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更に慶応元年 〈其の五〉


「済まぬ__」

坂本と桂の前に土州の中岡慎太郎は手を付いた。中岡も坂本同様に土佐を脱藩していたが、彼の場合長州諸隊の一つ、忠勇隊という藩外からの義勇兵から為る外人部隊に身を投じていた。坂本が長の桂を、中岡が薩の西郷を説得すると言う事となり、その鋭い舌鋒で何とか西郷を引っ張り出した筈であったが一体何がどうなったのだろう。中岡の語る所によると西郷が何だかんだと言い繕い、下関の目と鼻の先にある豊後佐賀関で俄かに目的地を変更し、桂との会談をドタキャンしたのである。桂は面目を失ったであろう。或いはそのやや日焼けした眉目秀麗な顔は蒼白になったかも知れない。

「我等長州は薩摩の芋によってまたしても後足で砂を掛けられた」

こうなったら決裂である。

「これほどの不面目はない!」

しかし、坂本は諦めなかった。

「桂君、長州の面目は良う判った。だが現実はそう言っては居られんぞ」

幕府は長州再征を検討している。今のままでは如何に諸藩が反対してもフランスの後押しで強気になっている幕府首脳部はこれを断行するだろう。これを迎え撃つ為にはどうしても西洋式の最新兵器が必要なのである。

「それと西郷の変節とどういう関係が有ると言うのだ」

こうも度々煮え湯を飲まされて余程頭に来たのであろう、これほど冷静な男が感情を剥き出しにして西郷の背信を罵った。坂本は両手を広げておどけて見せた。

「まあ聞け、小五郎」

桂には坂本の冷静な態度が気に障った。所詮他人事なのだから仕方が無いが。

「薩摩の度重なる無礼にはうらも呆れるばかりじゃが、わしは西郷を信じとる。恐らくは藩の固陋な連中があ奴目を押し留めたのであろう。西郷はお人好しじゃからそいつらに反対できなんだんじゃろう」

桂の感情を斟酌して、坂本はわざと薩摩をこき下ろす表現を使った。

「西郷の人格を君に説いて貰わずとも結構だ」

桂は怒りに目を吊り上げた。

「今回の会談は薩摩と長州の和解の為の筈だ。西郷と桂の私的な会合ではないぞ」

「御説ご尤も」

「ならば判る筈だ。西郷がこの会談を蹴った事が如何なる意味を持つのか。仮に西郷個人がなんと思おうと構わぬが、これが薩摩の答えならば最早こちらもそう心得ておくまでだ」

「おまんの気持ちは良う判るが、ちっとは落ち着け、小五郎」

坂本は落ち着きながら言った。

「今回の会合は、元を正せば商売の為であった筈じゃ」

「その商談を西郷が蹴った」

桂はその一点を繰り返し繰り返し責めた。別に坂本に怒っても仕方ないであろう。否、そうでは無い。桂の怒りの原因は別の所に有った。

「君たちの口車に乗った御蔭で私は藩の仲間に恥を掻かせてしまった」

「全く面目ない」

中岡も身を縮めて平身低頭した。彼は四角四面な真面目人間で、坂本とは正反対のタイプである。長州で言えば禁門の変で死んだ久坂玄瑞に似ている。いきり立つ桂を前に、坂本が何かを呑んだような、不思議と重圧を感じさせる表情で言った。

「まあ、良く聞け。世の中面目だけが全てではない、時には耐え難きを耐え、忍び難きを忍ばねば為らん事もあるわい」

坂本は遠い目をして虚空を見上げた。彼の場合この言葉には実感が篭っている。矢張り土佐郷士仲間の武市半平太を始め数多くの仲間が非業に倒れている。禁門の変で多くの盟友を失い、本人も命懸けの危険を潜り抜けてきた桂の気持ちは痛いほど判る筈だった。長州が今回の事で取り返しの着かぬほどの不面目を蒙った事は動かし難い事実だった。武士とは面目の為に生きていると言っても良い。そう、時に命を賭けるほどに。坂本の盟友武市もまた土佐藩の面目の為に奔走し、挙句にその土佐藩によって処刑された。その事を思えば藩主の理解に恵まれた長州の言い分は甘えが有るのではないか。坂本は、有る意味では冷酷とも言えるほどの言葉を続けた。

「長州の面目は良う判った。しかし、今幕府は長州再征の準備を進めて居る。これをどうするつもりじゃ」

桂は言葉に詰まった。この現実だけは如何に薩摩の背信を責めた所でどうなる事でもない。

「のう、小五郎、今は譬えどんなに辛うとも耐えろ。耐えて薩摩めを利用してやれ。わしは亀山社中を作って日本中の勤王の志士を助けるつもりじゃ。この日本を洗濯する為にの。今は苦い薬じゃと思うて我慢じゃ」

桂は無言だったが、坂本の説得に納得したようだった。

桂と西郷の下関会談は不調に終ったが、坂本の亀山社中は何とか株主を確保できたようであった。


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