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彼女の名前はアヤ・サイン。14歳。
重ねて言おう「彼女」である。
かねてより男装が趣味というわけでなく、父親探しの旅に出ると行く先々で少年に間違われたので「じゃあそういう設定で!」と決定しただけである。本人にそのつもりはなくとも、年頃の少女一人旅よりは安全であったろう。
ちなみにちょっとかなり荒い口調も元からだったわけでなく、そういう設定なら男言葉のがいいだろうと出会う野郎どもの真似をしたら思いのほか気楽で性に合ってしまい今後も修正する予定はない。
七日間戦争のさらに数年前、母親が馬車事故で亡くなり父と子ふたり暮らしであったが、国立研究所勤めの父は一度研究所に出向くと一、二週間帰らないのが常だったので。
もしかしたらひょっこり帰ってくるんじゃないかと。
思ったけれどそんなことはなかった。当時10歳のアヤですら「うん、そんなことない」と勝手に理解した。
近所に住んでいた、やはり研究所勤めの旦那さんがいた女性が一緒に捜索を願い出ようと言ってくれた。町の組合にはそんな人たちがたくさんいて、今まではハキハキした女性が座っていた受付には沈んだ草色の軍服を着た帝国軍人がいた。
そこで、物語のように門前払いされたり心ない言葉を投げられたりひどい仕打ちをされたり、しなかった。
彼らは淡々と作業をして届けは受理された。
ただ、さがしてくれないだけで。
だから探す。
生きていたらぶん殴る。
だから父親の死体を見るまでは諦めない。
願いが届かないなら足を運ぶしかない。そして研究所に入るには、精霊を捕まえるか精霊使いを捕まえるかだよなとアヤは短絡的に考えた。しかしそれ以上の手段は存在しない。
精霊はこの世界にあふれていて。
「彼ら」の意思に関係なく人間の都合もおかまいなしに現象が起こる。
ひどい嵐、時化る海、風のうわさ、人間の手に負えない自然現象とはつまり精霊が起こすものなのだ。
そんな精霊たちと通じ、人の意思で現象を起こせる者を精霊使いと呼ぶ。
精霊使いは得られた結果、現象を従える者であって精霊を使役する者ではない。つまり彼らは精霊と仲良しなのだ。
だが人間には人間の都合があって、自然現象を主に災害を管理できないかと考えた。お互い仲良く暮らせたらいいと、精霊の声を聴く者たちが集まって考えていつしか国を形成していった。それがヴァイン王国の前身とも言われている。
ヴァインの王族は精霊に愛された一族。
危機的な災害をある程度回避できると今度は便利にならないか、精霊と対話できる者しか恩恵にあずかれないのは不公平だと。
人とはどこまでも自分に都合のいい生き物だった。
精霊たちの姿を見ることも声を聴くこともできない人間でも、現象を結果として得られるように。
精霊への願い事を石にこめた。これが精霊石。
物語的な美しい響き、もとは鉱石や宝石に自然そのものである精霊への交渉の言葉を刻んだ石、けれどそれはどこまでも人工物である。
アヤの持つ精霊石は、父親がくれたものだ。
正確には、父が若かりし頃に母親に贈ったものだったが、馬車事故で母が亡くなった後で父から手渡された。
大事なものである。
自分が生活に困窮しても売り払うつもりはない代物だ。
けれどそれで父親が帰ってくるなら安いと思う。
ぶん殴るけど。
精霊石はいわゆる「加工済み」の物なので、市場の価値にかかわらず研究所へのとっかかりとしては弱かった。
ならばと探した精霊使いは。
血の滴る紅い髪をした、リールという少年。
年を聞けば16歳ということで、そんなに違わないのか!と驚愕したアヤに、彼は「そうだね」とにこりと笑っていた。年齢以前に美形の笑顔こわい。
元ヴァインの基準だが(リィン帝国の法とかアヤにとっては知ったこっちゃない)男子の成年が18歳だと考えると、リールに対し少年という表現も間違いではない。
だが、身長といい肩幅といい手の大きさといい頬のラインといい、アヤを少年と間違えたおっさんたちの基準に照らし合わせてもしょうねんとは気軽に言えない感じだった。
翡翠色した目がきれいすぎて、最初は気に留めなかったのだが。
アヤの14年の人生でいちばんの、これからもお目にかかるかわからない、たぶんない、そういう整った顔だ。
物語の王子様、のさらに上をいく気がする。
そんなリールと出会って3日。
彼のことが少しわかってきた。
リールの体は酒が流れている。
現在滞在中であるエールシーが酒造の町だったとしても、水分といったら酒しか飲まない。水飲めみず。
それで酔ったり体調を崩したりむくんだりしない。文字通り浴びるほど新酒を飲んだ翌日に光の精霊でも連れてるのかってくらいのキラキラ加減でいた時は、いろいろ諦めた。
リールは退屈が嫌いだ。
のんびりしに来た仕事とか信じられないとやる気のない言葉を吐くくせに、常に何かしている。何か考えている。
散歩、蒸留酒施設の見学(という名で顔見知りの職人から直接買いつけ)、組合に立ち寄って情報整理、見せてもらえないが書き物、読書、また散歩、合間に食事。夜は酒場で飲んで賭け事して。
この3日で、リールが一番楽しんでいるのはアヤをいじり倒すことだとは認めていない。
認めない。
リールは精霊使いだ。
いやそれを知っていて依頼をしたわけだが。
精霊と交渉なんてしたこともないアヤは交渉できる人間をとっつかまえ、でなく見つけてお願いし、研究所に売りとばじゃなくて差し出しでもなく紹介して足掛かりをつくりたかった。
父親が研究所勤めだったのでそういう類の本は家に積まれていた、寝物語の代わりに精霊の話を聞いた、詳しい内容は知らないが子供に聞かせるような「こんな仕事してるんだよ」的な話はいくらでも聞いたことがある。
だから多少知識はあった。
けれど。
ここらで一番の精霊使いだと。納得したというか。
ヴァイン王家が精霊と仲良しだったとかそんなのは千年とかいう単位の、おとぎ話に近く。
結果を得るための交渉手段をいかに簡略化するか、誰にでも等しく現象が起こせるか、それを研究するのが今の世の中で。
なのにリールが声を出さず唇を動かすだけで、指で示すだけで、精霊たちは彼が望むように望むものを与えた。それも快く。
美しい少年の力になれたのが嬉しいといわんばかりに。
(いやいやいや)
もちろんアヤに精霊の声は聴こえない。姿だって見えない。
けれどリールがお願いをすると空気があったかくなったり、ほわほわした気持ちになったり、落ち着いたり、時には風の中に透明の翅が見えたりキラキラした光の粒が見えたりもした。気がした。さすがに美形オーラが具現化したわけでもないだろうから、あれが精霊かと驚いたが。
まず嫌な気持ちになることがない。
嬉しそうだな、楽しそうだなと傍から見てもわかるような。あったかい光景。
(っていうかだな)
いいよヨロシクとアヤの依頼を受けておきながら、この3日リールの行動といえば散歩、酒(以下略)である。その中に組合や職人から依頼されたこまごました仕事をしていた。
井戸の見回り、雨の予測、土壌の様子見、持ち物への現象の付与、レンガ壁の修復。最後のひとつはなぜかアヤが物理的に修理した。できるけどさ。
「俺の依頼どーした?!!」
4日目の朝、華奢なカップで食後の優雅なお茶の時間をたしなんでいる(ようで中身はきっつい蒸留酒)リールの前で、アヤは両手をテーブルに叩きつけた。手のひらがじわりと痛くなって「いてて」と振ったらとても喜ばれた。
「忘れてないよ?」
「そりゃよかった! つかいつまでここにいるんだよ」
「宿代食事代含み滞在費は誰もちでしょう?」
「リールさんですねありがとうございますでも酒蔵の修繕は俺がやった気がする」
「大丈夫、アーヤがやったから。記憶は確かだよ」
「だーかーらっ! 俺の依頼」
「忘れてないよ」
宝石みたいな瞳を長い睫毛が彩った。目を細めて笑うだけで怖い、美形こわい。圧がつよい。
一息で飲むもんじゃない蒸留酒を、カップを傾けてくっと喉に流し込んだリールは、やはり優雅な手つきでそれを置いた。
人さし指をアヤに向け、爪をくるりと回す。するとなんだか鼻先がむずっとした。きれいな翅の蝶が鼻先をかすめていったような感覚。
「ちゃんと予定は確認してるって。どうせ滞在するんならエールシーの方がお酒おいしいし」
「けっきょく酒か」
「うん」
可愛く言ってもかわいくない。リールはどこまできれいだ。
先ほど手を叩きつけたテーブルに、アヤは顎をのせるようにへなへな溶けた。よーしよーしなんて、猫にするみたいに耳の下をくすぐられて最初は警戒したがもういっかと放っておいている。気持ちいいし。
「まあそんなわけで」
「おう」
「今日は出発します。もう出掛けるから用意はいいかな?」
「唐突だな?!」
「では出発」
「こっちの意見聞けよ!」
確かに、じゃあ荷造りに時間がかかるかといえば、となりの部屋にある布袋ひとつ持ち出せばいいだけである。
ちなみに宿の部屋はふたりで二部屋を利用させてもらっていた。出会った夜にリールが自分の部屋のとなりを借りてくれたのだ。「別にいっしょでもよくね?」と首を傾げたアヤを上から下まで眺めたリールは、口元に指をあてて「うーん不合格」と言った。失礼だ。
つまり最初からアヤが女の子だと知れていたようだ。リールが失礼ならアヤは危機感を失念している。
まあ不合格ならどうこうなる心配はないだろうとアヤは思っている。拾った猫に興味をもってくれていると、そんな程度だと我ながら感じていた。
大きくもない、アヤの胴体くらいの大きさの布袋を肩にかけ、宿の一階で帳簿を書いているリールの背中を見る。
理想の王子様みたいな外見をして、退屈が嫌なくせに「平和にのんびりしたい」が口癖みたいな、彼はいったい何をしてるんだろうと。思った。
平和にのんびりしたいのに、きっとこれだけ精霊に愛されているなら仕事はいくらでもあるだろうに、土地に根をおろして生活するわけでもない。
「おいで。アーヤ」
世にいう賢者ってこういう奴のことなのかも。
そう考えながら、黒猫はしっぽをぴんと立てて精霊使いについて行った。