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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第1章 紅と黒猫
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3


「アーヤ、馬には乗れる?」

 組合のヒゲ料理人に「ご注文の昼食だ」と籠を渡されてから向かったのは、レンガ造りの建物の裏手。てっきり馬車便を利用すると思っていたアヤは、はてと首を傾げた。馬とな。

「金持ちの道楽は無理」

「せめて貴族のたしなみとか言いなさい」

 つまり乗れないねと確認されて、おうと胸を張った。


 国土の広い元ヴァインなので、エールシーのように農地と隣り合わせの町など往来するにはとにかく時間がかかった。何代も前から王様たちは街道整備に力を入れてくれていたので、馬車便もそれなりの速度で移動できるようになったし他国からの画期的な交通手段も確立されたが。

 それでもやはり、貴族の嗜みだけでなく馬での移動が生活の必須という地域もある。


 アヤは中央の国立研究所勤めの父がいたため、基本的に大きな規模の街で過ごしていた。だから街の端にある鍛冶屋に行くために馬車便を使うことはあっても、移動手段のための馬を個人ではもたなかった。

 これからどこへ行くのか知らないが、今までも馬車便と自分の足で歩いてきたので馬いるか?というのがアヤの意見だったが。


「馬車便はやっぱり速度でないし、ここからだといくつか立ち寄るから時間がかかるしね」

 じゃあ1頭でいいやと、リールは厩の前にいた青年に声をかけた。相乗りするから大き目の鞍にしてねと。

「え? 買うの? うま?」

「いや。駅舎の組合に乗り入れてる子を借りるだけ」

「馬車じゃダメなのか?」

「ダメじゃないけどさ、ここから出てる馬車便ってほぼ荷馬車だから… ほら僕ってフォークより重いもの持てないし」

「いやリール剣さしてるよなそれめっちゃくちゃ重いよな」


 リールは荷物を持たなかった。シンプルな旅装に風よけの外套(ただこの服が一度触ったらなんだこれ!とずっとさわさわしたくなるような手触りだった)それに一振りの中剣を帯びているだけ。

 雨に濡れた土のように深い、深い色をした革によく見ると草が渦を巻いたような図柄が型押しされた鞘。同じ革の帯。柄の細工は銀。それを宿の部屋に無造作に立てかけておいたら黒猫が、アヤが口を開けて眺めていたので持たせたことがある。

 両手で、年頃の女の子にあるまじきだがアヤらしい踏ん張り加減でふるふる持ち上げた姿があんまりにもツボだったので称賛の拍手を送ったら、「喜ぶなこのどえす!」と罵られた。庶民のスラングはリールには少々難しい。


 物語の王子様然としたリールの容貌には、違和感を覚えるようなそれもまた王子様っぽいというのか。剣なんか必要あんの?とアヤは問いかけ、いざとなったら売る用にとリールは答えた。護身用とも言わなかった。

 だがアヤが踏ん張って支えていたそれを、彼は細い枝でも扱うようにひょいと持ち上げ無駄に優美に帯剣していた。


 なんのかんのしていると厩の青年が一頭の葦毛を連れてきて、その片耳についていた輪っかをぱきんと折った。元々折れる仕様なのかと驚くアヤの前で、はいこれ向こうで返却時に渡してねと手渡された。証明書代わりのようだ。

 銀の片割れを懐にしまったリールが、慣れた様子で馬にまたがる。

 彼の髪は血色だし風よけの外套は簡素だが、なんというか。


「おうじさまか」


 あれだ。いちいちツッコミしないと保てない。平静とか動悸とか状況とか。

 おとなしい葦毛のたてがみをよしよしと撫でてから、その手がアヤに差し出される。

「ではどうぞ。お姫様」

「……いやみか」

「可愛いと思ってるよ?」

 語尾が上がってるわ疑問形だわそれと憤ってもリールを喜ばせるだけだと学習したアヤに、その手を取る以外に選択肢はなかった。

 昼食を詰めた籠と大して荷物も入ってない布袋を片手に抱え、無造作に手を出したら笑われた。


「それじゃ腕抜けるでしょ」

 リールは、目を見開いて驚いた顔をしているアヤの脇から腕を回して、事もなげに持ち上げた。片腕で。

 自分の前、鞍の上に着地させられたアヤはびっくり顔のまま人形のようにギギと首を回した。

 騎士のあやつる馬に乗せられた令嬢よろしく横乗りだ、なんだこれ、ときめく前に違和感はんぱないんですけど。と目が語っていたのでリールの機嫌が上昇した。


「この方が僕が支えられるし、乗馬できない人もまだマシだと思うけど」

「いやもう絶対的にお断りな態勢です」

 仕方ないね可愛いねと頭をよしよししたら怒られた。嘘ではないがなかなか通じない。笑うリールの前で黒猫はもぞもぞ足を持ち上げて尻をずらしてがんばって馬にまたがった。

「そんで? 駅舎だっけ?」

「そう。中央に行くならそれが一番速い」

 いつもよりずっと近く、むしろ密着、たとえまたがる格好になったとしてもリールの腕の中に抱えられているようなもので、そんな距離で楽しそうな顔をされたら。

 もはや攻撃である。


「帝国の鉄道整備は継続されて、そこだけはよかったよね」


 精霊石を動力とした、鉄製の列車。

 かつてリィン帝国とヴァイン王国が和平を結んだ当初から始まった鉄道計画は、4年前の七日間戦争の時点で順調に進んでいた。賛否はあったが何より移動が早く大量輸送が可能とあって、裕福な商人たちがこぞって利用していた。利便性のよさは主に時間に追われる庶民にこそ必要だったが、いかんせん利用料金が安くない。

 旅客車には等級があって料金設定も違うが、それでも馬車便のようにほいほいと気軽に利用できる値段ではなかった。


 そんな中で。

「まーじーかー…」

 リールが予約したのは特級車両の個室だった。

 そんな金遣いで剣を売るような事態に直面することあるのか。


 精霊石で動く機関車は黒塗りの鋼鉄、厳つい騎士の兜のようだ。かつては観光でにぎわった土地ではあるが、今はさざめくような貴族の姿はわずかで、三等車を利用する人たちとせっせと貨物を運ぶ人たちが多かった。

「これなら馬より速いし乗り心地もいいよ。ね、アーヤ」

「それは助かるけど。本当にケツ痛い… 股が裂ける…」

「女の子がケツとか股とか言わない」

 初めての乗馬にはしゃいだのはわずかな時間だけで、ほとんどは慣れない重心の取り方に苦労し振動とその痛みに耐えるばかりだった。もうほとんどリールの膝に乗っている状態だった。


「とりあえず間に合ってよかった。整備されたとはいえこのご時世だからね、特級車両つきの鉄馬車はあんまり走ってないから」

「つまり、そのために3日間ぐうたらしていたと…」

「のんびり平和でいきたいよね」


 座席は木製枠だがそこにしっかりとした革のクッションと、さらに綿をたっぷりつめた布製クッションを重ねた座り心地はふっかふかだ。アヤが思わず寝転がって弾力を確かめるくらいには広い座席が向かい合って二席。さらに書き物机と椅子一脚、鉄馬車の揺れの中で書き物できるのかと思うが商人も多く利用するし長時間の旅で退屈する人はするのかもしれない。

 それから食事を広げられる程度のテーブルが座席の間に置いてあった。そこにエールシーの組合からもらってきた昼食を並べて出発を待つ。そういえば水、と思ったところへ給仕係だという女性がお茶セットを運んできた。

 どこの貴族だと食んでいたパンを吹き出しそうになった。特級車両どんだけ特級だ。


 列車が動き出したらお菓子もお持ちしましょうねと、給仕のお姉さんに笑いかけられた。二十歳前後だろうか、おそらくアヤは実年齢より少々下の少年だと思われているのだろう。弟でも見るような優しい感じだった。

「一緒に果実酒もね」

 愛想を振りまいたわけでも、つれないわけでもない、ごくごく通常モードのリールに頼まれたお姉さんは息をのんで固まっていた。

 瞬きすら惜しむ様子で紅い髪に彩られた美貌を見つめ、お持ちする時はまた絶対自分が給仕に来ようと決意しただろうことはさすがのアヤにもわかった。

 見た目がいいのは確かだし。

 酒によく合う濃い味のチーズをはさんだパンを、リスのように頬をふくらませて食べながらそこのところは肯定しておいた。


 リィン帝国が開発普及させた鉄馬車はまるですべるように走り出し、特有の揺れはあるものの通常の馬車よりよほど静かだった。それが通常なのかここが特級車両のしつらえだからなのかわからないが、食事もお菓子も食べたアヤは、慣れない馬に乗った疲れもあって緩やかな眠気に襲われた。

 向かいに腰かけていたリールは立ち上がって黒い髪を撫で、「寝てていいよ」と声をかければ黒猫はふあと大きなあくびをした。

 猫を撫でた指で、個室の扉をコンコンコン、と3回たたく。

 内側から外へのノック。

「誰か来たのか…?」

「いや。誰も来ないように」

 リールがおやすみと言った時には、クッションをひとつ抱き込んで黒猫は丸くなって眠っていた。





 精霊たちの気まぐれで、または存在するだけで起きてしまう自然現象の恩恵。災い。

 ヴァイン王国はその恵みの一部を分け、リィン帝国は機械工学の知識技術を伝えた。以前は確かに友好国であったのだ。


 精霊研究の中心、中央国立研究所。

 それは始まりの街パークにある。


 古い時代は位を退いた王族の隠棲や療養先として利用された城だったため、白い石造りの優美な建物であった。

 だが侵攻の目標だった地は圧倒的な力で押しつぶされ建物は半壊、それを補うように帝国のやり方で補修された今では白い卵から黒鴉が羽化する瞬間のようにも見える。

 パークの街も一部は炎に呑まれた。帝国軍の蹂躙というよりも、応戦した結果と混乱が招いた被害であったが。犠牲は確かにあった。


 4年が経ち、研究所も街も復興したといえる様相だが、元ヴァインの中でも帝国軍の影響を最も受ける場所である。

 街の自警団は一度解体され、帝国軍の号令で近しい組織が編成された。パークの街を含むこの地域を管理していた公爵は一族屋敷ごと焼かれて、今は帝国軍将校が取り仕切っている。

 草色の軍服が増えたこと、あの日から帰らない人がいること、それ以外は民の生活は保たれていた。


 アヤがパークの街に戻ってきたのはおそよ一年振りだ。


「で? リールは軍人に売られてくれんの?」

「やだなあ。アーヤが僕に慣れてきた」

「何にも教えてくれないんじゃ、協力のしようもないだろ」

「うーん。じゃあ、」


 買ってみようか。


 その言葉と重なるように、ぎ、と金属がこすれあう音がした。

 耳障りな音は一瞬で、それよりも舗装された石畳が砕けて割れる音の方が大きく派手だった。そちらの音に驚いた人々がぎょっとして立ち止まる。

 ふたりがいたのはパークの街の駅舎。特級車両なんて引き連れた鉄馬車が停車する駅は、七日間戦争以前から建物じたいが注目を浴びるような頑強な石造り。その前から広がる大通りは石畳できれいに舗装され、商店食堂も並ぶような人通りの多い場所なのだ。

 そこで石が割れるような音と衝撃があれば誰だって驚くだろう。

 アヤもその一人で、石畳3枚分ほど砕けたそれを見て「は?」と間抜けにも口を開けていた。


「僕はさ、」

「なに」

「平和に生きていたいんだけど」

 難しいのかな、なんて。


 わざとらしい溜息でも吐きそうな表情でありながら、リールは右腕を振り払った。

 するともう一度、ぼご、と足元の石畳が割れた。今度は埋もれずに見えた、アヤの肘から手首くらいの長さ程度の短剣だ。それが石に叩き落されたのだ。


(…え? それで石割れるか?!)


 原因はわかったが方法がわからない。鉄球が沈んだわけでもあるまいし。

 引き続き口を開けたままのアヤを置き去りに、リールは振り下ろした右手を目の高さまで持ち上げた。

「売ってくるなら言い値で買うよ?」

 不思議な事態に周囲は遠巻きに何だと様子を伺っており、中には割れた石畳をのぞき込もうとする者もいた。

 その中の一人が。

 長い間太陽に焼かれたんだろうなと思う、枯葉色の髪をした背の高い男が。

 警戒する間もなく気づいた時にはアヤの目の前にいて、節くれだった指が首の皮に触れていた。わずか一瞬。自分のものではない体温が皮膚に触れた、なまあたたかい、恐怖だった。

 ほんの一秒にも満たない時間だったのに。

 しばらく忘れられそうもないと思った。


「僕は買うって言ったんだからさ。何も知らない子猫に押し売りはよくないね?」

 ねえ。と、リールは表情のない顔で、石畳の上に崩れ落ちた男を見下ろした。アヤは間近の出来事なのに下を向けず、痛みに叫ぶ男の声だけを聴いていた。


 アヤの首を折るつもりで伸びた武骨な手を、リールが切り落とした。

 薄い刃のように鋭利な水で肘の下あたりを切って落としたのだ。


 男のことは見れなかった。

 だから視線だけリールに移すと、人形が立っていると思った。


「売り込み商品の名前くらい、名乗りなよ」

「……ない」

「そう」

「赤銅の賢者を忘れるな」

「ああ、…そっち関係」


 人形がしゃべっていた。男の言っている言葉もリールのことも全然わからなかった。

 肌で感じたのは、枯葉色の髪をした男はリールを殺したくて苦しめたくてけれど適わないと感じてたまたま隣に立っていた非力そうな子供の首を折ってせめて傷でもつけなければ死ねないほど憎いのだということ。

「賢者の名を騙って商売していた奴の名前なんか知らないね」

 とっさに理解したのは、このままだと枯葉色の男は首を落とされて何もできずに死ぬんだということ。

 口の中が乾いてくっついて、声が出ない。だけどどうにか。

 叫んだ。


「――― リール!!」


 とたん、ばしゃ、と桶をひっくり返したような水をかぶせられた。何もないところから。おそらく枯葉色の男にかかったものだろうが間近にいたアヤもとばっちりで派手に濡れてしまった。

 瞬いて頭を振ってどうにか体が動くようになって周囲の状況を見渡すと。

 片腕を切り落とされた男は残る腕を捕らえられ、額を石畳に押しつけられる格好で。リールの紅い髪、耳の上あたりには鉛弾を撃ち出す拳銃が向けられていた。

 草色の軍服を着た帝国軍人によって。



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