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宰相夫人のお茶会からひと月余り。
あれからすぐにカレル皇子の婚約者が決まったと公式に発表がされ、街ではあれ?まだしてなかったの?まあいいかめでたいね!みたいな雰囲気になった。皇子が騎馬で飛空艇団に向かう道すがら、今までも民から声がかかる事は珍しくなかったが、それがいっそう多くなったそうだ。
好意的な民衆の声に反して、議会はざわついた。議題にのぼる事もなく決定された事項に意を唱える声もあったそうだ。しかし皇族の婚姻に関しての法をつらつらと並べ、婚約者という立場については曖昧な扱いでしかない法の隙間を縫った宰相の弁に、言い返せる者はいなかった。
そうして晴れて(?)カレル皇子の婚約者となったリールミール姫に、白金の宮から召集があったのは当然と心得ていたのでつつがなく宮に上がると。
皇后に目通りしたものの、すぐさま宰相の所へ連れて行かれた。この時のアルジビェタ皇后が華やかな存在感でにやりと悪巧みをしていそうな顔だったので、何かあるとは思ったけれど。
「姫様。お待ちしておりました」
宰相というより、大量の仕事がリールを待っていた。
テオドル宰相いわく、この国を知っていただくには私の仕事を把握するのが一番早い、だそうで。いやそれ仕事手伝えってだけだよね、部外者にさせていいのか、飛空艇団にも言ったがこの国人手不足なの?と雄弁に語るリールの顔を見て宰相はけらけらと笑い、執務室内の他の人間は素直に謝ってくれた。
初めは文書の清書から始まり、嘆願書を含む手紙類の仕分け、国外へ宛てた書面の翻訳、そしてここにきて数字の並んだ書類までも渡されて計算する羽目になり。
できるけど。いちおうどれもできるけども!と、褒められても嬉しくない状況になっていた。
これは、皇空座で多忙の皇后がみずから妃教育をするとは思っていなかったが、それでも予想の斜め上をいかれた。
確かに、各部族から上がってくる嘆願書には今のキーサ皇国に対する意見と希望と民の現状がある。手紙の言い回し、筆跡などから差出し人の人柄も伺える。たとえ代筆だとしても、内容に対して部族の長みずからが筆を取ったのかどうかという姿勢も見える。
議会提出用の書類は清書するなら全文を読むという事だし、国外への文書は打診だろうと返信だろうとキーサの立場を示すものだ。
宰相の仕事というのは、こうした雑務ですら国と人に関わるもの。知る、という点においてはテオドル宰相の言も正しいのだが。
だからってそれを、立太子してない皇子の婚約者がしていいかといえば。
…お忙しかったんですね?としか言いようがない。
「だって姫様に礼儀作法とか今更でしょう。それにセシリアたちとお茶会もしてますよね?」
補佐官が淹れてくれたぬるい茶を飲みながら宰相は言った。口に含んだ後でぬるーいと言って「なら自分で淹れろ」と叱られていた。この補佐官が、ユスティーナ夫人のご子息である。
宰相執務室に放り込まれてすぐの頃、用があって補佐官、と呼びかけたら眉間にシワを五本くらい刻まれて「アロイスで結構です」と呻かれた。夫人からあの子機嫌悪くなるわよと聞いていたが、すごい、拒絶反応だった。
「はい。楽しい時間を過ごさせてもらっています」
あれから週に一、二度の頻度で、宰相夫人かユスティーナ夫人のお茶会に招かれていた。ふたりきりの場合もあるが、他に招かれた夫人や令嬢と過ごす事もある。
そのたいがいは「うちの旦那様が」なんて愚痴と惚気だったり、「行列のできる焼菓子は元は地方の家庭で作られていた」なんて流行を追う好奇心だったりする。人気の役者であの恋物語が新しく上演されるというのもお茶会で聞いた。
楽しく過ごさせてもらっているの言葉に偽りなく、厳しく指導されるでもなく、僻みや嫌悪にさらされるでもなく、むしろ男の格好で街の女性たちから情報を集めるより効率的でありがたいと思っている。
ぬるい茶を飲み干して、テオドル宰相は「さすがです」と言った。
「お茶会が楽しいようでしたら何より。なので姫様は遠慮なく私の仕事を手伝って、…間違えました。キーサに関する仕事に携わって頂きたい」
やはり忙しかっただけか。
だがまあ、忙しくするのはリールの希望するところだし、情報収集に事欠かない場所なので文句はない。これでいいのかと驚いただけだ。
「後は、そうですね」
口でなく手を動かせと補佐官(仮)アロイスに紙の束でぺこぺこ叩かれながら、宰相はのんびり不穏な言葉を口にした。
「皇子殿下をどうやって大人しくさせるか、ですかね」
けたたましい音と共に荒々しく開いた扉を見返って、ヤン隊長はおやと眼鏡の奥で瞬いた。
「団長。第一師団に来るなんて、珍しいですね」
その反応に、扉を開けた本人は唸って噛みついてきそうな顔をしていた。
場所は首都の街中にある陸上団本部。
飛空艇団と同じく訓練場や厩舎、宿舎を含む施設はもう少し街の中心から離れた場所にあるが、高官の執務室や彼らの決裁が必要な書類の最終提出先となる事務官がいるのは、この街中の本部である。
名目上は第一から第三までの師団、その騎馬隊、歩兵隊など隊ごとに割り当てられた部屋もあるが、各隊長たちですらめったに腰を据えている事がなく大体は郊外の本陣にいる。
現在、翠玉の宮の警護とリールミール姫の護衛任務に就いている第六騎馬隊の隊長であるヤンは、立地からこちらの本部の方が近いので時々立ち寄るのだが。それでも本部にいる時間は多くない。
そこに現れたという事は恐ろしいほどの偶然か、確実な情報で足を運んだか。前者だったらむしろこの団長の強運を羨むばかりだが。噛みつきそうな表情からいって違うだろう。
さて何か不手際でもあったか不敬でもあったか、考えたが思い当たらなかった。
「そういえば、あれからご挨拶しておりませんでした。ご婚約おめでとうございます、皇子殿下」
なので挨拶をしたら、大変ご立腹なカレルは、噛みつきそうな顔のまま口の端で笑みをつくった。
「それを俺に言うか…?」
「殿下以外のどなたに申します?」
「くそ!せめて第六でない隊に変えられないのか!」
「私でなく師団長が決めたので、そちらにどうぞ」
「ヴァルトルか!よし行くぞレオ!」
「まあ待てこのクソガキ」
勢いのまま振り返ったカレルは、背後にいた獅子の分厚い胸板に突っ込んでそのまま確保されていた。放せコラと少々暴れたのがすぐに大人しくなったのは、ちょっと首を締めあげる格好だったようなまあ気にしないでおこう。
「すまないな、ヤン。ウチの団長は馬鹿ではないんだが、婚約者殿のことになるとどうにもポンコツでな」
はあ、と微妙な相槌をするしかない内容である。否定はできないので。
カレル皇子は今までも女性に興味がないという事もなく、それなりにそれなりだったはずだが、リールミール姫につけた護衛たちから「姫の害虫駆除はどこまでが範疇ですか」と真面目な顔で訊ねられるのでそういう事なのだろう。
「皇子殿下をバルコニーから蹴落とすのは範疇内ですか」と直球で問うた灰眼のフーゴなどは、さすがに諸先輩に蹴り上げられていた。気持ちはわかるが範疇ではない。
とにかくカレルがそんな調子だったので、何を企んでいるのやらと思っていたら、どうやらアレは素だったらしい。宰相がふっかけてきた客人の警護任務に皇子も噛んでいるのかと思っていたのだが、本当に、ただベタベタしたかっただけと判明して若干気が抜けた。
気持ちはわかるが。
「それで、私に何かご用でしょうか?」
今日も騎馬隊の事務室にはヤン以外に二名ほどしか人がいなかったが、彼らは空気を読んでそっと出ていった。レオポルト副団長もそのままでいいと挨拶も受けず、彼らを室内から逃した。
「あー…これといってある訳でも」
「ある。顔のいい奴はリールの警護から抜く」
「人の顔面についてはわからんが、お前が雄として情けないことはわかるぞ」
「いや今までだったらとにかく、最近のリールな、やばいから可愛いから危ないから」
「それと私と隊に何か関係が?」
「アヤから話は聞いてるぞ」
「アヤ嬢ですか?」
先ほどからヤンは語尾上がりの疑問しか口にしていない気がする。
姫と共にやってきた元気な少女がどうしたというのか。彼女はそれこそ飛空艇団預かりなので、今では翠玉の宮にやって来るのはたまに、という程度だ。ああ、預かりというか正式に事務官になったのだった。
そこまで考えてから、ヤンはようやく「あれか」と思い当たった。
ひと月前の、宰相や師団長も参加したお茶会の帰りに。
翠玉の宮の精霊姫の部屋まで問題なく護衛を務め、扉前で待っていた護衛二名に引き継ごうとしたところ、不意に名前を呼ばれて足を止めた。
「ヤン隊長。もう一度、眼鏡を取って見せてくれませんか?」
請われた内容も不意だったが、ヴァインの姫君には珍しい精霊石の使い方なのかと、特に警戒もせず「はい」と眼鏡を取って渡そうとした。
しかし差し出した手を眼鏡ごと腰のあたりまで押し下げると、精霊姫はくいと顎を上げてヤンの目玉をのぞき込んできた。近い。とても近かった。
「姫さま?」
距離を取るのが適切だったろうが、目玉を凝視する勢いだったので当然こちらからも彼女の瞳がよく見えた。とても近くで。鉱石の国とも云われるキーサでもめったに採掘されない極上の翠玉だった。
美しいと素直に思った。
「ヴァルトル師団長と、ヤナ様の色ですね。それが、お嫌ですか?」
投げられた言葉に小さく苦笑した。幾つになっても淡く色づく女性たちの恋の話にあてられたのか、普段の立ち居振る舞いから考えるとあまりらしくない言葉だった。
「忌み嫌っての事ではありません。私は見た目が『人』なので、この方が面倒ごとが減るのです」
「ちなみにご年齢をうかがっても?」
「42になりますか。テオドル宰相と同年代ですよ」
見た目は二十歳前後の若造ですがと言えば、一度瞬いてからまた美しい翡翠がじっとヤンの目の色を観察していた。
獣人の寿命は人に比べて長い。種族によるがだいたい三、四倍と云われている。
世界に半獣人もいなくはないが、記録に正しく残っているかというと曖昧だ。ヤン自身も人より成長が緩やかだと自覚しているが、獣人たちに言わせればさっさと成長している方らしい。
だからわからない。
「ヤナ様は」
「私を産んだ時に亡くなりました。ユスティーナ様も、…師団長も反対したそうなんですが。話を聞く限り、それを受け入れる人ではなかったのでしょう」
淡く色づく恋物語だったら良かったのに。
激しい情熱でもって恋しい相手を籠絡した人は、それと添い遂げることより子を産むことを選んだ。
「なので私は母を知りません。幾多の物語になっても、私は知らないのです。人が天寿を全うしても獣人にとっては生の一部です。ならばせめて、長く共にいれば良かったのに、…とは思いますが」
ヤナとヴァルトルが恋仲になって過ごしたのは、五年ほどだと聞いている。
百年二百年と生きるヴァルトルにとっての、たった五年だ。
それを彼が、父がどう思っているのか、ヤンは知らない。
妻を亡くした根っからの武人に子育てなど無理な話で、ヤンはほとんどユスティーナに育てられたようなものだ。だから彼女の息子のアロイスとは兄弟のように育ったが、今では親子ほどの年の差に見える。
ヴァルトルは今もユスティーナを義姉上と呼び、ヤナ女史が残した施策につながるものを守ろうとする。だから喰えない狸と言いながらも、ヤナ女史の功績を称えて古臭いどころかそういう着眼点かと尊重するテオドル宰相を信頼している。
尊重、敬愛、ヤンの目からも母に対するそういうものは見て取れるのだが。
物語のような愛情が父にもあったのか、ヤンは知らない。
あったとしたら、母の腹を裂いて取り上げられた子どもより、妻が生き残ってくれた方がどれだけ良かっただろう。
美しく飾られた物語を聞くたびにそう考えるが、それを精霊姫に言って何になるのか。
しまった。あまりに美しい翡翠に目眩がした。任務中にこんな話をするなど自分の方がよほどらしくないと、取繕うように外した眼鏡を戻そうとしたのだが。
初めに押し下げられた手がまだ、そこにあって。できなかった。
「短い時間では、恋はできませんか?」
「…私のような朴念仁に問われても、お答え致しかねます。それは、皇子殿下のお話ですか?」
「そう、かもしれませんし。…そうでないかも、しれません」
「姫さま。宰相が嬉々として書類を作るでしょうから、明日にはあなたは正式にカレル皇子殿下の婚約者になります」
「そうですね。軽率でした。隊長は黙っていてくださる?」
眼鏡をつかんだままの手からようやく白い手が離れてくれたと思ったら、それが持ち上がってヤンの唇を閉ざした。人さし指。近づけただけのつもりだろうが、どう考えても、一瞬触れてしまった。
「わたくしだって恋物語はいくつも読みました。可愛らしくて素敵で。けれど、わたくしは自分の気持ちをどう判断していいのか、まだわからなくて。だから聞いてみたかっただけです、ねえ隊長、…内緒ですよ?」
幼い頃に一目見ただけの精霊姫に恋焦がれた皇子を、こじらせたものだと見守っていたが。
そうだな。時間は関係ないと、姫に答えてあげればよかっただろうか。
「はい。もちろん」とヤンが答えたのはそれだけで。しかしその瞬間に、歩廊に悲鳴が上がったのだった。見れば歩廊の先で黒猫もとい黒髪のアヤ嬢が、真っ赤な顔で仁王立ちしていた。
あの時は、アヤ嬢は飛空艇団の試験に合格したと喜びのままに姫に伝えに来たらしいのだが。
あれか。
伝わるのが遅かったかカレル皇子も忙しかったのかわからないが、ちょっと今まで忘れていたことを思い出して、ヤン隊長はこめかみを押さえた。
「あー…のですね」
「事実か!あの意識無意識に関わらず人をたらし込むの何とかならないのか…!だいたい婚約者になったとたん会うのを禁止されるのがわからん」
「わからないなら、お前の頭に何が詰まっているのかわからないぞ。婚約者殿に勝手に会いに行くなよ?ここで釣らないとどうにもならんからな?」
「理解してるが、第一師団内でも女に興味ないと言われてるヤンでこれだ。くそう胃が痛ぇ…!」
あのですね。
確かに色恋沙汰に縁もなければ興味もなかったですけどそんなこと言われてたのか。というのはさておき。
「あの、『釣り』の話を私の前でしないでくださいます?」
「ヴァルトルが巻き込まれた時点で、第一師団は全体的に諦めろ」
だからホレ、と出された獅子の手に、仕方ないのでまとめた紙の束を渡した。これが人払いするための小芝居ならいいのだが、本気で事実関係を確認しにきたのだろう事は明白だ。初恋こじらせた皇子は面倒だ。
…気持ちは、わかるが。




