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時に文久三年 〈其の二〉

「ここは……」  

目を開けると貧乏臭い染みを点々と着けたうらぶれた長屋の天井が有った。

「気ィ着いたか」

 猛は意識を取り戻した志士に、無愛想な声を掛けた。

「__ぐお__!」

 センベイ布団を剥ぐって身を起こした志士が、胸を押えて呻き声を上げた。無防備な状態に、相当強烈な当身を食らったのだ。相当な損傷が残っている筈だった。

「無理すな」

 猛が呆れたような顔で諭すように言った。

「一晩も凝っとしとったら治る。歩けるようになったら早よ出て行け。お尋ね者ン匿うとったなんて役人に知れたらこっちがえらいとばっちりや」

「何故助けた」

「何ぬかしとんねん」

 猛が軽蔑したような顔で答えた。

「折角わざわざ重い目エしてオンドレをせたろうて来たったのに、その言い草は何や」

「黙れ、洋夷の手先に施しは受けぬ!」

大声を上げて傷__外傷は無い、打ち身の傷だが__に障ったのか、再び苦しげに胸を押えた。誰も見ては居なかったが、猛は大仰に顔を顰めた。息をゼイゼイ荒げながら、志士は猛に底に篭った目線を浴びせた。

「……俺を役人に引き渡すつもりか?」

「アホちゃうか」

志士のピント外れな言葉に猛はもう驚きも呆れもせずに静かに答えた。

「そんなんするんやったら苦労して俺の屋さにまで運ぶかいな。倒れとる所に役人呼んで来たらそれでええやんけ」

「良いのか?」

かすれたような声だが、静かに志士は言った。

「俺は足利将軍の木像の首を三条河原に梟した罪人だぞ」

「それで?」

「その首によって徳川家に対して警告を発したのだ。お前等に取っては赦し難き敵ではないか」

猛は相手の言いたい事が理解できず声を失った。彼は一体何を言いたいのだろう。

「それが俺と何の関係が有るんや」

「お前は佐幕派であろう」

「何で?」

「お前は開国派である筈だ」

「別に無理して開国なんぞせんでもええやろ」

「貴様!」

懲りもせず大声を上げて打ち身に響いたらしく、またまた志士が胸を押えた。猛は苦笑いを洩らした。

「貴様、俺を嬲るつもりか?」

「ええ加減にせいよ」

猛が大仰に両手を広げて見せた。 「お前のアタマはどないなっとるんや。ちょっと蘭学齧っただけで、全て夷荻の手先で開国派で佐幕派かい」

「違うと言うのか?」

素直に聞いている風ではなく殆んど詰問口調で、猛の言葉をまるっきり信用していない事がありありと判る。

因みにこの頃、開国派といえば全て佐幕派であり、倒幕派は鎖国派というのが当時の常識だった。日本中の反対を押し切って不平等な日米和親条約を強行採決したのが幕府大老井伊直弼なのだから当然であろう。更に言えば“志士”と言えば当然鎖国派で“開国の志士”等と言う言葉は大いなる矛盾と思われていた。その上に、攘夷と言えば皇国日本の神聖を守護する為、その用いる武器と言えば当然日本刀であった。蘭学校に籍を置いた事もあり、洋式拳銃など持ち歩く猛など当然、開国派で佐幕派であるに決まっていた。だからと言って__

「まあ、あんたとは考え方そのものが違うねんから仕方ないけど、わしゃそこまで堅苦しう考えへん」

「貴様!」

のんべんだらりとやり過ごす猛に、志士は再び歯を剥き、性懲りも無く胸を押えた。

「貴様、それでも武士か?」

それに対して猛は答え様も無い。

「自らの節に殉じようと言う気概も無いのか?」

「わしゃ、腰抜けの開国派でっからの」

目の前の、平田国学原理主義に凝り固まった攘夷テロリストの頭には敵か味方か、佐幕か倒幕か、開国か鎖国かと言う事でしか人間を区分できないらしい。

「貴様のような奴等がいるから」

志士は声を落とした。どうやら相手に失望したらしいが、猛にしてみれば有り難い話である。更には胸の打ち身の事もある。漸く興奮が傷に障ると言う事に気付いたらしい。

やがて猛が、麦六米四の冷や飯と漬物と倶の殆んど入っていない味噌汁を運んで来た。

「これ食うて、一晩寝たらどこへなと行きなはれ」

志士は答えず、目の前に置かれた一汁一菜の粗食を何ともいえない目付きで眺めていた。差し詰め、夷荻に内通した奸賊の施しなど受けぬ、と言った所だが、やがて諦めたように手を伸ばし、もそもそと食い始めた。役人の目を逃れて隠れていた為、ろくに食う物も食っていなかったのか、一度手をつけると目を白黒させながら、瞬く間に貪るように平らげた。食ってしまってからまだ足りぬと言った、やや情けないような目を見せたが、猛は気の毒そうに苦笑いを返しただけであった。もうないと言うのだろう。志士は何に対してそう思ったのか、情け無さそうに溜息をついた。

「足りんかったらなんぞ買うてきたるけど」

「いや、構うな」

流石に自分の振る舞いに恥じ入ったのか志士はガックリと肩を落として呟いた。猛は徳利と茶碗を二つ持ち出して、志士の前に腰を下ろした。

「まあ、そう落ち込みないな。あんたも国難に際して風雲を望んで馳せ参じて来た志士やろが。挫折や困難くらい有って当たり前や。気にしなはんな」

猛が惚けた物言いで茶碗に酒を注いだ。

「おら、皇国の前途を祈って時勢でも論じようや。あんまり熱が入って喧嘩にならんようにな」

茶碗の酒を乾すと、ぷはーっと一息ついた。志士もそれに誘われるようにして茶碗を口に運んだ。

「いい腕だ」

不意に志士が呟いた。猛が酒を口にしたまま目配せだけで志士に答えた。

「貴様の身のこなし、小手打ちや当身の手並みは並の物ではない。俺は今まで幾人もの奸賊に天誅を加えたが、お前のような男は初めてだった。俺の甲源一刀流が、それも無手の相手にこうも易々と破られるとは、最早言い訳の仕様も無い」

「あんたも疲れとったんやな」

猛が事も無げに言った。

「確かに俺もソレナリに自信は有るけど、見た所アンサン大分お疲れのご様子やね。でなかったら」

猛が人差し指を立てて志士に向けた。どうやら拳銃を現すジェスチャーらしい。

「こいつを使わなならんだやろな」

志士が厳しい目を猛に向けた。彼が生粋の国学信奉者である事を忘れていた。

「見事な当身技だった。何流のものだ」

志士は拳銃の事には触れたくないらしく、猛の武芸の方に話題を絞った。

「あら、柳生心眼流や」

「柳生心眼流?」

余り聞いた事の無い流派である。

柔術(やわら)か?」

「つうか、まあ……」

柳生心眼流__

仙台藩に伝えられる日本古武術としては異色の、強烈な打撃技が特徴の流派である。昨今の格闘技ブームとやらの中で、軽薄で頭が過熱し易い格闘技マニアの間で興味の対象が中国拳法から日本古武道まで広がり、その独特の戦闘法から一部で話題になったこともある。所謂柔術の如き逆技や投げ技を多用せず、主に拳による打撃が主の、本朝に於いては突然変異とも言うべき流儀なのだ。その形が日本でも人気の高い、八極拳に似ている事でも話題となった。渡来人が教えたのではないかと言う説もある。実際、その説を裏付けるかのようにこの流派を現在の形にまとめた功労者、星貞吉なる人物は辞暦があやふやで、そう考えても辻褄が合わない事は無いらしいのだ。更に突っ込んで考えてみれば、回族だったのではあるまいか。八極拳という拳法は、劈掛拳、通臂拳、心意六合拳などとともに回族イスラム拳法とも呼ばれている。回族は、中国における被迫害民族であり、歴史上度々弾圧を受け、日常に於いても過酷な制約の元に暮らす事を強いられ続けた。近年、1970年代にも人民解放軍による回族虐殺が敢行された。故に、弾圧を逃れて在所を追われた中に日本まで亡命してきた者が居たとしても、その中に八極拳を修行した拳法家が居たと考えてもなんら不自然な所は無い。物的証拠としては、この柳生心眼流の構え等がそれ自体八極拳の技法(私事で恐縮であるが、筆者は八極拳といえば反射的に馬弓捶と頂心肘を思い浮かべる。安直であろうか)と酷似している事が何より有力である。更に、その型は八極拳の套路だけではなく、通臂拳も混じっているのではないか。或いは、それらに細分化する前の原型的回族拳法だった可能性も否定し切れない。さりとても、恐らく中国拳法、八極拳か古流の回族拳法かは判らぬが、恐らくそのまま移植したわけでは有るまい。それを元に日本武術として、具体的には刀を相手に闘う無手勝流に改変したのであろう。日本の古武術は全て武器を持った相手を想定して構築されているのである。しかし、柔術も数多くの流派が林立し、柔術家同志でも凌ぎを削って勝ち残らねばならなくなれば系統の違う毛色の変わった技術をもって周囲の盲点を衝くと言った手段で勝つ必要も出てきたのでは無かろうか。1シーズンで六十本も七十本もホームランが飛び出す大リーグに於いて、内野安打で打率を稼いだ日本人選手が首位打者を始めとした数多くのタイトルを獲得しMVPに選ばれたように、いきなり見慣れぬ技が出現すれば慌てるのが人間である。余談では有るが、南派拳法の特徴である硬気功も源流はイスラムに有るとの事だった。成る程、アラブには剣を飲み込む大道芸なども良く見かけるし、イスラム教でも体中を引っ叩いて痛みに絶える妙な行事が残っている。無論、猛がそこまで詳しく知っている筈は無い。

話が逸れた、ここは幕末日本である。

「俺は佐倉脱藩浪士佐々木隼人」

志士は自ら名乗りを上げた。佐倉藩堀田家、今の千葉県佐倉市である。利根川を挟んですぐ隣が勤皇思想の総本山である徳川御三家の一つ、水戸中納言家である。その影響で彼も勤皇思想に感化され、時流に乗って脱藩したのであろう。

二人は茶碗を酌み交わしながら時勢について大いに論じ、調子を合わせて相槌を打ち、皇国の将来を憂いて高揚し、時に涙を流しながら一晩中盛り上がった。長屋の衆も迷惑であったろう。しかし、時節柄国論をぶつ所謂憂国家の類であれば下手に文句を付ければ斬られる恐れも有った為、黙ってやり過ごすしかなかった。酒の勢いで一頻り盛り上がった後に二人とも大鼾をかいて眠りこけ、そのまま佐々木は猛の所に居付いてしまった。

藤岡猛と佐々木隼人__

幕末、日本中が上へ下へと大騒ぎしたエネルギッシュな時代を意味も無く走り回った、歴史に名を残す事の無かった二人の志士の、これが出会いだった。

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