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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第3章 紅と瑪瑙
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 国境の町ファルマ。

 砂漠から吹く風で大地が剥げ、赤土の上を砂が舞う。

 人が国を形成する時代には隆起し、陥没した大地が渓谷として横たわり、その一部がある時代の干ばつで砂漠化した熱風の大地。


 この巨大な渓谷が、元ヴァイン王国とキーサ皇国の国境になる。


 渓谷には古くからの先住民がいたが、砂漠化が進む中でキーサ皇国が移民をすすめ、今では住まう者はいない。

 それを逆手にお尋ね者共が隠れるようになったので、過酷な地でありながら警備の手が抜けない状況が続いていた。渓谷そのものはキーサの国土だが、潜伏する連中の身柄によっては両国が関係するというか両国手を出したくないというか、複雑だった。

 ヴァインの辺境騎士団とキーサの飛空艇団が協力しつつにらみ合いつつ、夜は酒場で一緒くたに盛り上がるような均衡に、リィン帝国軍が介入したものだから大混乱だ。


 帝国軍の目的はヴァインの武力を制圧すること。キーサ軍は関与しなければヴァイン領内にあっても攻撃対象でないし追撃もしないと宣言され、キーサ皇国もファルマからの撤退命令を出した。

 だが、現場は違った。

 今まで、気に喰わないがいつでも顔を突き合わせ共同戦線を張って酒まで一緒に呑んでいた連中が、圧倒されてゆくのに背を向けて撤退できるかと。対抗したキーサ軍人が後を絶たなかった。

 もちろん撤退命令に背いた時点で離反者だ。皇国が反抗したわけでないし、それを制圧したとしても帝国がキーサを攻撃したことにはならないという名目であるが。


 七日間戦争後、最後まで戦火が残ったのがファルマの町だった。


 もはや残党と呼ばれる軍関係者でなくても血の気の多い屈強な連中が残っただけあって、今でも町中での小競り合いは珍しくない。女性陣も「まったく困ったもんだよ」と片付けてしまう豪胆な人が多く、一言にいって治安が悪い。

 だが、キーサの大型飛空艇が発着する場所として交易を重ねてきた町でもある。

 南北大回りで陸路を運ぶのとは比べ物にならない早さ。大渓谷を越えての販路は帝国にとっても潰すことはできず、以前とはまた違った危うい均衡で人々が集まっていた。


 なので本当は、今ファルマの町に立ち寄るのは避けるべきだった。

「は? 用意できないってどういうことだよ?!」

 ファルマの組合は木造。七日間戦争後に町の皆で身を寄せ合い建て直したので、増築を重ねてさらにごちゃごちゃした様子になっていた。

 そのカウンターで声を荒げた輩を、リールはちらと横目で見やった。

「おお、リールじゃねえか。宿か? 仕事か?」

 しかし、紅い髪をしたとびっきりの美形にびっくりしすぎた受付の少年が慌てた結果、組合長が顔を出したのですぐに興味を失った。

「とりあえず宿かな。あと、キーサまで飛んでる便ある?」

「『ここ』にはないな」

 削れて汚れた木のカウンターを、組合長は指の節でごつごつ叩いた。

 予想はしていたが、飛空艇の便は今はないらしい。表立っては。

 む、と黙ったリールの前で、組合長は無言でとなりを指さした。先ほどから声を荒げて抗議している先客と、まったく動じずに頭をかいて説明する中年男に再び視線を向ける。


「何と言われようと、ないものは用意できないな」

「それがまずおかしいだろ。前金も払ったし証書もある、急な案件があっても確保しておくのが道理だろうが」

「おお、正しいな。こっちも信用第一、金積まれたって約束を優先するのは当然だ。割り込んできたのが帝国軍じゃなけりゃな」

「ああ? 帝国軍になら喜んで尻尾振って献上しますってか」

「喜んで尻尾振ることはなくても、生きて商売続けるには使うな」

「じゃあどうすんだ」

「前金は返すさ」

「そうじゃねええぇぇ」


 組合は何もかも町の厄介ごとすべて引き受ける場所ではない、商人と客を仲介してやるのが主だ、つまり破談だなとリールは納得する。

「3日前か。帝国軍のお偉いさんがこっから帝都に飛んでなあ」

「…らしいね」

「残党が勇んで返り討ちにあったもんだから、燃料とか武器とか医療品とかいろいろスッカラカンなんだわ」

「だろうね」

「使節団がキーサに行くみたいだから、それが終わるまでは、大人しくしてないとぺしゃっと潰されるな」

 実は、リィンとキーサで正式な交易ルートは確立されていない。ヴァイン時代からの付き合いで商会単位が輸入するのは容認されていたのだが、正しくみるなら密輸である。まあ、ファルマの町だし、で目こぼしされていた状況が変わった。

 帝国の使節団がキーサ皇国に公式訪問する。

 正規ルートが整備されるかどうかそんな案件も含まれるかどうか、一般市民にはわからないが、この販路を使う商人たちにとっては、事実監視が厳しくなったのだから仕方ない。手を引くつもりはなくても、大人しくするしかないのだ。


「ならせめて半分の量でもいい。西端のリムシ・タミセまで飛べればなんとかなる」

「そんなにあったらふっかけてでも売るわ」

 破談寸前のおとなりは、まだ交渉が続いていたようだ。

 客の言葉から、どうやら飛空艇の燃料類を買いに来たらしい。リムシ・タミセはキーサ皇国西端、大渓谷を越えた場所にあるかつての先住民たちが多く住む町の名前だ。

 前金を払ってそこまで飛ぶつもりだったというなら、復路なのだろう。今回の規制がなければキーサの民が行き来することは珍しくない。

 リールは三度彼らに視線を向けた。


 客は十代後半で、少年と青年の中間のように見えた。

 荒く整えられていない髪は襟足だけが少々伸びている、色は黒。横顔なので瞳の色は見えないが、褐色の肌と、キーサ国教の洗礼の証である刺青が額にあるのでキーサの民であることは一目瞭然。

 飛空艇で渓谷を越えずキーサに入るには、帝国の動向を考えると南の陸路が現実的だが。順調にいって馬車でひと月。南方の小国あたりから流れてくる夜盗とひと悶着あれば、時間も経費ももっとかかるだろう。

 少年が諦めないのも道理だったが。

「石炭は? もしくは腕のいい錬金術師か精霊使いはいないのか?!」

 彼の言葉に、狭い受付の部屋にいた組合員たちから、「ああ」みたいな空気が流れた。


 いや、こっち見ないでくれる?


 リールの向かいにいた組合長も含め、全員が正直な反応をしたので、空気を読んだ少年が「ん?」とこちらを見た。お前もこっち見るな。

「お前? 精霊見えるのか? 請負はしてんのか?」

 リールの希望は叶わず、矛先が完全にこっちを向いた。額に手を当てて深く息を吐き、まあ、面倒そうだけどこちらも聞きたいことはできたと思うことにしよう。そうしよう。

 諦めてキーサの少年に向き直ると、相手はきょとんとした顔でリールを見てきた。互いに認識すれば同年代だと気づいたからだろうか、意外そうな顔で、瞬き一つせずにリールを見ていた彼は。


「男だよなそうだよなちくしょおぉぉ…!」


 などと崩れ落ちた。

 え、やっぱり関わり合いになりたくないかも。

「思いがけないところで好みど真ん中の顔見つけたからやべぇこれ運命かよ!とかアガったのに男かーもったいねーちくしょーよく見りゃ女には見えねえしなあでもずりぃなおい」

 あ、やっぱり関わるのよそう。

 宿を取りに来たことはさておき、この場から離れようと踵を返したリールの、手首がつかまれた。

 褐色の手。砂除けで身に着けている外套の下から、中剣が見えただろうに、少年はひるまずに笑った。

「精霊使い? 俺に買われてくんねえ?」


 不思議な瞳の色だった。

 紫紺、かと思えば細められると黒々と見え、眉をひそめたリールの表情に笑って見せるともっと薄く茶にも見える。

 まるで縞瑪瑙のように光と表情で変わる色。


 不思議な色だなと、つかんできた手を払うのを忘れていたら、その瑪瑙が近づいてきた。

「…まず、目的を言いなよ」

「ああそうだな。小型飛空艇を飛ばすだけの動力が欲しい」

「蒸気? 重油? 精霊石?」

 リールの質問に、瑪瑙が黒々と輝いた。燃料確保の安堵より、話のわかるやつ見つけた!という喜びだった。

「どれでもいい! 買った!」

「気が早い。僕を売る前に、その飛空艇見せてくれる?」

「動かせるかどうか?」

「いや。帝国軍のせいで、キーサ行きの便がないみたいなんだ」

 困ったなと言うと、困った時は助け合いだろうと、少年は言った。

 交渉は成立した。


 ので、そこでリールは少年の手を引き、下から肘を回すように絡めるとおまけの足払いで床に叩き落としてやった。無防備に背中から落ちた少年は、無様に咳き込んで涙目になっていた。

「ゲ、…ッホ、うえ何すんだよ?!」

「僕は高いよ?」

「言い値で買ってやらぁ!」


 交渉は、成立した。



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