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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第1章 紅と黒猫
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7


「え? …リール? えぇ? ……その色」


 っていうか声。

 リールの顔から出ているのに、低いけれど女性の声にしか聞こえない。


 ため息を吐いた後、片手で顔をおおって「もう疲れた」みたいな様子なのでやる気なく低いだけで、もしかしたらもっと普通の女性らしい声なのかもしれない。でもリールなのに。

 びっくりして穴が開くほど見ているとたくさんの違和感に気づく。

 なんだか服が余っているようで、けどきつそう? 女性が男性の仕立ての服をそのまま着たような、体の線に合っていない印象。

 そこにいるのは間違いなくリールなのにどこか、どこも全部違っている気がする。


 少尉に抱えられたまま、白い小動物をつかんだまま、瞬きも忘れて凝視するアヤの前で、おそらくリールだろう人物は膝を折ってストンとしゃがみ込んでしまった。アヤたちと同じ高さになった。

「ああもう、油断したからまともに悪夢喰らった… 少尉も、あの腹黒大佐を信用するのやめなよ…」

「信用、という言葉では語弊があります」

「献身と服従とでも?」

「それもやや、違いますね。陛下に向けるなら正しいのでしょうが」

「少尉、目を覚まして。アーヤに『いいひと』認定されるくらいなんだから、もうちょっと真っ当に生きられるよ?」

 そこで、サルダン少尉が薄く笑うのをアヤは初めて見た。

 確かに笑んでいるのに言葉での返事はなかった。


「アーヤ。その子、放さないでね」

 たぶんリールだろう人物から注意された。白い小動物はアヤの手の中から抜け出そうともせず、わりとおとなしくしていた。

「放したら、秒で死ぬから」

「…物騒!」

「事実だから。少尉もできるだけアヤの傍にいてね、腹黒大佐の精霊石くらいで完全に無効化できるか怪しい」

「あなたからの信用度がガタ落ちですね」

「4年前から地の底だけど、さらに下があったか。さすがユング大佐」

 まったく話についていけないが、二人が大佐についてだいぶヒドイ事を言ってるのはわかった。

 しゃがんでいたリールはどうにか持ち直したのか、自分の膝に手を置いて力をこめると、緩慢に立ち上がった。


 広間の中央あたり、リールの視線の先には美しい女性がひとり、立っていた。

 月の光を受けて光る銀色の髪。比喩でなく透き通る肌。

 緋色の女王に続き、アヤでもはっきり見える精霊は、薄い衣をまとった小柄な女性の形をしていた。


 『虹の織姫』。聖属性の精霊である。


「彼女の現象は逆行。何もかも時間さえも。今回の範囲はたぶん、…研究所全域だろう、街には影響ないと思うけれど」

 それは確かめてみないとわからないね、とリールは言った。


 彼女たちはその場にいるだけで現象を起こすが、己の意思で発動することも可能らしい。

 広間の壁を含み、建物がリィン帝国が補強した鋼の壁のままであることから、今回の彼女は意思をもって「人」を対象としていると考えられた。

 人の「肉体」の逆行。胎児にまで戻ってさらには生命誕生の瞬間より前に戻ってしまえば消滅してしまう。

 広間に残っていたはずの、白衣の男はどこにもいなかった。逃げた、とは考えられない。


「その子、シシィはね、『隠す』という現象しか起こせない。だがそれに関しては絶対だ。織姫の認識からも隠すことができる。少尉は腹黒大佐から識別の精霊石をもらってるみたいだけど、もう一度言う、怪しいから二人とも一緒に行動して」

「信用度…」

「なーいーね。そんなもの」

 怒るとか呆れるとかでなく、拗ねた子どものような表情でリールは言った。やはり、あの大佐に対しては幼いわがままに近い物言いをするようだ。

 それって普通なら甘えてるとか気を許しているとか、そういう事だろうに、信用度は地を這っているらしい。わからない。


 とにかく建物を出て影響範囲を確認することになった。彼女がどの程度ここに留まっているかわからないので、影響の範囲外に出ないことには何もできない。

 この時、ふたりいっしょに、をどう遂行したものかアヤが考える前に、少尉は「失礼」という言葉と同時に横倒しでアヤを抱き上げた。

 見た目が普通の男の人と変わらないと思っていたし、炭鉱の男や鍛冶師のおっさんの方がゴツいと思っていたのだが。

 いやすみません軍人さんの筋肉半端ない。

 白い小動物を両手で捕まえたまま、自分の体を支える手伝いを一切しなかった(できなかった)アヤを、軽々と運んでいた。見た目は横抱きなのに土嚢を運んでいるような図だ。色気はない。


 研究所内は、本当に誰もいなかった。

 広間から先に飛び出していった白衣の眼鏡の方も、お腹をぎゅっと詰めるのに失敗した所長も、廊下を歩いていて見かけた人たち誰一人いなかった。

 その中に、もしかしたらあの人もいたかもしれない。

 アヤの父親を友人と呼んでいた、口は悪いけれど心配してくれていた。今回の逆行で消えてしまったかもしれないし、それよりもう、ずっと前にいなかったかもしれない。


 アヤはどうしてか、あれが「夢」であり「過去」であることをすんなり受け入れていた。


 父親がもういないと知っても、今までと変わらず少し遠い出来事のように感じられた。それでも事実を知ることができてよかった。たぶん、きっと、もう、なんて自分の考えに振り回されることはなくなる。

 それから、

『油断したからまともに悪夢喰らった…』

 リールもおそらく、過去という事実を夢にみたのだろう。

 それを悪夢と言うのはどんな過去なのか、それは彼にしかわからないが。今のリールは本当に「彼」なのか判断できない。というか、おそらく違う。

(でもどんなに美形だっていっても女の人に見えるわけじゃないし。それに手、つないでも、馬乗ってたって普通に絶対男だったはずで)

 違うだろうに、わからない。

 混乱でぐるぐるしているアヤの思考を置き去りに、一行がエントランスまで戻ると、リールが苦虫を潰したような顔をした。

 制服の一部である白い手袋をはめた手を持ち上げ、ぱらりと指先を動かす。


「やあ、」


 ユング大佐の仕草が、昨日司令部でリールが見せたものを真似たのだとすぐにわかる。

 両開きの扉を開け放ち、それを背に、まっすぐ立っていたユング大佐の後ろには女性がふたり控えていた。ひとりは太陽の色の髪、ひとりは大地と同じ色の髪、美しい容貌だが並んでいても髪色以外は見分けがつかなかった。


「…司令官殿は暇なの」

「あなたに会うために時間をつくってわざわざ足を運んだのに、ずいぶんな言われようだ」

「……とりあえず織姫たちには還ってもらわないと、どうにもならないんだけど?」

「そうだな」

 また軽くあげられた腕は、リールに向かうものではなかった。


 美しい女性の姿をした精霊たちは、背後の空に腕を伸ばして姉を迎えた。

 月の光の髪。広間でたたずんでいたはずの彼女は、妹たちに迎えられ、お役に立ったかしら?とばかりに微笑んで去っていった。ずいぶんと愛されているようだ。

 ユング大佐だけが残されたのを確認し、少尉は腕の中で混乱中の黒猫を床に下した。

 アリガトウと片言でアヤが伝えると、少尉は胸に拳をあてようとして、やめていた。

 代わりにその手をアヤの黒髪に置いて、わっしわっしとかき回して満足げに頷いた。こっちはこっちで仲良しだ。


「あたまいたい…」

 精霊の脅威が去ったのでアヤは手の中の小動物を放してみたが、白いリスのような動物はそのままアヤの腕を伝って肩に落ち着いていた。動物、でなくて精霊だとリールは言ったが、見えるだけじゃなくて物理的に触れるし重さがあるんですけど。

 そうでなくとも色々説明!と今は金色のリールを見上げたが、あたまいたい、の言葉通り非常に面倒くさそうな顔で取り合ってくれそうになかった。

 サルダン少尉は大股に歩いて上官の前でびたっと止まり、正しい敬礼を捧げてから傍に控えるように立った。


「人に悪夢をみせておいて、相変わらずだね」

「織姫がみせるのはあくまで過去です。もしくは事実だったものでしょう」

「…そこで口調変えるのやめて」

「誰がどんな過去を『みる』のか私は存じません。ただ、陛下のお言葉を伝える役目を賜りました」

「うんわかった、腹黒っていうか嘘つきだ。君たちは」


「お迎えにあがりました。―――王女殿下」


 今さら? と、彼女は笑った。

「だったらどうしてあの時に皮を剥いで物言わぬ状態にして、皇帝の前に引きずり出さなかったの」

 リールの言葉にぎょっとしてアヤがとなりを振り仰ぐと、あの時と、大通りで男の首を斬ろうとしていた時と同じ顔をしていた。お人形のような無表情。だけど今は翡翠色の目を彩るのは黄金色だった。

「皇帝陛下のご命令は、王女殿下をお連れすること」

「でも君たちはしなかったね。多少は可哀相だって思ってた?」

「いいえ。それは私の感情ではなく、ラ・パルス殿下の意思でございます」

 お人形が息を呑んだ。動揺、ともとれる変化だった。

 ラ・パルス。それは帝国にいる皇弟の名前。

 黒い髪に黒い目、雪が積もった白い肌、男女ともに認める整った容貌だと聞くけれど。ユング大佐がその皇弟を名前で呼んだ事実よりも、アヤには気づいてしまったことがある。


『僕ね、黒髪黒目って好きなの』


 それって自分の話じゃなかった!残念だ!

 残念だなと思ったことに気づいた。


「……リール!!」

 突然腕を強くつかまれて、さすがのリールも不意を突かれた驚きの表情を向けた。それが人形じみた表情でないのを確認し、アヤはきれいな翡翠色の目玉をまっすぐ見つめた。

「うちのクソ親父の行方、あれだったけど、結果を知ることができた! リールのおかげだありがとう!!」

 それを言っただけなのになぜか息切れした、大声だったのもあるが、ひどく緊張したからかもしれない。ありがとう。報酬もちゃんと払うけどまずは言いたかった。


「リールでよかった。ありがとう」


 腕をつかまれまくし立てられて、金色のリールは少しの間きょとんとアヤを見下ろしていた。

 それから諦めたように力を抜いて表情を緩めて、よしよし、といつものように黒猫の頭を撫でてやった。


「あのさ、……レイ」

 視線は移さず、大佐を呼んだ。

「はい」

「僕は行かないよ」

「…はい」

「いや。うん、そうだね。レイをよこさずに、自分で来てくれたら考えてもいいよって」


 言っておいて。


 ユング大佐は、右拳を胸にあてる礼をしてから踵を返した。その背後を守るように少尉も続く。当たり前だけれど、一度も振り返ったりしなかった。

 頭を撫でてくれたのが最後だったかと、アヤは自分の頭をぽんぽん叩いて確かめた。

 それをリールが笑って見ていた。


 きれいな、金色のお姫様。

 翡翠の精霊姫。


 沈んだ草色の軍服を見送るわけではないが、それなりの時間、エントランスの扉から外を眺めていたリールが口を開いた。

「実はちょっと、自分とは遠い出来事の気がしてた。アーヤみたいに」

 国立研究所の敷地は広大。とてもとても広い場所に、今はリールとアヤしかいないのが確実だからか、突っ立っているアヤに彼女は話してくれた。


「僕は、陛下妃殿下の首も叔父上の亡骸も、実際には見なかった。シシィは、…青玉の賢者は、僕を『隠すこと』を願ったから」

「シシィ? こいつ?」

 肩にいた白をひょいとつかんでさしだす。精霊というより可愛い愛玩動物にしか見えないが。

「そう。青玉の賢者が死ぬ瞬間のエネルギーから生まれた精霊、たった一つの願いからできているのが無属性の精霊だ」


 自然界に属するのではなく、生物の死から生まれる精霊。

 伝説級どころか世界の賢者たちくらいしか知ることのない存在。白いリスのような精霊は、アヤの手の中から抜け出すと、リールの頭に向かってぴょんと跳びあがった。

 そして、瞬いただけの後には姿が見えなくなっていて、金色のリールもいなくなっていた。


 血が滴るような紅い髪、けれど翡翠の瞳は同じだ。

 だからリールだなと思って、アヤは笑った。話はだいぶ重いはずだが、嬉しかったので笑ってしまったのだ。


「王女様が王子様になってたら、そりゃ気づかれないよな」

「偽者賢者の件で、帝国軍ていうか腹黒大佐に鉢合わせた時はさすがに気づかれたけど」

「腹黒大佐で決定なんだ。知り合い? なのか?」

「んー… レイは、皇帝が皇太子だった頃の護衛で。だからヴァインに来る時は一緒に来てたね」

 顔の造形が変わってるわけじゃないからとリールは言った。それにしたって男女の差があって気づくものだろうか。疑問を口にすると、これもまた面倒くさそうな嫌そうな顔をされた。

「あの腹黒ねえ、見ての通り聖属性にすら交渉できる精霊使いだから。そういう誤魔化しできなかった…」

「もはや階級なくなった。リールとおんなじくらいすげぇの?」

「さあ? アレは好かれるのも嫌われるのも全力の、両極端な例だから。それは人も精霊も変わらないんだろうね」

 肩をすくめて、まるでいつもと変わらない様子でリールは言った。

 それがやっぱり嬉しい。


「それで、」

「ん?」

「アーヤは、僕への依頼料はどうするのかな?」

「あ、あぁー…」


 忘れてないし踏み倒す気もないけれど、明確に金額を聞いていないから思わず目が泳いだ。その反応が想定内というか理想的というか、リールは目を細めて微笑むと無駄に整った顔を黒猫に近づけた。

  近づくだけでもなかなかの攻撃力だというのに、無駄にきらきらさせるな。

「ちかいちかいちかーいっ」

「僕が女の子だって知ってるんだから、大丈夫でしょう」

「いや今は確実に男だから?!」

「うーん、『どこまで』男性体なのかきちんと確認したことないな、そういえば。 …試してみる?」

「ナニを?! えっ違うイイデス遠慮します言わなくていいからな!」

「とりあえず一生かけても払う気があるようなので」

「それは! あるけど!」



「だったらまず、僕とおいで。アーヤ」




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