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更に慶応元年 〈其の八〉

「あれが新撰賊の頭目、近藤勇__」

遠くから中背でガッチリした体格の、細い目が吊り上がった恐ろしく口の大きな男を一瞥した隼人が呟いた。

いよいよ緊張も高まった十一月の晦日、猛と隼人は芸州領内に居た。

幕府では対長州問題の穏便路線を尚捨て切れず、十一月十二日には大目付永井主水正を問罪使として派遣し、長州藩と国境を接する広島の浅野家で長州側の代表山県半蔵__彼はこの席上偽名を使っていた__、広沢兵助らとの会談の最中であった。それは良いのだが、この永井の供と称して厄介な連中が一緒に付いて来ていた。昨今、京の巷を凶刃で震え上がらせた新撰組である。局長近藤勇を始め参謀伊東甲子太郎、五番隊長武田観柳斎らが永井の警護と称してついて来てしまったのである。永井は最初何度も断ったが、近藤のあくの強い申し出に断り切れず、つい同行を許したのであった。

「幕府の使い番の連中を挑発してきてくれぬか」

高杉晋作が長州に身を寄せた浪人たちにこう依頼したのである。幕府は長州との戦に二の足を踏み両者膠着状態のまま睨み合っている状況だが、晋作はこの中途半端な状態を不服とし、目と鼻の先に足を伸ばして来た幕府重役たちを挑発し、向うから会戦の口火を切らせようとしていた。坂本竜馬の仲介によって薩摩と間接的にルートを確保した長州では、一刻も早く戦争を行う必要が有ったのである。何故なら長州の情勢は非常に流動的で、早く幕府との戦争と言う緊急事態を引き起こさねば再び藩内の保守派が勢力を盛り返し、政局が三転四転する可能性があったからである。先には時間稼ぎ、今度は短兵急に事態を展開させねばならないのが、追い詰められたこの藩の実情なのであった。浪人たちも長州がいつまでも中途半端なまま停滞していれば何れ自分達は領民から厄介者扱いされる恐れも有ったし、第一わざわざ脱藩して義勇兵などやる連中である、一刻も早く一戦交えたくてウズウズしており矢鱈と威勢だけは良く見栄だけは過剰な為、この役を引き受けた。永井の随行員の中にかの悪名高き__倒幕側から見れば__新撰組が混じっているとあらば何か事を起せばすぐにでも乗ってくるかも知れぬと踏んだからである。その上、彼等の中に長州を裏切った元奇兵隊総督赤根武人がが混じっていると言うのである。彼の言い分からすれば裏切った訳ではなく、長州藩存続の為何とか幕府に渡りを付け、不心得な謀反人どもを退治し、毛利家の血筋だけは残そうと言うのである。言わば忠義の為である。しかし、矢張りそれでは卑賤の身分から引き立ててくれた晋作、と言うより奇兵隊に対する裏切りなのでは有るまいか。赤根は元々水呑み百姓の出身で、彼が長州の重要人物として現在の地位を築いたのはひとえに元奇兵隊総督という肩書きの故なのであった。その奇兵隊と言う存在は、建前はどうあれ徳川幕府の強制する士農工商と言った時代錯誤の封建的身分差別に対する対決姿勢を鮮明に打ち出した象徴そのものなのである。その奇兵隊総督が同じ虐げられた卑賤の者たちを置き去りにして幕府に身売りし、その見返りに藩主の地位を安泰、自らは新長州藩の家老に等と言うのは矢張りどう考えても裏切り以外には解釈の仕様が無いであろう。晋作にすればこの赤根を殺れば裏切り者を粛清できるし長幕の戦端を切れると言うのでまず彼を狙うように指示したのであるが、そう簡単には行かなかった。

「あんまりウロウロすな」

遠くまで届いて来る近藤の獰猛な気迫を感じた猛が隼人に注意を促した。相手は京都で志士たちを血祭りに上げてきた新撰組の親玉である。少しでも不信を感じたら問答無用で斬り掛かって来るかもしれない。いかに挑発して来いと言われても、相手が相手だけにそう簡単な事ではなかろう。下手をすれば命を落とす恐れも有った。或いは晋作とすればその位が丁度良いと言う事かも知れないが、そうそう自前の一命を捨てる訳にも行かないのである。今は永井と別行動だが、近藤は数人の隊士を連れているし、元々一人でも手に負える相手ではない。流石に向こう見ずで負けん気の強い隼人でも、斬り込むのは手控えた。

「こっち見とるど、向こ行こ」

猛が隼人を促した。近藤の、重々しくも刺すように鋭い光を湛えた細い双眸がこちらに向けられると、生きた心地もしなかった。

「何をうろたえておる」

そう言いながらも、隼人の足は出来るだけ自然さを装って素直に猛の行く方向に随っている。

「貴様の短筒が有るだろうが」

何とか近藤の威圧に負けまいとする隼人だが、彼も実際自分の敵ではない事くらい判っている。

逃げる二人に対して何と思ったか判らないが、近藤がその姿を見て軽蔑したように鼻を鳴らした。

近藤勇と土方歳三と言うのは、それぞれの個性を補い合って実力を十二分に発揮した極め付きの名コンビだったかも知れない。近藤の性格は無闇矢鱈と荒っぽく単純で素朴で豪快な木強漢、土方は緻密で粘り強い策士だった。元々同門だったから気心が知れているのは当然として、更に二人に共通して言えるのは矢張り田舎者らしい偏狭で執念深い排他性と保守性である。これは出身地が同じと言う事にも原因が有るのかも知れないし、百姓出身でありながら幕府に取り入って侍に成り上がろう(成り下がろう?)としていたという目的意識にも通じる所が有るかも知れない。赤根にしてみれば同志と言った所であろう。単純で親分肌の豪傑近藤を局長に立てた土方は長州の大村益次郎にも通じるような実務の鬼といった無愛想者で、ナンバー2の好見本の如き仕事振りで恐れられている。幕末、このような互いの不足を補う形で仕事を為した名コンビと言えば土佐の坂本竜馬と中岡慎太郎、薩摩の西郷吉之助と大久保一蔵が良く知られる。長州の高杉晋作は余りにも唯我独尊で、周りの人間が足元を固めるような形で舞台を設えた。晋作に限らず長州の志士は吉田松陰にしろ大村益次郎にしろ、周りを置き去りにするような独創型の天才が多く出てその手腕を発揮した。これはもしかしたら長州藩の風土による物なのかも知れない。

結局、新撰組の警備の為幕府問罪使一行に手出しする事は出来ず、永井たちも思わしい譲歩を先方から引き出す事は出来ず、双方収穫無くなし崩し的に芸州会談は終了した。それにもう一つ言えば、長州交渉団の責任者である広沢兵助がここで騒動を起したりしたら仲介役に立ってくれた芸州藩に迷惑が掛かると言って幕府側の交渉団に手出しする事を諌めたのである。

遂に赤根武人を仕留める事も、幕府側交渉団に手を出す事も出来なかったが、長州側の戦意は旺盛でこのように大胆な挑発も辞さないほど士気は高まっていた。近藤もそれは肌で感じたようで、松平容保に対して幕府側と長州側の士気の違いを報告し、戦火を交えても到底勝ち目は無さそうだと感想を述べた程であった。

それはそれ、長州側では幕府との交渉に臨む一方でいよいよ更に大胆な、藩の興廃を賭けた、否、大袈裟ではなく日本の歴史すらも賭けた大一番を迎えていた。

世に名高い薩長同盟であった。


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