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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第1章 紅と黒猫
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 軍靴で踏まれ薄汚れた廊下の先、そこからは別格だといわんばかりに絨毯が敷かれている。踏み入れるとそれまで踵が鳴らしていた音がなくなり、静まり返った空気がさらに落ち込んだ。

 リールの後ろをついて歩くアヤは青を通り越して白っぽい顔色で今にも死にそうだ。足を止めていないかついて来てるか、肩越しに確認するとくりっと大きな黒い目が不安だと訴えてきた。

「手、つないであげよっか」

「いらねえ」

 まだ大丈夫そうだ。

 しかしその直後、リールの外套がくんと引っぱられた。立ち止まらせるほどではなかったが、口をとがらせた顔で布をつまんでくる、指先の白さが力加減を示していた。


 帝国軍司令部に連行の状況では、さすがのアヤも大人しくなっていた。

 まあ普通はなる。のんびりした、普段と変わらない表情でいるリールの方がこの場合おかしい。


 ふたりを先導するのは赤茶髪をした年若い将校。軍服の肩に落ちた星がひとつ、少尉殿である。ふたりを追い立てるように後ろからも軍人2名、こちらは振り向けないので細かいことはわからないしアヤはそれどころではない。


 かつ、と硬い音がした。

 絨毯敷きの廊下で軍靴の音がしたのは、赤茶髪の少尉が正しく踵を打ち鳴らしたからだ。180度、ふたりに向き直る時に高らかに鳴らされた。

 立ち止まったということはここが目的地かとそろそろ視線を上げたアヤが、飛んでいきそうな魂を慌ててつかまえていた。死にそうがんばれ、と楽しそうに心の中で応援していたのが表情に出ていたのか、向き直った少尉の眉がわずかに動いた。

 しかし表情を変えるには至らず、今度は90度向きを変えて少尉は重厚な扉を三度叩いた。分厚いからその力加減なのかけっこう重い音が響いた。


「ユング大佐。サルダン少尉であります」

 堅苦しい言葉だがやわらかい声だった。なのにアヤはひっと息をのんで今度こそ死にそうになっていた。

「……これ終わった。処刑決定だろ…」

「いや、だったらここに来てないと思うけど」

「だってお前、ユング大佐ってあれだろ、名前くらいは知ってる。公爵様焼き払った軍人、」

 こら、と動揺で余計なことを口にした猫の耳をひっぱった。扉を向いている少尉に反応はないが、後ろの2名が一歩近づいてきた。


 王族にも馴染みの土地を管理していた公爵家は一族郎党皆殺し。焼き払った屋敷の上に、現在リールたちが歩いている軍司令部が建てられた。

 その武勲でもって現在この地を統括しているのが、レイリック・ユング大佐。


 え? それに会うの? 今から?


 扉を押し開けた少尉は部屋に一歩だけ入り、正しい敬礼をした。なのでその時は室内の様子がわからなかった、そのままわからなくていいんだけどという願いは叶わず少尉もリールも進んでしまったので。

 リールの外套をつまんだまま、アヤも部屋に足を踏み入れた。

「―――う、…わ」

 思わず、といった風に声を出してしまったアヤに、リールはそうなるよねとゆるく同意する。


 司令官室、ユング大佐の執務室なのだろう部屋には窓があった。ことさら大きいわけではないが、鍛錬場に続く道に植えられた木の緑と空の青が見えるほどには一般的な窓だ。

 左右には天井まである本棚、本やら何やらがびっしり詰められている。本棚の間には革張りのソファ、3人掛けほどの大きさが向き合って真ん中にテーブルがあるので応接用なのだろう。こぶりのテーブルも近くにあって高級そうな茶器が控えてあった。

 窓の前には重そうな広い机があり、窓と机の間に帝国軍旗が床に突き刺さるように掲げられ。

 それらの何に驚くかといえば、調度品ではなく思いのほか淀んでいない空気でもなく、そこにいた人物が一番驚愕だった。


 七日間戦争で武勲をあげ、司令官なんて地位におさまっている軍人など歴戦のゴツイおっさんかと想像していた。

 のを見事に裏切られた。


「少尉。ご苦労」

 短く返事をした少尉はふたりの前から退いて扉付近に控えた。後ろをついてきた2名は入室することなく、彼らによって扉が閉められてしまった。

 取り残される形になってしまったふたりは、しばし沈黙。だがこのままだとアヤが死にそうだなと思ったリールは軽く手を挙げて指先をぱらりと動かした。


「やあ、」

 旧知の友人の挨拶かそれは。


「じゃねえだろ何その軽いやつ?!」

「えっと、じゃあ『ごきげんよう大佐殿』とか」

「違うしっていうかやっぱアレが司令官なの本物?!」

 アレ呼ばわりのがひどくないか?


 リールが楽し気に黒髪を撫でてやったら、こらえきれない、といった感じの笑いがもれた。

 机の前に深く腰掛けて待つのではなく、窓の前に彼は立っていた。抑えきれなかった笑いをごまかすかのように背を向けていたようだが、ややおさまると、改めてリールたちに向き直った。まだうっすら笑っていたが。


「まあ、アレでもソレでもかまわない。『ごきげんよう紅。大通りでの精霊騒ぎなど貴重な事案提供に感謝する』」

「お仕事増やしてごめんね?」

「予想はしていたが、わざとか。小隊の警備予定を持ち出されたこちらはどうしたものか」

「風の精霊はおしゃべりだから」

 確かに、と微笑むユング大佐の髪のあたりが何だかきらきらしていた。


 『風花』。噂話が大好きな風の精霊。


「ところで、」

 大佐の視線に気づき、思い出して自分の横を見やると。状況把握ができずにパンクしたアヤが、指先でなく手のひらいっぱいでリールの外套を遠慮なくつかんでいた。

「その子にお茶でもだそうか?」



 レイリック・ユング。階級は大佐。肩書はリィン帝国軍司令部第一支部司令官。30歳。

 軍人らしく多少短く刈っているが、混じりけのない金糸で織ったような髪がさらりと額に落ちる。空より深く海より浅い青い瞳。他民族をかかえる帝国でも建国より続く純粋な白の肌。

 目鼻立ちも唇も彫刻のように左右対称に整っていて、草色の軍服ではなく夜会服でも着て社交場にいた方がよさそうな、甘いやわらかい容貌である。


 大佐の「お茶でも出そうか」に反応したのは、扉付近に控えていた少尉だった。

 慣れた様子でサイドテーブルにあった茶器を扱い、ポットを平たい板のような物に乗せた。するとほんの少しだけ、部屋の温度が上がったような熱を持った風が一瞬通り抜けたような感覚になる。炎の精霊石に火でなく熱を通すようにしたのだと少尉は説明した。

「才能の無駄遣い」

「温かい紅茶を飲みたいだろう」

 しれっと言い放った大佐の机に、本当に慣れた様子で少尉がティーカップを置いた。続けて応接テーブルにカップを差し出した時、表情こそ真顔だが「無駄遣いですよね」と少尉もリールの意見に同意していた。


 カイ・サルダン。階級は少尉。肩書は帝国軍司令部第一支部司令官補佐。

 先ほど、大通りの騒ぎの際にリールに拳銃を突きつけた人物である。


「赤銅の賢者を名乗っていた輩と祭り上げていた団体は、ほとんど確保していたんだが」

「ほとんど」

「すべてではなかったようだな。紅に直接向くとは思わなかった」

 それは嘘だな、と思った。

 リールなら自分で何とかするだろうと放っておいたに違いない。だからこちらもわざわざパークの街まで引き付けて騒ぎを起こしてやったのだが。


 以前、賢者を名乗るまがいものがいて。

 商会なんだか宗教団体なんだかわからない様相でけっこう荒稼ぎをしていたがしょせんは偽物なので「精霊の恩恵」をごまかすのに限界がきたらしく、精霊使いである「紅」に接触してきた。

 そのまま返り討ちにあって団体はほぼ壊滅、後始末をしたのが第一支部ユング大佐以下の面々である。


「だから、僕がやったんじゃなくて帝国軍が介入壊滅させたって吹き込んでおいてって言ったでしょう」

「そういう話は確かに流した。だがあの場で掃討された中に生き残りがいたなら、それは紅だと知っていることだろう」

「ないね。きれいさっぱり片付けたから」

 大した自信だと揶揄する隙もない、事実は曲げようがない。

 ソファに浅く腰掛けてひじ掛けに体重を預ける、尊大な様が似合う美貌にユング大佐はわからぬように嘆息した。そして彼のとなりで、飽和寸前の顔をしてぐるぐる考えこんでいる可愛らしい黒猫に視線をやった。

「ところで紅。彼が話についてきてないように見えるが」

「鉄馬車で寝てたから、寝起きだね」

「……起きてるし」

「おはようアーヤ」

「あのさ、」

「精霊の恩恵にあずかりたいだけなら、紅ではない精霊使いを探すことをおすすめする」

 何をどこまで知っているのか何も知らないのか、ユング大佐の物言いにアヤは顔を上げた。

 たとえ知らなくても間違ってない言葉だった。


「君はヴァインの民だな。この街に馴染みのようだし、なお精霊は身近だったろう。だがあれらは人の手に負えるものじゃない、生活に利便性をもたらす程度ならとにかく、研究所が扱う内容など我らが軍事利用してなお手に余る。それを個で制御できるとは思わない方がいい」


 精霊石があれば誰もが同じように現象を起こせる。

 列車を引かせることも、鉄を空に浮かべて飛空艇とすることも可能にした。弓や剣や拳銃、大砲でも敵わない圧倒的な武力にすることだってできる。

 そこまで人の技術が進んでも。

 一体の上位精霊の怒りを買えば、国のひとつくらい一晩で消し飛んでしまうだろう。


 精霊とはそういう災害でもある。


「だから、なんだ。リールといるの、危ないっていう…?」

 そういう話かと思った。

 ぽろぽろとこぼれた言葉そのものは、確かにその通りだ。精霊の声を聴いて願いを届けることができる存在は、その人物そのものが災害となりうる。

 ユング大佐は紅い髪に彩られた端正な横顔に視線を注ぐ。リールがとなりのアヤばかり見ているので、横顔しか見られなかった。

「分相応でない願いをすれば精霊は怒るだろう。だが、紅に限ってそういった事態になるはずがない」

「じゃあ大丈夫ってこと、じゃなくて?」

「精霊使いが、ではなく。紅は君の手には負えないということだ」

 わからん。理解が追い付かないのがますます混乱した。

 混乱ついでに研究所って軍管轄でそれって一番偉い人この人なんじゃね?と思考が一周した。行方不明者の捜索って軍人はどうせ探してくれないと思ってたけどそれを決めるのこの人じゃないかだったら直談判いややっぱり研究所まで行って自分で確かめられるのか本当に?


「アーヤは、黒い目だね」


 リールの言葉に顔を上げた。翡翠色の宝石みたいな目が近くにあった。

「大佐の言ってることは嘘じゃないけど、どうでもいいことだよ。僕ね、黒髪黒目って好きなの。おまけにアーヤは元気で反応いいしめげないから苛め甲斐があるし」

「最後の方ちょっと待て」

「だから、お願いがあるなら言ってごらん?」

 そんな簡単に軽い調子で言われても、明日晴れますようにって星に願う感覚でいいのだろうか。

 明日晴れるかどうかは、精霊の気分次第。


「俺は、どういうものでも結果を知りたい」

「うん」

「探すものは、中央の国立研究所にいた錬金術師シキ・サイン。俺の父親だ」

「わかった」


 僕はそれを聴いたよ。


 知らないとは怖いものだとユング大佐は改めて思い知る。それは精霊との契約だ。しかも大物だ。それで少年がどうなろうと帝国にわずかの影響があるわけでもないが、この場合は仕方ない。

「サルダン少尉」

「はっ」

「明日は紅に同行して研究所に向かってくれ」

「…了解しました」

 わずか一秒ほど返事に間があったのは、無茶振りによる予定変更を脳内で諸々処理した時間だった。


「え、監視とかいらないんだけど」

「護衛とでも思えばいい」

 少尉とて腕にも頭脳にも実績にも自信はあったが護衛という名目はさすがに役に立たないのではなかろうか、なんて思ったが顔には出さなかった。しかし察したようなリールが手を振っていたので頑張ることにした。


「要人も利用する宿泊施設を案内する。今夜はそちらに泊まるように」

「ええー、監視とかいらないんですけど」

「司令部内の宿直室にするか?」

「…わかったよ」

 年相応の顔をして面倒くさそうに、しかしそれ以上突っかかることをやめたようだ。リールは組合の大人たちにも飄々とした態度をとっていた印象が強く、彼の方が折れる態度をとったのが意外すぎた。やればできるものである。

 決まったのなら行こうとリールはさっさと立ち上がり、涼しい顔で脳内処理継続中であろう少尉が扉を開けてくれた。


 黒猫は逃げ出すようにその扉をするりとくぐり、続こうとしたリールは、背中から呼びとめられた。

 視線だけくれてやると、浅く深い青色の目を細めたユング大佐が薄い唇を開いた。微笑んでいるようにも見えた。

「黒髪黒目が、好きだって?」

 軍人にはなかなかいない爽やかな容貌が台無しになるような言い方だ。からかう、意味でないのを理解できるリールにとってなお腹立たしい。


「―――…好きだよ」


「では、そう報告しておこう」

 報告するのか。まったく勝手にすればいい。リールは背を向けたまま司令官室の扉を荒々しく閉めてやった。



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