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酒造の町エールシー。
果樹園広がる土地というよりも、それらの原料を蒸留するための施設、職人が集まる場所だ。職人の家族が住み、根を下ろして商売を始め、行商が行き交うために道が整えられた。そのため馬車便の往来も多い。
建物はレンガ造り。
酒造職人たちをまとめる組合が商人との交渉も請け負い、ほぼ町の受付を担うようになり。
リィン帝国の侵攻―――七日間戦争などと言われるがあまりに一方的だったため「戦争」なんてものじゃないと大勢が口をそろえる―――以来4年、変わらず機能していた。
ふぞろいのテーブルや椅子が並べられた奥にあるカウンターに近づくと、まぶかにフードをかぶっていたにもかかわらず料理人が「よ」と片手をあげた。
そう料理人である。
町の組合は本当に何でも屋となっており、人が集まって会合するなら飯も食いたい、酒は持ち寄り?いや置いておけば来た時に楽だろう、なんてノリで発展し。各職人から酒を買いつけ料理をつくる厨房までそなえてしまった。
カウンターの中にはそこらの男たちと変わらない格好のヒゲ男、これが料理人だ、と子育てを終えて横幅がだいぶ立派になった女性がいた。
「お前はいつもいいタイミングで来るな」
いい酒ぜんぶ飲まれたらたまんねえわと料理人は笑ったが、飲んだ分の酒代は出すのだから彼らに損はないはずだ。
流通の点でいえば出回ってなんぼともいえるが、ここでしか飲めないという付加価値はまた人を呼ぶ方法として悪くないだろう。
「むしろ協力してるでしょう」
「言ってろ」
ヒゲ料理人が武骨な手に似合わずそうっと肉を切る手つきを見ながら、少々遠くにあった脚の長い椅子を勝手に引いてカウンター前に腰かける。
エールシーの町は、侵略による被害はほぼなかった。
あの日、空を飛ぶ帝国軍の飛空艇を見た者はいるが、それが何だどうなったんだと街の住民が知るころには王の首の血も乾いていた。
果樹園農家をふくむここらの土地の領主が、帝国軍人とともに現れてようやく自分たちの状況を知ったくらいだ。
元・ヴァイン王国は広大な国土であったため、情報の伝播には各地でかなりの格差がある。
果樹園焼けなくてよかったよね、と思うのも正直な気持ちなのだ。
「まあ、リール。あんたまた何も食べずに酒ばっかり飲んで。少しは何かおなかに入れなさい」
「今年のブドウおいしいねえ」
「おばさんの話は聞きなさい。もう、チーズの塊でも目の前に置いてやりな」
恰幅のよい女性はヒゲ料理人の奥さんで。うまい酒のある町でうまい料理をつくる旦那と子育てをした結果、ころんと可愛らしいお嬢さんが育ってつい先日お嫁にいったそうだ。
しあわせでなによりです。
どん、と本当に塊で置かれたチーズにぱちりと瞬くと、ヒゲ料理人は笑ってチーズナイフも置いた。
「いいなそれ、俺もどーんとでっかいのがいい!」
そこへ、カウンターに黒猫がひょいと飛び乗った。ように見えた。
見れば十代前半といった子供の域を抜けていない黒髪の少年が、カウンターに両手をついて身を乗り出し、リールの前に置かれたチーズの塊をきらきら見つめていた。
「あ? 坊主、さっき金ないって言ってたろ」
「カードでもして稼いでこいって言ったのおっさんじゃん」
「…勝ったのか?」
「勝った! 一人勝ちすげえ! な?」
機嫌のよい黒猫はしっぽをぴんと立て、ているように見える。さっきから。
黒髪の少年の横には彼の父親くらいの年の男がふてくされた様子で立っていた。そして「なんでも好きな物食わしてやるから黙ってろ」と少年の頭をがしがしかき回していた。
「お前がカードで負けるなんてなあ」
「うるせえ黙れ広めるなよ?」
「チーズもいいけど肉! 肉を塊でどーん!」
「お前遠慮ないな?!」
「なんでも好きな物だろ?」
笑った顔が幼い、12いや13歳くらいだろうか。でもやっぱり黒猫に見える。
物理的に存在感のある奥さんからパンをもらい、チーズの塊をけずってのせる。はしからぽそぽそとかじると塩気がしみる、酒がすすむ、しあわせなによりと思っていると「そうだ」とヒゲ料理人が今思い出したように口にした。
「リールに依頼があった」
「ええー」
「なんで嫌がってんだ。受けるかどうかは依頼人と直接交渉したらいい」
「はあ、組合長が精査するんじゃなくて直接?」
それはつまり厄介ごとだ。
町のなんでも屋さんはなんでもする。出入りする商人たちの話を聞いてやってる内に、町や商売のみにとどまらない依頼や情報が集まっていた。
とはいえ組合の体面もあるので明らかに物騒なものや手に余るものは扱わない、そういう目に長けた人たちであることは知っている。
だから組合が仲介せずに直接どうぞというなら、厄介ごとだ。
程度がどうかは知らないけれど。
「だって今年のブドウがそろそろおいしいお酒になってるかなーってここに来たのに、のんびりしに来たのに、なんで仕事しないといけないのー」
「断るなら直接そう言ってやれ」
となりにいるから。
と、言われ。
思わずカウンターのとなりに視線を移してしまい、しっぽをぴんと立てた黒猫の黒い目とぶつかった。
パンにチーズにさらに肉!と楽し気に手の中のものをほおばっていた少年も、こちらを向いて、ぱちと瞬いた。
「ほ?! ほあれ、んんっ、まって食うから待って!」
食うのが先か。
口いっぱいのパンを強引にのみくだし、手の中の残りを歯をむいてがつがつ食べ始める。うん、食うまでに逃げられたらどうする気だった。
少年が食べ終わるまで思わずながめてしまい、視線の中、黒猫いや少年はこちらのフードの奥にある目をのぞきこもうと顔を近づけてきた。
「クレナイに依頼がある。中央の国立研究所まで行きたい」
この世界は色であふれている。
だから存在する様々なものには色で名前をつけている。
尊敬や畏怖をこめて、わかりやすい象徴として、あざけりをふくめて、それこそ目に映らない精霊たちにも。
『紅』は誰かが呼び始めただけで、自分で名乗った覚えはない、けれどわかりやすい『色』は名前よりも時には本人よりも強烈な存在感になる。
なので、色で呼ばれて、リールはかぶっていたフードを背中に落とした。
強固なレンガの建物の中、そろそろランプの灯をつけようかという時間、それでも鮮やかな紅い髪。
少年は「わあ」と素直に声を出した。
赤毛とも違う、艶やかな紅い髪、まるで首からしたたる鮮血のようだと言われて。
「すげえ。翡翠色だ」
言われて、ええと、…目の色かな?
無言で小首をかしげると耳の下あたりまで伸びた紅い髪がさらと揺れる、今まで会った誰もがそちらに目を奪われた、なのに目の色の方とは。
まっすぐに、目を見る子なんだと。
思った。
「家族とかみんな濃い色だったからさー、うわあキラキラだなそれ」
「んー、えー、君は『紅』に依頼って言わなかった?」
「言った言った。ヒゲおやじにこのへんで一番の精霊使いは誰だった聞いたら紅だろって言うから」
「誰がヒゲおやじだ」
「料理おいしかった! で、紅だったらけっこうすぐ来るんじゃないか新酒の季節だしって」
カウンターに肘をつきながらヒゲ料理人を見上げると「当たってたろ」と事もなげに返された。その通りです。
黒猫の無邪気さも、まっすぐさも理解したが話の内容はやはり厄介だ。
「元、国立研究所だね? 4年前にまっさきに落とされて帝国軍直下の施設になってる物騒な場所だ」
「俺の親父がそこで働いてた。帰ってこない。だから探しにいきたい」
「それは気の毒に? けど戦時行方不明者なんて政府に依頼する案件でしょう」
「政府ってどこ? 今あんの? 帝国は俺ら国民を押しつぶさなかったけど興味もないだろ。頭をとっかえて管理したいだけで、捜索なんてしてくれねえよ」
実際に依頼しても放っておかれたまんまだしな! と少年は憤った。
カウンターに置いていた肘を持ち上げ、ついでにチーズナイフも持ち上げて、リールはチーズの角をけずった。そのまま口にふくむと先ほどよりも塩気が強く感じられた。何度も口にしたからか、少年の話を聞いたからか。
黒猫は無邪気でまっすぐでさらにバカでもなかった。
状況を理解している。
公に訴えて手ごたえがなかったから個に頼る、頼らなければならない自分も知っている。その上で。
国立研究所が何を研究する場所なのか知っている。
精霊たちの起こす現象を解明するため。
帝国が支配領の民たちに興味がなくても、いまだ「研究所」が機能しているということは「精霊使い」を放ってはおかないだろう。
一番の精霊使い。なるほど自分だろうと思う。
「でもなあ」
「なんだよ」
「今日の食事をカードで稼ぐようなお嬢さんに、僕の依頼料払えるかな…」
「誰がお嬢さんだ。いくらに、なるかはわかんねえけど、アテならちょっとある」
「ちょっとなの」
「俺じゃ値段わかんねーの! これ!」
そう言って少年がカウンターに勢いよくたたきつけるように置こうとして、我に返ったのか、寸前で止めてそうっと置いた。
薄い桃色の球体。
ガラスのような透明度はなく、指で支えていても球体の向こうが透けて見えることはない。ただつるっと磨かれた完全な球体にも関わらず、光を反射するようにそれ自体がきらきらしていた。
大きさは少年の片手にのるくらいだ。
「素体じゃなくて、これもう精霊石だね。意外なの出た」
「売ったら高いと思う…」
「高いっていうか」
ここで一日三食果実酒つきの食事を5年くらい頼んでも余裕で払える。その間の宿代も払えるかもしれない。
精霊石もぴんきりではあるが、リールの目から見て、これはそういう価値があると判断できた。
それを上着のポケットに無造作に入れてるとか。
なんだこの子。
おもしろい。
何度となく訪れて顔見知りとなった料理人夫婦は慣れたが、リールは大変な美形だ。
その夫婦がそろって「あ、やばい」という顔をしていた。慣れた人間でもリールの美貌はぞっとすることがある、たいていの場合、嫌な予感がするといった状況で。
血で染めた紅い髪に翡翠の瞳、リールが立ち上がると黒髪の少年も立ち上がり、その身長に頭ひとつ分の差があった。
「名前は?」
立ち上がってからカウンターに置いた精霊石を取り上げて、やっぱり上着のポケットにしまった少年に問いかけた。
「アヤ・サイン」
「うん。よろしくね、アーヤ」
その美貌でもってにこりと笑いかけ、今になってようやくそのきらきらしい顔に息をのんだ少年が蛇ににらまれた蛙のようにぎこちなく「お、おう」と返した。
もうなんでアンタこの仕事紹介したのさ、いやだって組合長が子供の言うことなんてリールが聞くわけねえって言うから、バカだねあの子もかわいそうに…などと、カウンターの内側で夫婦が小突き合いをしていたのをリールは知っていた。




