いよいよ慶応二年 〈其の一〉
「これはこれは、両先生__」
長州領内で年を越した藤岡猛と佐々木隼人は懐かしい顔と再会した。倉敷で世話になった、例の大橋敬之助である。
「若旦那やないですか」
「いやいや__」
猛の物言いに、敬之助は苦笑いを洩らした。
「現在は立石孫一郎と名乗っており申す」
「立石さん、でっか?」
「左様__」
流石にこの二人にはやや遠慮があるものの、その態度物腰にはどこか尊大な、とまでは言わぬものの以前とは違う余裕が感じられる。
「第二奇兵隊の銃隊長を仰せ付かっておりますれば」
厳かに肩書きを名乗った。彼の自信の根拠はこれなのであろう。猛と隼人に辞を低くしていた頃とは違う、と言う無意識の表れのようだが、流石にこの二人に対しては見下したような、無礼な態度は取らなかった。元来がお人好しで感情的な為、乗り易い性格なのであろう。
「所でご両所」
見るからに慇懃に、ある種の風格さえ漂わせながら若旦那、否、立石孫一郎が言った。
「両先生方も、第二奇兵隊に入っては下さらぬか。身共から大洲殿にご紹介致しますれば隊の一つも任されましょうぞ」
第二奇兵隊とは、周防の大洲鉄然という西本願寺の僧侶が組織した軍で、その構成員は長州藩内でも冷や飯食いの扱いを受けている防州出身者を始め余所者が大半を占めている。如何に地元では苗字帯刀を許されているとは言え、倉敷から流れてきた町人の敬之助が一隊を預かる程の扱いを受けているのもこう言った寄り合い所帯なればこそである。
「折角の御厚意、ごっついありがたいンやけど、今はアカンわ」
隊長に推薦、と言う若旦那の誘いに早くも食指の動きかけた隼人の機先を制するように、猛が素早く応答した。
「明後日、長崎に行って伊藤さんの手伝いせにゃならんでな__」
嘘ではない。今、長州藩では来るべき対幕戦に備えての準備が忙しく、正月早々長崎に京都にと各人が往来に駆り出されて大わらわなのである。その責任者とでも言うべき立場にあるのが伊藤俊輔と井上聞多だった。加えて猛と隼人は嘗て坂本竜馬の下で海軍操練所に身を置いていたし、一応蘭学者崩れの猛は異人相手の買い付けの仕事に重宝がられていた為、意外と忙しい身だったのである。しかし猛の本音を言えば、以前の下津井屋の一件があった為、正直この若旦那とは距離を置きたかったのだ。
「左様な事なれば致し方御座らぬ。そのお話は日を改めて何れ__」
若旦那が社交辞令ではなく心底残念そうに言ってくれた為、猛も内心引け目が無い訳でもない。しかし、それ以上にホッと一安心と言う想いの方が強かった。
「立石殿」
隼人が恐ろしく真面目な顔で若旦那に語りかけた。
「ここでこうして再会したるは何かの縁、己に与えられたる仕事に全力で当たり、回天の大業を成さんが為、供に力を尽くしましょうぞ」
「ありがたきお言葉に御座る」
隼人はこの若旦那と性格も似ており、波長も合うらしく熱いものを胸に抱きつつ互いの武運を心から祈ったが、猛の方はこの疫病神から少しでも早く離れたかった。人間は悪くないのだが、何をしでかすか判らない性格は猛にとっては気が気でないのである。
因みにこの二月には若旦那は第二奇兵隊百五十人を無断で動かし、故郷倉敷の代官所を襲ったが空振りに終ってその騒動が原因で長州から見捨てられ、賊として追討された。猛の心配は当たったと言えるだろう。