表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/44

更に慶応元年 〈其の六〉


幕府は長州再征を発表した物の、一向にそれを実行する気配が無かった。一つには時間を置く事でどこか同調する藩が名乗りを上げてくるのを期待しての事であり、もう一つは戦役ともなれば多大な出費がかさむ為、先の理由とも重なるのだが出来るだけ仲間を増やして負担を減らす事を期待しているわけだし、更に言えば正直な所幕府と僅かな譜代親藩だけで勝つ自信が無かったからである。否々、実は自信は有った。しかし、この長州再征はそれだけではない、幕府では兎も角大名に対して統制力を保持している事を内外に誇示したいという意図も有った、と言うよりもその方が本音であったに違いない。しかし、案に反して同調者はどこからも現われなかった。不安に駆られた幕府側では、とうとう長州に形だけでも良いから何がしかのペナルティを科し、形式的にでも良いから頭を下げてもらいと言う所まで追い詰められたのである。具体的には十万石ばかりの領地の減封、それもできるだけ収穫量の少ない場所を選んで没収すると言うのだが、この場合形式だけの処置であれ幕府に屈するとあらばそれが国内外に対してその権力と軍事力の強大なる事をアピールする事になるから、それその物が実利に直結するのである。長州が受ける筈が無かったし、薩摩など反幕諸藩も直接手は出せない物の、何とか幕府の意図を挫こうと坂本の根回しに裏から力を貸していた。

その最中に、又も政局を大きく揺るがしかねない大問題が突発したのは、前年幕府が海軍操練所を開いていた兵庫沖合い。何と九月十六日には英米仏蘭の艦隊九隻が突如姿を現し、横浜に続いて兵庫の開港、それに加えて輸入税の一律5%という条件を要求したのだからたまらない。その先頭に立ったのは新任のイギリス公使パークスである。幕府は先年の馬関戦争の賠償の延期をイギリスに頼み込んでいた為、立場が弱かったのである。朝廷は勿論、幕府側もこの奇襲には肝を潰した。折りしも一橋慶喜を始めとした幕府側の重要人物も京都大阪に集まっており、帝は即座に彼らを招集し、事情を説明させたがこの降って沸いたような一大事に大混乱を呈した彼等に筋の通った釈明など不可能であった。特に家茂などは将軍職を辞するとまで言い出した事からもその狼狽振りは察せられよう。

一体、何の理由で彼等はこのような行動に出たのであろうか。考えられる要因として、矢張り再征伐の危機に直面していた長州への援護であろう。実は新任公使のパークスは、家茂が進発した五月十六日には横浜に到着し、幕府老中に長州問題の平和的な解決を要請したが聞き入れられなかった為、今度は別の角度から救いの手を差し伸べるのが狙いであろう。現段階では大っぴらに武器の購入が出来ない長州としては、薩摩の斡旋によって坂本の亀山社中を通して来るべき有事に備え、現在続々と兵器全般を可能な限り仕入れてはいるが、軍備が整うまで暫く時間が欲しかったのである。幕軍の足を止めるのも長州にとっては願っても無い救援だったし、更に英国側にとっても、時間を掛けて少しでも買い入れてくれた方が懐が温まるのである。それだけではなく、この行動は国内に於ける幕府の実力を測るための重要なテストであった。もしも幕府が外国の要求に屈して要求を受け入れれば国内の信用は失墜し、逆に断れば対外信用を失うであろう。特に英国などは徳川幕府と手を切り、堂々と薩長と商取引ができる。どちらに転んでも取りはぐれの無い、イギリスらしい強かで計算高い外交戦略である。結局兵庫開港は不首尾に終ったが、関税率の要求は英国側が賠償金の三分の二を放棄すると言う破格の条件と引き換えにほぼ完全に通ったのである。イギリスとしては目先の金を投げ出す代わりに途方も無い巨利を見込んでの博打だったが、結果からすればどうやら死に金にはならず莫大な利益を掴み取った模様である。損して得取れと言うか、彼等は決して少なくない投資でこの賭けに、そしてフランスとの対日交渉競争に勝ったのである。外交に関してはこちらも人後に落ちない筈のフランスだったが、この件に関してはまんまとイギリスにしてやられたと言うべきであろう。最初こそ反対していたものの、何せそれまで5〜35%という上下幅が有った輸入税が下限の5%に固定されるのだからフランスとしても美味しい話である。既に徳川幕府と強固な紐帯関係にあったフランスにしてみれば国内の反対派を抑える事で幕権の強大なる事を示す機会とばかりに圧力を掛けたのだが、結果は提携先である幕府の一層の威信失墜と言う事態を招いたのだった。どうやらあまりに目先の利益に走った為、日本国内の事情を蔑ろにし過ぎた様である。これ以来二度の大戦においてフランスは常に日本とは敵対関係となり、戦後、経済発展を果たした後に金満大国のアダバナとして咲き乱れた、シャネラーなどと呼ばれたブランド志向の御フランス好きが現われるまではこの両国はギクシャクした関係を続けるのであった。因みに、プロレスの世界でも、アメリカではトップスターの善玉(ベビーフェイス)の筈のアンドレ・ザ・ジャイアントなどは日本ではトップ悪玉(ヒール)であり、AWAの帝王と言われたバーン・ガニアなども日本ではそれ程評価されていないなど、フランス系は余り良い目を見ていない。それに比べてイギリス系の方は、ビル・ロビンソンは外人でありながら国際プロレスのエースとなったし、ダイナマイト・キッドなどは歴代外人レスラーの中でも最も人気の高い一人である。どうやら日本との相性で言えばイギリス及びドイツが好位置につけているがフランスとは肌合いが合わない様である。

結局、この一件はフランスにとって裏目に出た形となり、徳川家の衰運に加速度が付いたと言って間違いないであろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ