて勅命と言う形式で指示したのである。念願の朝廷直属の近衛隊結成を成功させ有頂天になっていたのか清川ほどの男が、信じられぬほどの他愛無さで簡単に引っかかったのである。この頃すでにこの希代の奔走家の命運も尽きていたのかも知れない。と言うより、全て自分の思い通りに事が運んだ為に、用心深さを忘れていたのであろう。江戸に戻った清川を暗殺したのは後の見廻組組頭佐々木唯三郎である。暗殺の手口も極めてオーソドックスな方法で、標的を呼びつけて酒を飲ませて強かに酔わせ、佐々木が正面から声を掛けつつ編み笠を脱いだ為、清川も思わず笠の紐に手を掛け、手の塞がった所を後から斬り付けたのである。この策謀家もやる事為す事全てが雑になって来ていたのであろう。
「清川殿は国士だった」
隼人は瞑目しながら在りし日の清川をしのんだ。気力体力知力全てに優れ、剣は北辰一刀流の名人で、只の竹刀屋ではなく真剣でも強く、その言説は鋭く、如何なる論客でも議論で彼を説き伏せる事は出来なかった。それだけに彼に心酔する者も居れば、言い負かされて恨みが深く残り、心に生傷ができる者も少なからずあった。同じ佐々木でも隼人は前者であり、後者は唯三郎だった。彼は口でも道場でも散々清川に痛め付けられ、その恨みからある種卑劣とも言うべき方法で憎き敵を殺害したのであろう。無論、隼人にはそこまで判らなかったが。
「志半ばにして倒れた事はさぞや無念であったろうが」
それが志士だ、と隼人は感嘆した。畳の上では死ねぬ、国事に倒れてその最後を飾るのが志士たる者の本懐であろう。隼人は、その最後に己を重ね合わせ、志士の生き様をその胸に刻み込むのだった。猛はそんな隼人を怪訝そうに窺っていた。
清川は死んだが、彼は途方も無い置き土産を京都に残してくれた。