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いよいよ慶応二年 〈其の六〉


勝海舟が、この戦役に於ける長州軍の司令官大村益次郎がかつて幕府講武所に勤務していた村田蔵六であると知り、この男が居るのでは幕軍に勝算は無い、と大袈裟すぎる評価を下したが、実は彼の言いたかった事はもっと深い所に在るのではないか。確かに村田蔵六こと大村益次郎の軍事研究家としての能力は高いものがあったが、それだけで実戦の指揮官としての能力までは判らない。勝は大村と直接会った訳ではなく、その翻訳した西洋式兵学書に目を通しただけで、幾ら何でもそこまで見抜く事は無理だっただろう。否、もっと端的に言えば、どんなにその能力が優れていてもそれが発揮されねば意味は無いのである。実は勝の本音は別の所に有り、大村が全軍の司令官に就任した事を指しての発言ではないかと思われるのである。嘗て咸臨丸でアメリカをその目で見た勝海舟は、かの国の国家体制、即ち民主主義というものを理想の国として絶賛した事があるが、要するに能力さえあれば身分を問わず一軍を指揮する将として取り立てる長州の革新的な姿勢を評価したのではあるまいか。勝の本心を言えば、この異能の軍略家が元百姓出身であった事に注目していたのではないかと思うのである。確かに村田に関しては長州よりも幕府の方が先に目をつけ、幕臣身分に取り立てて雇い入れたものの、所詮翻訳官、軍事知識の教官としての扱いでしかなかった。それが、百姓出身の大村を一軍一藩の統帥権を掌握する地位にまで就かしめた長州側の思い切った起用に、勝は恐らく脅威と同時に痛快感を覚えたに違いない。奇兵隊のような一種の独立予備隊の兵士ならまだしも、藩譜代の御歴々までも大村の命令に従うと言った破格の人事である。この思い切った登用にこそ長州の、潜在的な理想が隠されていたのである。長州藩内でさえ保守派の力は根深いものが有り、ここまで至るには紆余曲折あったのだが、遂に彼等は士農工商といった、江戸幕府の存在理由とさえ言える身分制度の解体に着手して、まず藩内における階級闘争に勝利したのである。

「連隊、進めエー!」

戦場に、頭から響くように甲高い大村益次郎の奇声が高々と響いた。彼は只の作戦参謀としてではなく、戦場で直接指揮を取り、石見国浜田で幕兵を蹴散らしていた。その中に猛と隼人の姿も混じっていた。他国人の彼等は本来なら別の隊に入る所だが、猛が適塾の先輩後輩と言う関係から、大村直属の隊に編成されたのである。

「おお、見てみい、幕軍が逃げよるぞ!」

大村の巧みな指揮の元、長州軍は旧式装備の幕府軍を苦もなく蹴散らして行く。しかも、大村の命令通りに作戦を遂行すれば自軍には殆ど被害が出ず、元々士気の低い所に持ってきて種子島型の火縄銃に甲冑刀槍と言った古道具で身を固めた幕軍は殆ど抵抗らしい抵抗さえせず退却するのであった。長州側の火器も決して最新装備ではなく、主力はミニエー銃と呼ばれる一世代前の小銃だが、百年単位の時代を生き延びた貴重な骨董品相手では当然の事ながら問題にならない。一世()()前の兵器と一時()()前の武具では性能に雲泥の差が有った。これについて幕府軍副将であった老中本荘秀宗は幕軍はゲベール銃僅少に対し、長州側は殆どがゲベールで武装している、と報告書に記載しているが、これなどは恐らく兵器に関する知識の不足による誤報と言えるであろう。本荘はミニエー銃の存在を知らなかったのだろうか。このゲベールという銃は銃身(バレル)施条(ライフル)が為されておらず、射程距離が短い上に装填に手間取る旧式小銃で実用性から言えば火縄銃と五十歩百歩と言った所なのだ。確かにゲベール銃とミニエー銃は両方とも銃身が長く、遠目には余り差が無いように見える。しかし、もしミニエー銃の事を知っておれば仮に見た目が似ているとしても、戦場に於ける火力性能の歴然とした違いから自ずから察しはつくであろう。矢張り、兵器情報に疎い人物であったと思わざるを得ないのである。幕府の命運を賭けたこの一戦に、この程度の人物を登用したあたり、幕府側の危機感の欠如が如実に見て取れるではないか。大将にならば実力よりも全軍をまとめる為の象徴的な人物を置くのはしょうがないとして、せめてそれならば補佐役は実務能力の優れた人物を用いるのが配慮というものであろう。兵装の違いに加え、こう言った雑な人事にも勝の言いたかった意味が見て取れると思われるのである。

「これや、これやがな!」

新型火器で武装した百姓町人が、古式ゆかしい甲冑で身を固めた鎧武者を苦も無く追い散らす。これぞ猛が夢見た新時代の合戦の真髄である。銃身の長いミニエー銃を手に、猛が珍しく興奮しながら逃走する幕軍を威嚇するように発砲していた。因みにこのミニエー銃は先端にバヨネットを装着できるタイプの歩兵銃で、後に帝国陸軍練兵の必須教科となった銃剣術の、恐らく原点であろう。更に言えば、大戦中の日本の狂気を絵画的に表現するに当たって枕詞のように引き合いに出される、悪名高き竹槍の忌まわしきルーツもここに有るのではないか。

「よさぬか、相手は退却中だ。背中を狙うのは作法に反する」

浮かれてはしゃぎ回る猛を、苦い顔で隼人が嗜めた。

「ああ、そやそや。せやけど心配すな。当てへんて、ビビらしとるだけやがな」

「そう言う事を言っているのではない」

この圧倒的な勝利にも拘わらずどうも隼人は機嫌が良く無さそうだった。

「あいつ等アホやなあ。今時戦争やるのにあんな古臭い物の具ぶら下げて、勝てる思うてんねやろか。おまけに、長沼流か上杉流か知らんけど大層な馬印ブッ立てて、何考えとるんやろ」

猛は上機嫌であった。何と言っても長州軍の歩兵部隊が手にした洋式小火器が古式ゆかしい鎧武者を苦も無く追い散らして行くのである。蘭学者崩れの猛にしてみれば最高に気色の良い光景だったが隼人にとっては複雑な心境である。

「全く__」

忌々しげに隼人は呟いた。

「あれが旗本八万騎の姿か。幕府を守るべき直参があんな連中ばかりでは夷荻に脅されて開国するのも仕方無いわい」

幕府軍の不甲斐無さをなじりながら苦り切った顔で隼人が言った。

「まあ、そう言うな」

猛は他意の無い、明るい表情で答えた。

「あいつ等の持っとった得物見てみい。あないなモン持たされてこんなとこに連れて来られた方こそ災難やがな。気の毒な連中やで、あいつ等も」

猛にしてみれば極自然に、事実を述べただけなのだが隼人にとっては益々神経を逆撫でするような言葉だった。苦り切った顔で猛を一睨みすると、手にしたミニエー銃にも言い知れぬ想いの篭った目を向けて、隼人は足早に陣地の方に引き上げていった。

白兵戦では殆ど長州軍の圧勝に近かったが、砲撃戦となると幕府軍の方にやや分が有ったようだ。フランス政府は幕府側に対して武器類の取引を、原価で売却すると言う思い切った厚意を見せたからである。彼等の装備しているのは長州側が米英製、幕府側が仏製であったが、フランスと言う国は伝統的に歩兵が強くない為、自然白兵戦用の武器も発達しなかった。寧ろ、後の第一次世界大戦の際に名を馳せるホチキス機関銃などのような重火器(機関銃は今日の兵器分類の概念で言えば小火器だが、当事は重火器と言って差し支えなかった)で名を轟かせ、余り歴史的に見てもフランス製の拳銃やライフルと言った類の代物は有名ではない。精々三銃士の時代のマスケット銃位の物であろう。幕軍の用意したフランス製の青銅施条カノン砲の威力は思いの外長州軍をてこずらせたが、基本的に兵士の戦意が乏しくすぐに追い散らされた。それに加えて敗戦が続くと幕府軍内部では対立や不平不満が続出し、中には戦線を勝手に離脱する部隊もあった。彼等は対長州軍という使命感よりもそれぞれ大名の御家の家来という意識が強く、統制が取れていないのである。


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