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続く元治元年 〈其の二〉

この操練所には様々な藩から塾生が集まっており、その中に越前福井の出身者も居た。越前公松平慶永は一橋慶喜などと並んで開明的な大名で、彼の提案で文久二年、参勤交代を廃止して各大名の支出を抑え、その費用を来るべき外国の侵略と戦うべく使うようにと促がしているし、この操練所の設立に当たっても大枚五千両を気前良く出してくれた大旦那でもある。幕府が出したのが三千両だからこの人物の国防にかけた情熱が覗えると言う物だが、彼もまた一見繊細な如何にも徳川連枝に相応しい上品な貴族で、酒癖の悪い山内豊信などは越前公に女装をさせて酌の一つもしてもらいたい、などと下種な冗談を言って本人を不快にさせた。

それはいいとして、この越前藩士が後生大事に秘蔵しているお守りと言うのが、何とも奇妙な代物だった。

「どうじゃ、天狗の爪である」

そう言って塾生たちに見せた代物は、伸ばせば一尺程にもなろうかと言う、鉛色で先の尖った__と言っても針のように鋭利ではなく全体から見れば、であるが__全体が鎌のように湾曲した形の、石のような物体だった。

「ほんに、爪のようじゃのう」

一同は物珍しげにその物体を眺めては首を捻った。

「これはの、越前(くに)の手取で見つかった物じゃ」

「本当に天狗の爪か?」

「間違いないわい」

日本では、昔から天狗の爪と呼ばれた物が度々見つかっており、その多くは鮫の歯の化石であった。鮫は恐竜よりも古くから制海権を握り、生物の歴史上異例な程の長期間に渡って食物連鎖の頂点に君臨しつづける偉大な海の王者である。日本でもその歯の化石は頻繁に見つかっており、有名なフタバフズキリュウの化石が発掘された時にも周囲から大量の鮫の歯が見つかっており、恐らくは鮫と闘って壮絶な最期を遂げたのではないかと言われている。しかし、今彼が披露するそれはそれらの歯の化石とはサイズが違うし、形もはっきりと爪のそれである。

「ちょっと見せてくれよ」

猛がその代物に目を凝らし、穴の空くほどしげしげと見詰ていた。

「どうだ、立派な物であろう」

「ふーん」

猛も感心したように声を洩らした。

「せやけど、ホンマに天狗か?」

「何を言うか、これほど大きな爪をもった獣が居ると言うのか。これが天狗の爪でなくて何なのだ?」

「いや、でもな」

猛が首を傾げながら言った。

「これ、もしかしたらだいのさうりあ(・・・・・・・)の骨と違うか?」

「だいのさうりあ?」

「何じゃ、それは?」

「またお前の蘭学か?」

隼人が忌々しげに言った。

「蘭学と違うわ、英学じゃ」

猛も苦い顔で言い返した。

「えげれすの何とか言う学者の言う事にはの、昔、わしら人間が生まれるよりずっと前の地球には、だいのさうりあ(・・・・・・・)ちゅう、どでかいトカゲが住んどったそうや」

一同が猛の言葉にほう、と感心したような顔をした。因みにこの当時、地球と言う言葉は知識人の間では割りと頻繁に使われており、一種の流行語のような感じだった。

だいのさうりあ(・・・・・・・)か……」

当時の生物学者、リチャード・オーウェンの提唱したダイノソア、ディノサウリア__近年古生物学会でその見直しが本格的に検討されている、所謂恐竜なる概念が、学術用語として正式に認定されたのは1841年である。

「昔とは、どの位昔の事だ?」

「さあ、判らんけど、何万年も前やて言うとったなあ」

「何万年?」

「何じゃ、それは」

彼等の頭には何万年等と言うのは余り想像出来ない桁の時間だ。確かに弥勒菩薩が何億年も先に転生するとか言う話も聞いた事は有るが、あまりにも浮世離れしていて、現実感が無い話である。

「これも、そのだいのさうりあ(・・・・・・・)だというのか?」

越前藩士は苦い顔で聞いた。

福井県勝山市手取層は現在日本一の恐竜発掘サイトとしてわが国の古生物学会におけるそれこそ聖地の如き期待を背負い、21世紀初頭の恐竜ブームと言われた一時期には地元にとって村興しの為の得難き金蔓として、熱い視線を注がれていた。猛の勘は正しかった。彼の手にしたこの爪の持ち主は、恐竜王朝一億数千万年の中で最も優秀と言われる、ドロマエオザウルス一族でも大元締めとも言える現在確認された中で最大最古の種族、その名は__嘗て1990年代初頭に発見された当時最大のドロマエオザウルス、ティラノザウルスを凌ぐ最強の肉食恐竜と持て囃されたこの新種に、与えられた学名が“ユタラプトル”発見されたユタ州をそのまま学名にするという、例の安直かつ泥臭いネーミングの被害をもろに受けた訳である。手取層で見つかったドロマエオザウルスも、同じ被害を蒙ってしまった。彼の学名は__“フクイラプトル”__直訳すれば“福井の盗賊”__である。この手の、地名をそのまま学名に使用する命名法は、確かに全てがいかんとは言わないが、仮にも肉食恐竜の中でも特に注目度の高いこのドロマエオザウルス一族の、それも最大最古の大親分とでも言うべき傑物に、このような名前を着けたと言うのは、これまでにも度々起きた、日本の古生物学会の意識の低さを如実に現すエピソードに更に新たな1ページを加えたと言えるのではないか。

「そら判らんけど、天狗の爪よりもその方がよっぽど有り得るこっちゃ」

「貴様、どういうことだ」

隼人が怖い顔で猛に詰め寄った。

「天狗がこの世には居らんとでも言いたいのか?」

語気に殺気が孕んでいる。当然であろう、彼の信奉する国学の大家、平田篤胤は天狗の存在を真剣に考察し、天狗の国を垣間見たと言うので天保当時の話題をさらった少年に話を聞いたりしてその研究を進めていたのだから。増してや汚らわしい異人の言う世迷言を盾に取り、天狗は居らぬ等という輩を隼人が許せないのも無理からぬ事である。

「どうなのだ」

「い、いや」

殺気だった隼人に周囲はオロオロしながら成り行きを見守った。そんな周りの心配をよそに猛がまたか、とばかりに苦笑いした。

「別に天狗が居る居らんちゅうのとは別の問題やがな。ただ、これは天狗の爪とは違うんちゃうか、ちゅうてんねん」

「それでは何だと言うのだ」

天狗がどうのと言う事はさておいて、夷荻などの妄言に組してだいのさうりあ(・・・・・・・)がどうのこうのと言うのなら、やはり只では済まんとでも言いたげである。いつもの事なので猛も左程慌てもしていない。

「この皇国の神土も、昔はトカゲが支配していたとでも言うのか?」

「知らんがな」

「何万年も前とは、一体どの位前の事だ。正確に言ってみろ」

「知らんちゅうとろうが」

猛も別に地質学や地球物理学__こんな時代に存在する筈の無い分野だが__を専門に学んだ訳ではないし、欧米各国でさえ未だにキリスト教の支配力が強く、ダーウィンの進化論が主流とはなっていないのだから、蘭学を少しばかり齧った位で答えられる訳が無かった。

「判りもせぬのならしたり顔で偉そうな事を口にするな」

隼人が語気荒く言った。日本列島がほぼ現在の形に落ち着いたのは大体一万年前だと言われるが、彼の知っている日本の歴史は自らの学統の大家、本居宣長の編纂した古事記、日本書紀にあるイザナミイザナギの国造りまでで、それ以降はさかのぼる事は出来なかった。今ではちょっとひねた子供でも知っている地球が出来て四十六億年、恐竜が滅んで六千五百万年などと言う事を、もし聞いたとしても彼には理解し難かったに違いない。当時最高の物理学者の一人と言われたウィリアム・トムソンでさえ1862年、どういう見積もりか地球の年齢二千万年以上、四千万年以下と言う数字を算出しているのだから。

「まあ、竜が住んどったと思えばええが」

猛はそれっきりでこの話題を打ち切った。


フクイラプトル__このネーミングには、自分も泣けてきました。

たとえ村興し御当地ネームでも、せめて”テトリラプトル”くらいなら、まだ語感の響きで何とか許せるけど”フクイラプトル”は無いでしょ。

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