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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第1章 紅と黒猫
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6


「リール殿。あなたの交渉段階で最高位の精霊に呼び掛けていただきたい。結果、有益であれば研究所で存分に力を発揮してもらいましょう」

 何をもってそんなに自信満々なのか、アヤを盾にとったからか、白衣の眼鏡の方が言った。


「有益でなかった場合は?」

「大佐殿の命令です、その可能性はないでしょう? むしろ、我らもそれを望んでおります。もしもの場合は、残念ながら献上しなければなりませんので」

「……献上されちゃうのかあ」

「聖属性を扱える賢者を集めよ、など。皇帝陛下も無理を仰る」

 つまり、サルダン少尉が黒猫を拘束して人質まがいの協力をしているってことは。


 「賢者を集める」っていう陛下の命ありき。

 ユング大佐から、研究所宛に「可能性があるのを送るから研究所で鑑定しておいて、違ったら好きにしていいから」なんて連絡があったのだろう。

 そしてできるのに隠す、という選択肢を潰すためにアヤを盾にとるよう指示をする。もしかしたらアヤくらい抹消して怒らせてもいい、くらいは言ったかもしれない。そこを人質程度で済ませているのはサルダン少尉の判断な気もする。

 なにせユング大佐なので。


「腹黒いっていうより融通がきかないっていうか」

 面倒だなあと、リールは後ろに流していた前髪を、白い手袋の手でかき回して乱した。自分の紅い髪の間から、しゅんと落ち込んだ様子のアヤが見える。

 契約をした。アヤは父親の行方を知りたいと言った。

 この状況からどこへ持っていこうか考えながら、リールはひとりで広い部屋の中央に向かって歩き出した。けっこうな広さだ、貴族の屋敷でパーティーが催される感じの広間のような。

 そういう例えがまだ出てくる自分が一番面倒くさい、と。リールはやや進んでから腰の剣を抜いた。

(聖属性。……今は、無理だな)


 怒れる水龍が河を氾濫させるように、機嫌を損ねた風の虎が竜巻を呼ぶように、精霊たちは世界にあるものに属している。だから聖属性と呼ばれる「彼ら」は人が勝手に分類したものである。


 癒しの現象をもたらす精霊を、人は聖属性と呼んでいる。


「うーん。とりあえず『女王』に相談してみるかな」

 抜いた剣を持ち上げて、その先で壁に掛けられた松明を示す。

 すると、燃える炎が風にあおられたように大きく揺らめいた。

 次の瞬間には天井を覆いつくす勢いで炎が広がり、広間の温度が一気に上昇した。火の粉が触れたわけでもないのにあまりの熱に皮膚が肺が焼けたかと思ったが、瞬きの間の出来事だったので実は全員が無事に済んだ。

「うえ?なに?」

 状況を呑み込めないアヤを置き去りにして、白衣の男たちはあれだけの炎と熱にも関わらず冷や汗が噴き出た。

 広間の天井をおおった炎は今は凝縮され、鳥のようなカタチをつくる。


 『緋色の女王』。火属性の最高位。


 はっきりと鳥の形とわかるのに輪郭は燃える炎のように曖昧で、それが「彼女」が炎の塊であることを示す。遠目には白い鳥に見えるが、頭のてっぺんや羽先など青く燃えているようだし黄色く赤く揺れていた。

 今の大きさは狩りに使う鷹くらいだろうか。それも彼女本来の体ではない、リールの腕で休める大きさと緋色の女王が望んだからその形にある。


「俺にもはっきりくっきり見えるんだけど…」

 先ほどの熱風でも緩まなかった少尉の拘束の中で、アヤは息をのんだ。

 そして心なしか胸の奥が熱い。感動の比喩ではなく物理的に。それが上着にしまっていた父親の精霊石だと、ちょっとだけ見当はついていた。


 見える、という事実に驚くアヤと違って、白衣の男たちはあからさまに狼狽していた。

 賢者とは幻でも噂でもなく実在するものであるが、この世界でそうそう出会うわけでもない。なので、司令部から先触れをもらった時は皆でどの程度有益な精霊使いかを見極める、といった態勢であったのだ。

 聖属性を扱える賢者が来るなど欠片も考えてなかったがそれにしても、属性最高位を複雑な術式も詠唱も媒体もなく召喚するとは。

 素晴らしい!と諸手をあげて喜ぶこともできない事態だ。

 属性最高位の精霊など聖属性と並んで伝説級。制御できなければ、パークの街は七日間戦争の被害など比ではなく一瞬で灰になるだろう。


 リールの腕から彼女が翼を一振りして飛び上がると、男たちは「ひっ」と悲鳴を呑み込んだ情けない声を上げた。一人は眼鏡が落ちないようなぜか必死で押さえていた。

 緋色の女王はただリールの肩に移動したかっただけで、紅い髪に埋もれるようにまたおさまるとクルクル鳩のような鳴き声で懐いていた。

 それを確認したリールは剣を鞘におさめ、白い体をよしよしと撫でる。紅い髪が彼女の炎と絡まって、まるでリールの髪が燃えて揺れているようにきれいだった。


「……リール」

「ん?」

「それ熱くないのか?!」

「よし。着眼点がアーヤらしいぞ」


 熱くないよ大丈夫、なんて軽く言いながらリールは肩に精霊をのせたまま、距離を詰めるべく戻ってきた。

 近くで見るとさらにきれいだなあ、近づいても本当に熱くないや、とアヤが驚きと好奇心できらきらしている横で。白衣の男たちは顔面蒼白で後ずさった。害虫を見つけて逃げるような、すごい勢いだった。

 それに対して、リールは先ほどのように花を咲かせるような笑顔を向けてやった。

「研究所の皆様は馴染みでいらっしゃいますね? 緋色の女王が応えてくれましたが、さて、これで僕の価値はどれほどでしょうか」

 嫌味だ。めっちゃくちゃ当てつけだ。

 ああ、とか何とか言葉にならない声でうめいた男が少々気の毒になったのはアヤだけだった。リールはとても、とっても楽しそうだった。

「所長にご報告いただきまして、僕の処遇をご検討ください。それから、健気に独学を続ける錬金術師見習いに情報の開示をお願いします」

 そこでねじ込むのか。

 すっ飛ばした論法だが、まあ、精霊使いの肩に火の精霊がのっている限り話は通りそうだ。


 眼鏡の方が勝手に身をひるがえして階段を駆け上がり、残された方は「ずるいぞ抜け駆け卑怯!」みたいな顔で取り残されていた。

 この時に、サルダン少尉の片手が動いて突きつけられていた短銃が引かれた。そういえば今まで人質だったと思い出したアヤが、顎をそらすようにして見上げると。

 鳶色の目がアヤを見下ろしていた。


「いいですか。何があっても、絶対に、自分から離れないで」


 だから腕、まだ放してくれないんだ。

 なぜだか納得した瞬間、わあん、と耳の奥がふくらむような感覚が音となって響いた。

 それに緋色の女王が反応する。

 彼女は胸をふくらませてから翼を大きく広げ、飛び立つと羽の一振りごとに炎の体を大きくさせて広間をおおった。だが出現時のような熱はない、白い炎に優しく包まれているようだった。

 それをさらに包むように。

 広間をおおう炎を両手にすくえるほどの大きさをした、人の手、に見えた。

 高い高い天井から伸びた人の腕らしきものが、緋色の女王を撫でて包んで還してしまった。

「前言撤回だ」

 巨大な人の腕が伸びて、ゆっくり下りてきて、広間の土をすくうような仕草を見せた。

「大佐はやっぱり腹黒い」





 アヤの母親は元気な人だった。

 中央の国立研究所に勤める父は、錬金術師の称号をもっていたので他の人よりちょっとお給料がよかった。だからそんな必要はなかったのに、街の食堂で働いていた。生活の足しに、というより動いて働いて人と話すのが大好きだったからだとアヤは知っていた。

 家のことを終えると母親は食堂に行き、もちろんアヤも連れて行った。

 そこで手伝いしたり客と話したり可愛がられたり勉強を教えてもらったりした。父が休みにならないと帰ってこない人だったので、食堂の客、ひいては街の皆に育てられたようなものだった。もちろん父親も好きだったけど。


 その日は食堂の買い出しに母が出ていた。アヤは店の前で帰りを待っていた。

 通りの向こうで手を振る母の姿を見つけて立ち上がると、目の前を信じられない速度で馬車が通り抜けた。馬が興奮して手がつけられず、乗っていた人も怪我をしたんだと後から聞いた。だけどたぶん、車輪に巻き込まれて一瞬で放り出されてぐちゃぐちゃになってしまった母親の方が痛かったんだろうと思う。


 街のみんなが泣いてくれた。葬儀での父親なんかは号泣で、アヤは最初ちょっと泣き出すタイミングを逃したりもした。最後は一緒にわんわん泣いたけれど。

 それからも、簡単に職を変えられない父親は研究所に勤め、アヤは食堂のみんなのおかげで家事や読み書きができるようになっていたのでそれなりに暮らしていた。


 だけど今度は空に鉄の鳥が飛んで、帝国軍が研究所を焼いてしまった。

 またか。そうか、また失くすのか。

 ずっと父親が戻ってこないアヤを心配した近所の人が、彼女も研究所勤めの旦那さんがいたので、街の組合に捜索願を出すため一緒に行ってくれた。確かに帰ってこないけれど、だったら探さなきゃ、となぜか強く思った。


 母親と違って、目の前で起きた事実ではなかったからか。


 どんだけ心配させるんだ、会ったらぶん殴る、会えるまで諦めない。

 生きてなかったら泣いてやるから。


 どこで何してるんだとアヤはずかずか廊下を歩いていた。

(廊下? どこの? わりと最近見た気がするけど)

 白い石造りに絨毯。けれどその先からは絨毯がなくて、長年人が歩いたために汚れたり削れたりしていた。廊下の先には部屋、扉とガラス、白い丈の長い上着がお揃いだ。あれと一緒だ。精霊の交渉術を石に刻む精製師たちと同じだった。

 アヤの父親は錬金術師、金をつくるとかすごい名称だなあと父は自身で笑っていた。みんなが便利に暮らせたらいいねと、料理でちょっぴり火傷したアヤの指を見てしみじみ言うような人だった。

(あ、…ちょ!)

 そんな父親が、何やら分厚い本を重ねて持ち上げようとして、…断念していた。非力なんだからやめろよ腰悪くするぞ。


 って場合じゃない。なにやってんだクソ親父!


 生きてたなら連絡よこせ帰ってこい! 本当にぶん殴ってやろうとアヤは手を伸ばし、扉を突き抜けた。

 状況がわからず振り返って廊下が見えるガラスに顔を突っ込んだら、廊下に出た。なんでしょうこれ。試しに、(いきなり父親は怖かったので)手近な人の腕をつかもうとしたらすり抜けた。白衣をつかめなかった。

 だいたい、アヤがぎゃあぎゃあ部屋の中に突入しても誰も彼も通常運転だ。


 よし。見えてないらしい。


 大雑把な結論だがそれ以外に着地のしどころがなかった。

 向こうからアヤは「ない」もののようだが、周囲のことはいたって普通に把握できた。窓の外は青空で、部屋の中は埃臭くて、人たちの話す声だって聞こえた。


「お前なあ、本当にやるのか?」

「できるとは思ってないけれど。皇帝陛下の命でもあるし」

「陛下、…陛下ね。そんなもんクソくらえ」

「友人が軍に捕まるのは避けたいな」

「友人が精霊に喰われるのをやめさせたいね」

「もしかしたら、万が一の奇跡が起きて、私が賢者になれるかもしれないだろう?」

「んなワケあるか! 生き残った中で、確かにお前が一番の錬金術師だがな。それで賢者になれるか? あ? 皇帝陛下はそういう術者を排除したいから首切りしてんじゃないのか。じゃなきゃあん時だって研究所が目標になるのは」

「ああ、そこまでそこまで。本当にお前が捕まっていいことはない」

「今も一緒だ。外部との接触通信すべて遮断されて軟禁状態、出るには成果をあげなきゃいけない。けどお前は」


 子供どーすんだ。


「奥さん亡くしてひょろひょろになってコイツも死ぬんじゃないかって時に、迎えに来てた子。いるだろ」

「アヤは奥さんに似て何でもできちゃうから、あんまりかまってあげられなかったなあ」

「置き去り前提の会話禁止! 生き残れ! 賢者にでもなんでもなれ!」

「もしなれたら、…アヤに会いに行ける」


 賢者になって、聖属性と交渉ができれば帝国に優遇される。

 研究所に軟禁される状態から抜けだして、もしかしたら家族を迎えに行けるかもしれない。だから断らずにそんな仕事を受けるとか危険が大きすぎるだろうと、友人は言うのだが。

 結局断ることはできないので。結果は同じだった。



(―――父さん!!)



 手を伸ばしてもすり抜けて、つかめなくて、小さな段差から落ちたみたいにがくん、と体が揺れた。

 何度か瞬きをしても状況が確認できず、視界いっぱいを白い色が支配していた。

 近すぎて見えない、と思っているとその「白」から、ちょん、と鼻先にやわらかいものが当たる感触をもらった。

「えー……」

 っと。

 どういう状況か。

 まず、背後からサルダン少尉に抱きかかえられるようにして支えてもらっている。

 土を盛った床に尻もちをついているが、寝転がっているわけでない。そんな格好のアヤの胸に、その「白」はいた。


 大きさや体はリスのようだ。

 けれど一般的に知られるリスより体毛が長く、ふわふわだ。けれど耳だけが長くて、まるでウサギのような耳だった。つぶらな目玉がくりっと動いてアヤをとらえる、それが真っ赤、前足が頬に乗ったら猫のような肉球があったのでリスそのものではないらしい。

「お前、…どっからきた」

「意識はありますね。大丈夫ですか?」

「あー、うん。しょういは」


「夢をみた?」


 少尉に言おうとしていた言葉を、他から投げかけられた。

 落ち着いた、やや低いともいえる女性の声にアヤは顔を上げ、思わず白い小さな生き物をきゅっとつかんでしまった。

 白いそれは触ると本当にふわふわでやわらかくてあったかくて、小動物好きならかわいい!と声をあげて頬ずりしそうだがアヤはそれどころではなかった。

 目の前いっぱいに白があったと思ったら、その向こうにいたのは金色だった。


 朝陽が昇ったすぐの眩い光を集めて糸にして、きれいに織りあげた黄金の髪。

 長い睫毛に縁どられた、星を砕いてちりばめたように輝く翡翠の瞳。

 神様が理想的に並べた美しく整った容貌。


「え?…リール?えぇ?……その色」


 どうした、と。

 問いかけというより戸惑いの言葉に対して、リールの顔をした金色の人は盛大にため息を吐いた。



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