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続く元治元年 〈其の五〉


やっとの思いで混乱を極めた京洛周辺から脱出した二人は松の木の根方に腰を降ろし、放心したようにへたり込んでいた。

猛がコルトドラグーンを取り出してシリンダーの空薬莢を取り出したり回したりしながら具合を確かめていた。それを眺めながら隼人はボンヤリと先程の騒動の一場面を思い出している。

「貴様、長州か?」

幕兵が辺りの誰彼なしに喚きながら槍を向けた。目は血走り、完全に正気を失っている者が殆んどで、長州人とは関係も無い市民を刺し殺す事も多かったが、幕府側では敗走する長州兵を匿ったのだなどと嘘か本当かも分らないいい加減な弁明をした。確かに京の市民は勤王に挺身する長州を応援してはいたし、裏から表から彼等に便宜を図った者も居り、この騒動の中で捨て身で庇い立てする者も居ないでは無かったが、大部分が無関係な巻き添えであった。

「藤岡アー!」

「ここや、ここや!」

洛中洛外は殆んど地獄であった。恐怖と憎悪に狂乱した幕兵が、逃げる長州人を殺意を漲らせながら追跡する。その混乱の中で隼人は手当たり次第に追いかける、幕府軍と思われる具足姿の兵士に斬り掛かった。

「何やってんねん、逃げるど」

「馬鹿者、これを見捨てて逃げられるかア」

完全武装の相手を斬りつけるには具足の継ぎ目を狙うしかない上に、この混乱の中で刀など振り回した所で敵は次から次へと押し寄せて来る為、いつまでもこんな事を続けていられないのは明白だった。

「貴様、長州人だな」

意味不明の言葉と共に、幕兵が隼人に襲い掛かった。隼人も負けじと応戦するが、同僚の危機に際して幕兵たちがすぐに殺到してきた。

「隼人ォ!」

猛が袂からコルトドラグーンを引き抜いて幕兵目掛けて発砲すると、戦場に響き渡る武者押しの只中にあって、辺りの騒音を圧倒する程の音量で竜騎兵(ドラグーン)は咆哮した。辺りに独特のきな臭いにおい、火薬の醸し出す硝煙の臭いが立ち込めた。ドラグーンは威力は兎も角反動が大きく、打った際の煙もいやに濃く立ち昇る。銃身は大きく跳ね上がり、幕兵は倒れ、その轟音に辺りに屯する全ての人々の目が白煙に撒かれた拳銃を手にした猛の方に注がれたのであった。

「逃げるど!」

親指でシングルアクションリボルバーの撃鉄を起しながら猛が叫んだ。ドラグーンの銃声に度肝を抜かれた隼人は、促されるまま素直にその場から、妙に軽い足取りで走り出した。何か足が地に付かない感じだった。拳銃を構えたまま後ろ向きに動きかけた猛に向って今一人、幕兵が迫って来る気色を見せた。猛が慌てて銃口を向けるとひっ、と腰を抜かさんばかりの仕草で後方に跳び退いた。その醜態を見て頭に来たのだろうか、他の一人が槍を振りかざして襲い掛かって来たが、無意識に応射した猛の一弾に吹っ飛ぶように倒れた。幕兵たちはパニックを起してその場から逃げ出した。その後を追い立てるように猛がもう一発ぶっ放して隼人の後を追った。

猛のドラグーンをボンヤリと眺めながら、その時の事を思い出だした隼人は放心したように沈黙した。一つには、戦場から命からがら逃げて来た疲労もあるのだろう。だが、それだけではない__

「……」

隼人の視線に気付いた猛が、シリンダーを掌で回した。回転弾倉(シリンダー)がキリリリリ、と鳴りながらカチンと、銃身に収まった。無意味で曖昧な沈黙が辺りに漂っている。

「天正三年__」

猛がボソリと呟いた。1575年である。隼人にも、彼が何を言わんとしているのかは分っている。この年に織田信長が鉄砲隊を指揮して、長篠に武田勝頼率いる当時最強といわれた騎馬隊を破ったのである。

「大した物だな__」

隼人は今日初めてドラグーンを実戦で使用するのを、いや、そもそも実際に射撃する場面に立ち会ったのである。生まれて初めて耳にする西洋式拳銃の爆発音は、神聖なる皇国の神土を守護する国粋主義的攘夷志士の、大袈裟ではなく世界観さえも一変させるほどの威力を秘めていた。鋼鉄の竜騎兵の、その名状し難い凄まじい咆哮は、これまで日本刀の切れ味を信じきって夷荻に戦いを挑まんと意気も盛んだった隼人の純粋な信念を根底から覆したのである。確かに前年の天誅組騒動の際には高取藩の所有する権現砲の発砲音を耳にしたりしたが、遥か遠くの物音であり余り実感が無かった。仮に威力があるにしても、それは小回りの利かない大型兵器であって個人単位の戦闘になれば日本刀の機能性には到底及ぶまいと高を括っていたのである。しかし、今その認識が現実を遥かに逸脱した小児的妄想である事を思い知らされて思考が半分以上停止しているのであった。彼の受けた衝撃は十一年前の嘉永六年、浦賀にペリーの艦隊を目撃した憂国家たちが等しく抱いた実感である。日本の知識人たちは1840年のアヘン戦争の情報を仕入れており、西洋には蒸気で動く自動船がある事を既に知っていた。しかし、水平線の彼方から現れた四隻の蒸気船の巨体を目の当たりにした時、頭の中で描いていた閉鎖的な小宇宙は一遍に崩壊し、進歩的な憂国家たちは鎖国の愚かなる事を理屈でなく具体的な現物を持って実感し、西洋の侵略に対抗すべく島津斉彬や伊達宗城、妖怪とまで仇名された鍋島直正などのようにいち早く近代工業化を推進した大名も出たのである。隼人もまた、ドラグーンの爆裂音に魂の垣根を粉砕され、新しい価値観へ足を踏み出そうとしているようであった。

刃物が人に与える恐怖感は音の無い静かな威圧感、軍隊の持つ力強さではなく刺客の陰湿な恐怖であった。白刃の放つ冷たい輝きは肌に張り付く生理的な圧迫感、陰に篭った女性的な殺意といえる。それに比べて銃器の黒光りする肌が湛える重々しい光は野太い底力に満ちたふてぶてしいまでの重圧であり、発砲の際に撒き散らす硝煙の臭いは男臭い労働の臭み、近代工業化が生み出した火を噴く鈍器だった。撃剣の際に起こる金属音は女の金切り声のように甲高い叫びであり、拳銃の発砲音は力強い男のガラガラ声にも似た吠え声である。その豪快な炎の叫びは百万言の議論など到底及ばない力強い説得力が有った。隼人の、武士(もののふ)の魂を揺り動かし、今新たな世界への指針を指し示したのであった。

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