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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第7章 翡翠と紅
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10


 部下からの報告書を受け取って、ルイス・トライバル中佐はこれでも驚いたのだ。これでも。

 こういう事態になって、当初予定していたラウル王国ではなくキーサ皇国へ来られたのはかえって良かったんじゃないかな殿下にお友達できたし、なんて軽く考えていたのだが。

 キーサ皇国の諜報員がもたらす帝都内の様子は、それでもこちらに共有していい事項だけのはずだが結構ひやっとするほど正確だった。どこに紛れてんの。これを相手にしたくはないなと思えど今はありがたい。その意味もあってキーサで良かった。


 難攻不落の帝国の中心、雪華の塔内についてはさすがに難しいようでそこはほっとした。いやそこじゃない。驚いたのはキーサの諜報力ではなく、その塔内について確認させていた内容だ。

 塔の警備を含めた体制の変更や司令本部の様子もさながら、リールの処遇やラ・パルスが不在時の皇帝のご機嫌は帝国を左右するので貴族だけでなく使用人も含めて裏を取るようにと命令はしたが。


 何だこれは、と思った。


 たとえるなら、美しいが氷のように冷血な若き皇帝が、可憐で愛らしい姫君を得て温かさと笑顔を知り彼女を溺愛するようになる恋物語。

 うら若き乙女たちが好む本にこういうのあるんじゃないか。そうか自分は何を読んでいるんだっけとわからなくなった。

 若い頃は軍上層からの命令書などぞっとする内容に鳥肌が立ったことはあるが、軍関係の書類で砂糖を吐いたのは初めてだ。


 皇帝は日がな一日機嫌よく、そのおかげでまず精霊たちが塔内で好き勝手に悪戯する現象がなくなった。これはまあ翡翠の精霊姫がいるおかげもあるだろう。

 だが機嫌がいいのか、そうか、彼の機嫌が良いとはどういう状態だっけとトライバル中佐でさえ思案したので他の奴らはそれだけで驚愕のはずだ。


 そして自身の側近にすら執務に必要な言葉以外を発しない皇帝が、天気や気温などとりとめない事を口にするらしい。なのそれこわい。この夏に雪が降りそうだ。

 どうして天気の話かというと、雨の朝にル・クリフの髪が湿気を含んでぺたりとしていたのが姫にとって面白かったらしい。

 今まで気づかなかったが、どういう気候だろうと普段通りに仕上げる侍女たちの仕事に感心したそうだ。以前から使用人に当たるような人ではなかったが、まるで興味もなかったのにその発言だ。これは確実に雪が降る。

 そして自分は感じないが姫にとっては今朝は肌寒かったようだと、体感は個人でこうも違うのか男女でも違うのか、晩餐会や交流会で同伴される夫人たちへ配慮するべきだったとまで言ったそうだ。


 食を放棄していた皇帝にとって貴族たちを招く舞踏会も晩餐会も厄介な行事以外の何物でもなかった、それが持つ意味と効果を理解して利用していたから皇帝主催(その実はラ・パルスの采配)の夜会を催していただけだ。

 招くのだから皇室といえど配慮はすべきである、それが威信に関わる事もあるのだから。しかし準備をするラ・パルスや皇帝の機嫌を損ねたくない臣下たちからしてみれば、ル・クリフ皇帝基準で何事も考えるわけで。

 組織のアタマが考慮してくれるのが一番早くて一番効果的だよねうん、とは思ったけれど。

 続いた内容にも中佐はブホッと砂糖を吹き出した。


 帝国内の各領地や属国の特産品などただの物資として記号的に把握していただけだったのが、粗くだが再調査させているようだ。何か不正か税の横領か他国との交易で問題でもあったかと皇帝の執務室には緊張が走ったにも関わらず。

 ケトラ地方の織物があまり出回らないのは資源が尽きたのではなく後継者不足らしい、若い者が精巧な織物技術を受け継いでいないと言い出した。

 古くに皇室に献上されたその織りの壁掛け飾りを姫が見かけたらしく、とても素敵だと絶賛したのだという。

 今から織らせては社交の季節最後に皇室が催す夜会には間に合わない、さて近しい仕上がりができる技術者はいないかもしくは美しく染め上がる布はと一生懸命らしく。


 ダメだ。夜会に出すのはダメだ。


 婚姻関係でないただの側妃を皇室主催の正式な夜会になんか出したら、ラ・パルス殿下がかっさらう余地がほんの少しもなくなってしまう。

 皇帝にしてみればそう仕向けているわけだが、ただただ姫に何かしてやりたい男心な気もする。ううむ。


 その精霊姫、今では金糸雀姫と定着しつつあるリールは塔の中をお散歩は継続しているようである。

 しかも比較的自由に動ける通行手形としてロクスウェル・フォロウ大佐を伴っている、解せぬ、どうして自分が帝国にいる間にその役目をくれなかったのか。

 レイリック・ユング少将殿は論外として(ああ論外として)リールと知己であり内情を理解している特務隊所属の軍人で貴族区にいても交流できるなんて、ルイス・トライバル、とても適任じゃなかろうか。

 まあ、リールは淑女にあるまじき顔をするだろうが。


 それに軍部への噂の浸透率は金糸雀姫の美しさもさながら「フォロウ大佐が女性と共にいる」のが加算されている。

 あの仏頂面は貴族ではないがそこらの名ばかり放蕩貴族よりよほど礼儀を学んでいるので、優雅でなくとも卒なくエスコートするだろう。だが違和感。それが噂に拍車をかけるとは卑怯な。

 護衛としては適任か、薔薇のような姫の後ろに控えて地味でいいんではないか、大佐の階級にあるのは置いておいてそれなら良し。


 というかリールもリールで皇帝の部屋で小さく震えて囲われるか、寵愛を幸いと贅を尽くすかしてくれたらいいのに、しないよなわかってる。

 お散歩先で愛想を振りまき、私的居住区あたりの使用人を魅了し、突然やってきたどこの娘とも知れぬ寵姫に挑んだご令嬢や上級使用人を華麗に撃退したらしい。ああやりそうだ。やりそうだが大人しくしてくれないかな。

 ル・クリフ皇帝の元にいると決めたのだから陛下の役に立とうとか思っている。たぶん絶対そうだ。有能なくせにそういうところが根本的にお姫様思考だ。


 帝国式のお茶会を開いたのはアストリア夫妻を招いた一回だけのようだが、夫人とは手紙での交流はしているそうだ。それはつまりホーエンツォ国侵攻の表向きな連絡経路を作ったようなものだ。

 軍部の婦人会筆頭は貴族でもあるトルステン侯爵夫人、ユング夫人であるのでまだ接触してないようだが(この方レイリック・ユングのお母様である。三十超えた息子がいるとは思えない美魔女である)。


 まったく、責任ある立場も頑張れますって主張はしないでもらいたい。溺愛されてどろどろに溶かされて何もできないです無害ですって言っておいて欲しい。

 でないと飽きた皇帝が側室を下げ渡すって筋書きができないではないか。

 皇帝にひいては帝国に有益だと周囲が認知してしまったら、ル・クリフから本当に離れられなくなる上に、後継を生ませるために弟に貸し出されるだろう。公認で。

 ラ・パルスとそんな逢瀬しかできなくなる。

 それを一時の快楽と思うか悪夢と感じるか。どちらにせよ、あのお姫様は愉しめる性分ではないだろう。


 ーーーーで、だ。


 これらのどこをかいつまんでラ・パルスに報告するか、である。

 ちなみに、


 執務のため部屋を出る際にル・クリフが金糸雀姫の頬に口づけをした挙句、姫はしてくれないのかと強請って部屋を追い出された皇帝とか(私室前の特務隊部下より証言)

 女官ですら入室させない皇帝の執務室に姫を招いた上に、側近や書記官が土産の菓子を食べている間に姫のお膝枕で皇帝が寝ていたとか(執務室書記官より証言)

 夜の私室で(夜の!)ル・クリフの膝の上で天上の歌声を披露していた金糸雀姫とか(姫付きの侍女より証言)


 なんかは確実に却下だ。

 もちろん司令部内の動向や軍用精霊石の影響など大事な点はあるがそんな報告すぐ終わる。むしろこれまとめてきた部下も呆れるを通り越して途中から面白がってないか。

 人に完璧などないがこれって完璧っていうんじゃなかろうか、という印象のル・クリフだが、五年ほど前までもっと人っぽかった。だが彼が即位してから関わりを持った連中からしてみれば、青天の霹靂どころではない変化だろう。


 ともかく、ものすごく精査して伝えるには伝えた。だが元が砂糖蜂蜜がけの代物なので。

 ラ・パルスは前屈みで自身の膝に肘を立て、組んだ形の両手に顎を乗せた体勢で視線を落としていた。目の前の机を見ているようで見ていない。


「頭では理解していた。していたつもりだった。ヴァインのあれから確かに人の感情的な部分を抜け落とした言動をするようにはなったけど、それでも兄上だから。悪いようにはしない本当に愛してくれるって思ってたしメルにだってそう伝えた。溺愛。そうだね。まず朝起きてメルがいるっていう生活がもうね。純潔を穢さないと言っても触れないとは一言もないわけで、メルがそこにいたら触れるね?抱きしめるね?それ当然だものね?どうして僕がやりたいこと全部を兄上が、いや兄上だからなんだけど」


 ああ予想をちょっと上回る黒いナニかが溢れてる。

 何とかしてくださいご友人でしょとカレル皇太子を見ると、馬鹿こっち見るなと嫌がられた。ひどい。


「それにもう、本当にメルは……キーサにいた時より酷い。テオドル宰相と取引して協力しているって気持ちと違うからだな。積極的に確立しようとするのやめて欲しい。純粋に傷つく。これもう僕に捕まらない方がいいのかな、つかんだら離せないよ、何も一切何もさせずに一日中ずっと触れてぐずぐずに蕩けさせてやりたい。心情的にも物理的にも」


 ……卑猥な想像しかできないがたぶん合ってる。

 物理、ダメ、絶対。


「ねえ、カレルだってそう思うでしょう?」

 やめろ同意を求めるな。

「男としてわからなくもない、点はある。だが落ち着け」

「どうして僕が大義名分を持っている時のメルは幼かったんだろう。それも可愛かったけれど。カレルも思ったはずでしょう?どんなにキーサの軍事政変の誘発が優先事項だったとしても、それでもいつか自分のものになるって約束でメルがそこにいるんだ。自分の瞳の色のドレス着せて腕の中にいるなんて、ひどい優越だったろうね。それを手放せる?触れないでいられる?」

「確かにあれはゾクゾクしてたまらないっつーか、でもそういう話じゃ……あれ、そういう話か?」

「おおい皇太子殿下ー。負けるなー」

 危なかった。とりあえず深呼吸しよう。

 カレルとしては帝国と一戦交える気はないしあの国力に対して冷ややかな敵対などしたくない、できれば互いに有益な関係でありたい。

 しかしラ・パルス個人は嫌いではないし何よりリールの気持ちをよぉく知っているのでできれば叶えてやりたい、とは思う。


 思うが。うん。リール逃げて。


 それで、と女性が喜びそうなきらきら笑顔を向けられたが、カレルは胡乱な眼差しを返すしかなかった。

「カレルはどこまで協力してくれる?」

「……飛空艇団団長として可能な限りで、と陛下には頂戴した」

「破格だね。議会の裁決は?」

「六対四でギリ可決」

「軍を動かす予算も確保済みだ、ありがとう。対価の他にもカレルの誕生日の贈り物しなくてはね」

「すごくいらねえ」

「では、カレル団長。帝都までお願いしたい」

「……帝都まで?」

 ヴァインの中央政府を擁立するパークの街ではなく、帝国のど真ん中に。


 皇帝のいる雪華の塔には、いずれは出向かなければならない。自治州と銘打っているが一国に等しい、いやそれ以上の規模の土地だ。儀式的なものを省いたとしても、統治権をリィン皇帝より拝命する為には必要な手続きも対外的な体面もある。

 だがそれはヴァインに配置された帝国軍の現状把握をしてからではないのか。ラ・パルスではない者の思惑が広がっているならそれを排除してからでないと、そんなのは印章が押されたただの紙切れだ。


「だから、それを狩る為に」

「国境の検問で引き渡しでなく、ウチの艇で帝都まで運んでいいのか」

「そう。できれば塔の飛空艇発着場まで飛んでもらいたいけれど。それだと万が一の場合にキーサの飛空艇が囲まれるから」

「囲まれる予定があるのか」

「おそらくない。あったとしても小規模かむしろ陽動の為に騒いで欲しいくらいだ」

「結構な内容をさらっと言ってんな」

「自覚はあるよ。あとできれば、なんだけれど」


 ラ・パルスに呼びかけられて、茶器を運んだ台車の横に控えていたエルは瞬いた。驚いたのはその一瞬で、すぐに通る声で「はい」と返事をしたけれど。

「ねえ、カレル。飛空艇団団長の権限の範疇に彼は含まれない?軍属ではないのだよね」

「エルに役職はないが、テオドルの事があるからどっちかというと文官寄りだ。他国に紹介するなら皇太子の近侍だろうな。作戦に参加させるっていうなら今回は認められない」

「そうか、残念。彼と契約している精霊にお願いがあったのだけど」

 仕方ないねと口にしながら、ラ・パルスが視線を置いていたのは向かいに腰掛けるカレルではなかった。先ほどまでの冷ややかな色とは違う黒い目は、エルを見ていた。

 それに目礼を返してから、エルは膝を落としてカレルの前のカップを取り上げた。

「今まで散々連れ回しておいて、今更なんですが」

「……ウチの義弟がひどい。あれは俺の我儘であって軍事行動じゃない」

「確かにリール様の捜索はカレル個人のもので、表向きには初恋拗らせた皇太子殿下の職権濫用です。必要な者以外にはそう信じてもらえてますけど」

 台車に戻したカップとは別の、白磁の器に改めて注いだ紅茶をエルは差し出した。

 カレルは拗ねたように唇を尖らせていて、ソファの向こうで甘ったるい報告書をぱたぱた揺らしていたトライバル中佐は「なるほど」という顔をしていた。


 中佐もぞっとしたキーサ皇国の諜報活動のほとんどは、飛空艇団が担っている。

 皇室直属の、存在自体が秘匿されてる機関もあるがこれは軍の系統からは完全に離れたものだ。

 飛空艇団所属の全員が諜報員を兼ねているわけでもないが、カレルやレオポルト副団長が率いて時折編成される特別分隊が国内外に出動するのは大概がその意味を含んでいる。その機動力や少数での市街地戦に即時対応ができると、それを売りに飛空艇団の設立を認めさせた経緯から団内でも重要な任務である。

 視察とか調査とかそれらしい名目で出る場合もあれば、エルが言ったように皆が信じていたようにカレルの職権濫用という隠密行動の場合もある。

 まあ、行方の知れなくなったリールミール王女を捜索していたのも事実で、ちなみに、カレルとリールが国境の町ファルマで出会ったのもこの任務中の話である。本当に!見つけたんだ!という団員たちの叫びは心からの叫びだったという。


 なので、エルにとっては今更なのだ。

 飛空艇団所属になってしまえば、今度はそちらの規約に制限されてしまう。とにかくカレルの一番近くですべてを担う為に、副官という役職ではなく側近というか護衛というかお世話係というか、そういうものをこなしてきた。

 物理的な最終手段だと紅い髪をしたリールに説明したのも懐かしい話だ、それをラ・パルスが行使したいというならそれは主人であるカレル次第であるが。

「僕が動く名目なんていくらでも作れるでしょう。カルラのことなら、それこそ、余計なお世話です」

「……ウチの幼馴染みがひどい」

「もういい、とは言いません。僕が愛しているだけで満足するならこんな形で引き止めていません。僕が愛するだけカルラにだって愛して欲しい、だけどカレル、……カレル様。あなたより優先するものも、そうないのです」


 ああ、この親友はひどい。

 妹と友人がせめて穏やかにと計らおうとしたのに、いらないですって返された。


「では、ラ・パルス殿下。作戦前に『悪夢の伯爵』をご紹介致します。ご都合はいかがでしょうか」

 そして黒い皇子様に対する態度のがよっぽど慇懃なのが気になる。

 理不尽。



ようやくラスボス戦になります

ようやく


なのでしばらく流血続くと思われます

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