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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第7章 翡翠と紅
92/98

13


「陛下。塔の中でも護衛をお連れ下さいと何度も申し上げましたでしょう」


 今までは好き勝手にしていた精霊たちが結果ル・クリフ皇帝を守る形になっていた。そうでなくとも個人でいえば帝国随一の戦闘力を有する弟が傍に控えていた。

 だが、精霊姫が塔内での勝手な現象を起こさぬようにと皆にお願いし、皇帝がそれを許している。そしてラ・パルスは雪華の塔どころか帝国を離れている。


「油断なさいますな。私のような輩がおります」


 銃声は一回。

 それでも近い距離で彼が狙いを外す事はなく、つまり躊躇なく皇帝の胸を撃った。


「それから姫様。『紅』でない時の腕力で男の懐に入るのは愚策です。あなたの外見に油断しているか奇襲ならとにかく、徒手で私を抑えこめると思われないように」


 レイリック・ユングが短銃を取り出した時点で、まさか発砲すまいとは考えなかった。阻止できずともせめて狙いを外すべくリールは石の床を蹴って飛び出したが、相手が向かってくるのではなく自身の突進の威力だけでは男の腕力には敵わなかった。

 つかむ部位、力を込める支点を狙えば女の握力腕力でもそれなりに効果は与えられる。しかし相手はそれを理解した軍人で、リールが体術剣術を扱える事を承知したユング少将だった。

 発砲を阻むどころか、反対に腕を拘束され捻られて、ル・クリフが撃たれるのをまざまざと見てしまった。


「ルーク様!」


 ル・クリフは銃弾を受けた衝撃で体を前のめりに折ったが、倒れなかった。

「……痛いな」

 着弾で飛び散り、今は傷口から滲む血が広がる胸を自身で押さえた。

「痛み、は、身体が知らせる危険信号だ。……どうせ死なぬなら、痛覚がなければいいと、常に思う」

 与えられる痛みで気が狂いそうになる。いっそなればいい。もうなっているのかもしれない。

 ル・クリフの父であった先帝の命令で、串刺しにされ火に炙られ水に沈められても死ななかった身体がよもや小さな弾丸ひとつで死ねるはずがない。


「本当に、そうでございましょうか?」

「ああ煩い。それよりリールを離せ。卿が触れるな」

「臣下の具申には耳を傾けるべきですよ」

 こつりと冷たい銃口が当たったのは、リールの肩口。

 冷たくはない、本当は、今しがた皇帝の胸を撃ったのだから熱くなっているはずなのに。


 拘束されていたのは左腕。捻る形で背中に回され、硬い軍靴が右足を開くように押さえられているのでユング少将に背を向ける格好だった。

 そこに、翡翠色したドレスの布に直接当てられた銃の口から与えられたのは、熱というよりも衝撃。

「……っあ、」

 高熱で浮かされた時のように視界がぐわんと回り、拘束されていた腕が解放されたのは気づかなかった。代わりに、押さえていたユング少将の腕が腹に絡まった、と認識した。

「足りませんか?」

 差し入れられていた軍靴が、蹴るように右足をさらに開かせる。

 反射で踏み出した一歩、薄い布が幾重にも重なりさらさらと揺れたその下にある大腿の内側にまた、直接当てられた銃口からもう一発。


「ああああああ!!」


 今度は痛みがきた。

 二発目の脚なのか衝撃をようやく身体が認識したのかわからない、わからずただただ「痛い」と感じた体が叫んだ。

「レイリック貴様!」

「足りませんか?陛下?」

 足を踏み出したル・クリフの前で、痛みに暴れる体を自身に引き寄せ、見せつけるように豊かな胸を撫でて肩の傷をつかむ。

 三発目は脇腹。

 びくりと大きく痙攣して上向いたリールは、まるで快感に達したような姿を晒してごぽりと血を吐いた。

「ああ、上を向いていると血で息が止まりますよ」

 もう死んでいてもおかしくない状態の、喉を支えて顔を床に向けさせる。ばたばた、音を立てて床に落ちる血は鮮やかな色をしていた。


「リール」


 赤だ。彼女の為に用意した小さな耳飾りのような。

 無属性の精霊である色味の、紅玉のような瞳がル・クリフは殊更嫌いだった。自分で抉ってみたことはあるが翌朝には何もなかったかのようにまた赤くそこにあった。

 なのにリールに似合う色を、そして自分の色を与えたくて。

 身につけて欲しいと思って。

 選んだのだ。ああやはり誰にも見せるべきでなかった。


 赤い、と。自分が吐いた血を見てル・クリフは驚いた。

「あ…?」

 ほら耳を傾けるべきでしょう、というユング少将の言葉は聞こえなかった。傷を癒す聖属性の精霊『虹の織姫』がリールの血を受け止めてかわいそうにと嘆いているのは見えなかった。

「傷が、ふさがらない」

 何故と思っても胸が痛む。あんな小さな鉛の弾ひとつがこれほど痛いのか。

 リールが死ぬと思ったからか。


「簡単なことです、陛下。絶望は人を簡単に殺せる」


 ル・クリフが膝をついた自覚をしたのは、もう一度血を吐いて床を汚してからだった。

「その事実はしごく単純であるのに、ここに至るまでには少しばかり骨を折りました」

 痛い。息をするのが難しい。頭の中に熱がこもっていき思考が霞んでいくのに、手足の先から熱が奪われてゆく。

 痛い。彼女と弟は幸福であるべきなのに。


 いたい。

 うしないたくない。


「幸福を、知らなければ求める事もない。見聞を広める為など曖昧な理由では先帝は納得されませんでしたから、あなたをヴァイン行きに同行させるのも一苦労です。ですが王都でのお二人はそれは幸福に見えたでしょう?大変に美しい時間でしたでしょう?」


 虹の織姫たちは、美しい精霊姫をカワイソウと慰めてついにはユング少将にまでヒドイヒトと憤っていた。

 彼女たちの手によって傷口は癒えただろうが流れた血は戻せるわけではない、淡い黄色と翡翠の、金糸雀の羽は赤く染まっていた。


「失うという事は一度手に入れないといけません。ラ・パルス殿下が正当な手順を踏むように時間を掛けるように、整えるのもなかなか気を遣いました。優秀だというのは困ったものです。いかがですか、陛下。ご自身の部屋で飼う金糸雀はさぞ愛らしかったでしょう」


 織姫たちの可愛らしい抗議に微笑んだユング少将は、短銃を腰に戻してそれまで片腕で支えていたリールの体を抱き上げ。

 両膝を床に落として痛みに動揺している皇帝の前に、吐き出された血溜まりの中に、意識のないリールの体を横たえた。


「陛下ご所望の、リールミール王女でございます」


 遅くなりましたが、と五年越しの謝罪をユング少将はのうのうと口にした。しかし言葉はル・クリフ皇帝には聴こえておらず、捧げられたまるで屍体のような顔色の彼女をただ見つめていた。

 王の首を刎ねても力づくでも、奪ってこいと、命じたのは確かにル・クリフだ。

 あの時であったら、遺体でも首だけでも美しいと思えただろう。だが今。生きていないかもしれない姿を見るだけで。

 痛い。



(これを、望んだのは、私か?)



 痛い。

 どうせ死なない身体なら痛みなどなくていい。

 痛い。

 あたたかくて幸せに見えた緑の庭。

 ……痛い。

 愛してる人のいない世界では息ができない。


 息を、したくない。


「では、陛下のお望み通りに」

 血溜まりの上に横たわるリールの体を挟んで、膝をつきうなだれる皇帝の前でユング少将は立ち上がった。腰から短銃を再び抜いてがちりと撃鉄をおこした。

 死にたくない願いから生まれた無属性の精霊に、死にたい理由をくれてやるには時間がかかったが。


 今撃てば、この精霊はおそらく死ぬ。


 しかし引き金を引く前に暗闇に襲われた。

 視界を奪われたという比喩ではなく、皇帝の食卓であるこの部屋を「闇」が包んだ。

 目も見えず音も聞こえないが体の感覚がなくなったわけではない。ただ真夜中にふと目を覚ましてしまったように鈍っているだけで。

 かつり、と石を叩く硬質な音がするまでまともに動けなかった。

「あの黒猫が図に乗りおって」

 縞模様の猫紳士。闇属性の精霊『月の公爵』は忌々しく吐き捨て、持っていた装飾杖でもう一度石の床を叩いた。

 そうして暗闇が取り払われ正常に戻った視界で、すぐになるほどと理解した。


 艶やかな黒い毛並みの紳士猫。

 月の公爵に装飾杖を突きつけられた精霊は、戯けるように両手を軽く挙げていた。


 そしてレイリック・ユングのこめかみには彼が持つのと同じ帝国軍の短銃が当てられ、喉元と右の脇下には薄い刃の短剣が突きつけられている状況になっていた。

「待て待て待て。エル。気持ちはわかるがキーサの人間が手を出すのはまずい」

「では中佐殿。どうぞ」

「いや本心はヤっちまいたいけどさあ」

 でもなあと苦々しい顔をする馴染みの顔に、トライバル中佐に、ユング少将はふと笑ってしまった。この男は戦績は良いのに父も祖父もあんな戦闘狂なのに、どうにも人間くさいのだ。


 そのトライバル中佐と共に、短剣を威嚇ではなく本気で向けているのは白髪の、キーサ皇国のエル。

 この少年が闇の精霊『悪夢の伯爵』を傍に置いているのは調べがついている。正確には本人から契約を持ちかけられて裏を取ったカタチである。

 それを考えると、今朝方に到着したラ・パルスは「悪夢」をまとったこの少年だったという事だ。

 今のエルはキーサらしい白を基調にした衣服だが、『伯爵』の幻視をうけた後で、帝国に入ってから身につけた帝国軍章の外套だけ今も羽織った格好である。


 それではラ・パルス本人はどこにいるのか。


「どうしたものか」

「いやそれこっちの台詞だからな?皇帝陛下殺害未遂の現行犯だからな?」

「未遂?そう思うのか?」

 は、と中佐は間抜けな声を出した。皇帝が何者であるのか知っているトライバル中佐だからこそ、短銃の一撃で彼が死に至るという考えがなかった。

 それと対照的に、ユング少将の軍服の硬い襟の上を正確に狙って、エルの短剣が強く押し当てられた。少しばかり皮膚が切れただろう。

「帝国の混乱は大陸全土にとって好ましいものではありませんが。そんなことより。リール様は、ご無事なのですか」

 意識のないまま床に横たわる、本当に屍体のような彼女は。


「さて。本当に死んだかも知れぬな」


 月の公爵のヒゲが、ちくりとエルの頬に触れた。実体ではないので感覚があるわけではない。しかしそんな気配を察するほど近くに猫の細い目があったのだ。

 そのままであれば八つ裂きにされただろうが、公爵が「あの黒猫」と吐き捨てた闇属性の精霊はエルの依頼を履行中だったので免れた。

 エルの身を案じて守護するわけではなく、ただ依頼が終了していない、だから手を貸す。今回の身代わりを演じる件もそうだ。

 口元だけ白い黒猫の紳士は、自身の毛並みによく似た艶やかな帽子を被り直した。


「伯は以前から人に近すぎる」

「制約がないとつまらないではないですか」


 だから契約に縛られる方が面白いなどと、まるで夜会で交わされる会話のような優雅さで猫紳士たちは佇んでいた。

 こうなるともう人間が手出しできる領域ではない。そちらはお任せするとして。

 この現場をどうするかと。

「ーーーっ」

 脳内を全速力で回していたトライバル中佐の視界が飛んだ。耳を掠めた熱に白い火花が散った錯覚に陥った。

 目の前の胡散臭い金髪男から狙いを外すのも危険だが、今自分を撃った相手を排除する方が先だ。

 わずかに腕をずらして照準を変え、その先に、少将閣下の優秀な副官の姿を確認した。

(こんな室内で小銃持ち出してくんな!)

 お手本のような正しい姿勢で狙われている、あの副官なら照準はブレないだろう、晩餐の時でもないこの部屋には家具がなくがらんとしている、盾になるものなど。

「エル伏せろ!」

 レイリック・ユングくらいしかない。

 エルの短剣がその喉元から離れるのと同時に胸ぐらを引っ掴んで射線上に置いてやると、さすがに次の射撃はなかった。


 代わりに、がつ、と肩甲骨あたりに衝撃があった。

「ああ、弾を使い切ってしまった」

 あまり残念だと思っていなそうな、愉しそうな声が上から降ってきたなと。トライバル中佐が自覚したのは床に倒れてからだった。

 やばいこれは片腕が動かない、倒れた衝撃で片側の視界が悪い中、帝国軍旗がひるがえるのが見えた。正しくは旗ではなく、エルが肩から掛けていた紋章入りの外套が舞ったのだ。

 やめろ。やめろ構うな。とっさに声は出た。

 お前は姫の身だけ気に掛ければいい。あの皇太子の命令だけきいていればいい。そこまで言葉にする時間はなかった。


 銃声。それだけならまだしも。

 白兵戦もそれなりにこなすユング少将に肘を弾かれ、あいた腹を、狙えばいいものをこの男は。わざわざ、エルの手にあった短剣を逆手に回して振り下ろさせた。

 首の付け根。ほぼ喉に近い。

 ばっと飛び散った血を浴びてさらに視界が悪くなった。

(くっそ…!)

 彼はまだ15だといってなかったか。戦場で躊躇う余地など自分だって持ち合わせていないがそれでも、奥歯を噛んだ。


「閣下」

「そうだな。彼の遺体をここに残せるなら、私は先に行くか」

 後は予定通りに、と。

 軍靴が一足翻った瞬間に中佐は身を起こした。立ち上がるのではなく石の床に突き立てた片腕を基点に脚を振り回し、上官に近づいていたもう一足の軍靴を巻き込んで引き倒してやった。

 狭い場所で小銃なんぞ持っているからだ。それで殴打される前に手首を蹴飛ばしてそのまま踏みつけ、飛んだ軍帽から散った赤茶髪に宣告した。

「悪いな」

 決して謝罪ではなかった。

 勢いをつけてサルダン少尉の口に自分の短銃を突っ込み、そのまま引き金をひいた。


「ひどいな」

「貴様が言うか」

「お前とは士官学校からの付き合いだが」

 彼とはね、七日間戦争からなんだ。


 だからどうしたと吐き捨てる隙もなかった。エルが持っていた短剣は一本は彼自身の首に突き立てられ、ああ、これもう一本かと胸を押さえたが前のめりに倒れる事はできなかった。

 至近距離で受けた小銃からの勢いに押されて後方に吹っ飛んだ。

 床に転がったところでもう二発。腹と脚に当てたのはわざとなのだろうか。

 危機的状況に陥った事は何度かある、五年前、ヴァイン王弟と対峙した時などやばい死ぬかもと真摯に思った。

 だがあの時は隣にロクスウェル・フォロウがいた。


「公爵。歓談中失礼しますが、そろそろ出たいと思いますので」

「伯の契約者も死んだようだし、では行こうか」

 どこへ。

 皇帝の周りに軍人の死体が転がって、ついでにキーサ皇国の人間の分まで落ちていたら間違いなく戦争になる。だから遠慮なく少年に手を下した。

 キーサ飛空艇団が、恐ろしい個の戦力である獅子の獣人がまだ待機している、このままいけば開戦、そこまで秘密裏にエルを運べれば何とか引き伸ばせるかもしれないが唯一の頼みである闇の伯爵は興味なさそうである。猫は気まぐれなのか。


 死ぬ。ああこれ確実に死ぬ。


 目玉だけ動かすと仰向けに倒れたエルの、褐色の指がわずかに動いていたがそれが生存しているのかただの反射運動なのかここからではわからない。

 ユング少将は胸を押さえたままうずくまる皇帝の前に、横たわるリールの前に、恭しく膝をつくとそれはそれは大事そうに彼女を抱き上げた。

「では陛下。ーーーよい夢を」

 そうして闇の公爵と共に暗闇に呑まれるようにして退場した。マジで放置された。


 ーーー奪われた。


 この後ラ・パルスがあの腹黒変態野郎を仕留めれば打開できるかもしれないが、その前にこの状況が表沙汰になったらキーサとの戦争回避はできない。

 ヴァイン王国の時のような、奇襲作戦とは違う。なまじ皇国側に迎え撃つだけの準備がある。一度始まってしまえば容易には止められない。

 畜生と毒づいても体がまったく動かなかった。


 死ぬ時はラ・パルスの前かロクスウェル・フォロウの背中だと思っていたのだが、こんなものか。

 最期に見た姫さまがあんな血まみれだとか、なんて気分が悪いのだろう。

 せめて。と。


 蜂蜜色した石の床が、赤く、幾人もの血で汚れたそれとは違う赤い光にあふれたのを見ながらトライバル中佐は最期に深く息を吐いた。

 太陽を反射してきらきら光る水面のように、しかしそれ自体が輝く紅水晶は部屋を満たしてそして皇帝の前でヒトの形を取った。


「お主を羨むわけではない。だが惜しいのだ」


 その肉、死ぬなら我に寄越せ。

 『(あけ)の狡知者』の声に上向いたル・クリフ皇帝は、絶望に染まった世界の中で赤く輝く紅水晶に歪んだ笑みをくれてやった。



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