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紅の精霊使いと翡翠の精霊姫  作者: 岬かおる
第2章 紅と銀狼
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1


 賭博の街フィールズ。

 元ヴァインの東方で一番の歓楽街。


 精霊の現象研究を専門に行う国立研究所の一つを有した街は、4年前の七日間戦争によって被害を受けたが目を見はる早さで復興を遂げた。

 物流の要だったこともあるが、その名の通り娯楽にあふれる街は力を持つ商会がいくつも競り合うように店を並べていたため、本体に被害のなかった商会は支援復旧に惜しみない力を注いだためだ。

 金を生み金を回し金が落ちていく街は、商会の本体にとって重要な資金源でもあった。

 領地を持ち、健在である貴族は社交のために変わらず通っていたし、研究所が帝国軍管轄となってあふれるように増えた軍人たちがやはり金を回してくれていた。


 いささか上品さには欠けるが、目がくらむようにきらびやかなフィールズの街。

 ここにも元締めとして代表が集まる組合は存在するが、根本の運営を取り仕切っているのは、街で一番の規模を持つドゥーレ商会。

 大規模な賭博場、絢爛たる歌劇場、高級宿泊施設などドゥーレ商会が直接運営する施設だけでも複数あり、彼らの支援する所も含めると相当な数になる。


「だから、あんまり荒稼ぎするとすぐに情報が回るんだよね」

「物騒だなオイ」

 荒稼ぎすんの? と、おそるおそる見上げれば、「面倒だから半年分くらいは」などと返ってきた。彼の基準で半年分とは。


 時刻は日が沈むかという頃。建物が多ければ玄関、店先にろうそくや油照明が灯ってわずかに道を照らすだろう。しかし、フィールズは整備された庭園の庭より整然と街灯が立ち並んでいた。

 建物内だけでなく道まで光があふれ、この時間であっても「明るい」と感じるほどだった。

 その明るさは人を呼ぶ。通りに人が絶えず、それを目当てに商店も店先に品物を並べる。フィールズが賑わうのは、華美な建物内だけではないのだ。

 そうして行き交うたくさんの人が、必ず彼を振り返る。


 耳の下、襟足まで長くやわらかく伸びた紅い髪。赤毛とも違うそれは、鮮やかな絵の具で描いた絵画のように冴えた紅。

 朝まで燃え尽きることのない油照明の光を受けてちらちらと反射する、星を散りばめた翡翠の瞳。

 神様が愛し好んで並べた顔の部品、男性として細くはあるがすらりとした体躯、まっすぐに伸びた背筋で悠然と歩く姿。

 理想的な貴公子、物語の中の王子様、精霊使いリール。


 店先に果物を並べて売っていた年頃の少女が、思わず彼を呼び止めた。商品を買ってもらいたい、ではなくてただもう引き留めてしっかり眺めたかったという顔をしていた。

「明日の朝食に、いかが… でしょう…」

 語尾が消え入る。彼女が呼び止めたことによって、振り返り眺めてため息をついていた女性たちが一斉に立ち止まったという異様な光景。

 リールは、薄く笑って「ごめんね」と言った。

「明日はいいんだ。今度また、お嬢さん」

 ため息どころか黄色い声があがった。おいこら倒れた人の対処ってお前の役目じゃないのかと思ったが、彼が歩き出してしまったので仕方なくついて行った。


「あのね、アーヤ」

「おう」

「これは別に僕のせいじゃないから」

「嘘だね!意図的に色気の攻撃力あげられるだろお前」

「攻撃力… あれは猫かぶってるだけなんだけど」

「それの破壊力がやばいんだって」

 はかいりょく、と呟くリールの背中を押してさっさと宿に押し込めてしまおうと思った。こいつ、この調子で今までどうやって「平和にのんびり」生きてきたというのだ。絶対無理だろ。


 短い黒髪、ほんの少しだけ茶の混じる黒い目、一見すると十代前半の元気な少年だが。

 アヤ・サインは元気な少女である。

 しかして傍目には美貌の貴族とその従僕、なんて見えているだろう。いっそ設定はそれでいい。いいけれど通りを歩くだけで「これ」なのに、この賭博の街で目立たないように稼ぐとか不可能だ。

 もう一度言おう、絶対無理だろ。


 資金稼ぎに行こう。


 リールが元気な黒猫をお供にしてしばらく、彼はそんなことを言った。

 根無し草の彼は家を持たず物を持たず、宿暮らしをして必要な物があれば行く先々で調達していた。それだけでかなりの余裕だが、リールが要ると判断すれば上等の服を用意するし鉄馬車の特級車両を確保するので、どういう金回りなのかアヤは常々不思議に思っていたのだ。

 余談だが、アヤは立ち寄る町で日雇いの仕事を探してはちょっぴり稼いでいる。素直で元気な少年(に見える)は、たまに変なのに引っかかるが、孤児院での読み聞かせや食堂の裏方など簡単な仕事なら見つけることができた。

 今ではそれらの稼ぎを「アヤのお小遣い」といって、旅費のすべてをリールが支払っている。いわく、飼い始めた動物の世話はちゃんとするのだそうだ。従僕どころか愛玩動物扱いだった。

 ともあれ、細々した仕事ではなく「稼ぎに行く」とリールが言うので、どんな仕事かと思ったら。


「博打か」


 行く先を聞いて「それ仕事じゃない」と突っ込んだ。やはり鉄馬車の特級車両に押し込まれてから聞いたので、もう抵抗のしようもなかったが。

「組合での頼まれごとは、趣味っていうか」

「趣味。俺の決死の依頼とは…」

「現象による結果が、世界の事実だと思うよ」

「なにその思考。もう、リールって精霊なんじゃないのか…ああそうだ、聖属性のお姉さんたちもすっげえ美人だったし…」

 類まれなる美貌は、いっそ彼自身が精霊なんだと言われても納得しそうだ。


 だが、彼は精霊に愛された「人」。

 精霊の力を借りて本来の姿を「隠して」いる、亡国の美しき姫君。

 リールミール・メルニーナ・ヴァイン王女。


 アヤは、その本来の姿を見たことがある。性別と色は違うが顔の造形などはまったくリールなので、息を呑むほどの凛とした美しいお姫様だった。

 まあ、その、中身はいたってリールであったが。

 ヴァイン健在の頃も、王女殿下は可憐だ美しい姫こそが精霊のようと言われていたが、庶民のアヤにその姿を拝見する機会はなかった。

 王都なら絵姿も出回っていたかもしれない、けれど精霊姫の顔なんて知らない。七日間戦争から生死も行方もわからない王女が「彼」だと言われて、でも疑いようなどなかったから。

 そうなんだなと思っていた。

 でもリールだなと思って、一緒にいる。


「それが… 賭博かあ…」

 一般的なお姫様のイメージではないが、とてもリールっぽいから複雑だ。めちゃくちゃ稼いで目立って要注意人物として商会に情報が回ってそう。

「リィン帝国もそうだけど、ヴァインの頃から合法でしょう」

「カードは自信あるけど、俺はそういう運ってないからなあ」

「ああ、アーヤは、…運なさそう」

「嬉しそうに憐れむな」


 鉄馬車がフィールズに到着したのは夕刻。

 いつも利用する宿が大通りにあるというので歩けば、道行く人々の注目を浴び(おまけにご婦人を卒倒させ)、着いたのはドゥーレ商会ご自慢の高級宿で、カチコチ固まるアヤを置き去りに一室借りたよと言われて、となり部屋じゃないんだ実際は女の子だってわかったからいいのかと思っていたら、控えの間と居室と寝室が二つある部屋だった。

 どこからどこまでが「いっしつ」の括りなんだろうか庶民にはまったくわからない。

「え…これは、先行投資…?」

「稼ぎに行こうとは言ったけど、別に手持ちが尽きたとは言ってないね」

「おおぅ……」

 庶民にはまったくわからない。

「じゃあ、僕はちょっと出掛けるけど。何かあったりお腹へったりしたら宿に頼むようにして、部屋付きの侍従と侍女がいるから。外には出ないように。正直治安は悪いからね」

「部屋付きの使用人……」

 駄目だめまいがしてきた。部屋の真ん中で硬直していたがまともに立っていられず、アヤはふらふらと備え付けのソファに倒れこんだ。それがまたフカフカだったのでこれが俺のベッド…などと呟いて撃沈した。



 賭博の街フィールズ。稼ぐには手っ取り早い場所だ。

 今までも身ぐるみはがされるような事態はなく、少々やり過ぎてひと悶着あったが、時々訪れては資金稼ぎをしに来ている。

 その「ひと悶着」の時に色々あっていくつかの賭場には顔がきくようになったが、組合のルールや商会のナワバリを荒らす目的でないと示すために挨拶は必要だ。そして足を運ぶことが誠意にもなる。


 馴染みの賭場を訪れると、目的の人物がいる酒場を教えてくれた。派手で大きな建物ばかり目につくドゥーレ商会の店の中でも、知らされた酒場は個人でほそぼそと営むような小さくて良い酒を置く所だった。一度飲んだことがあるので場所はわかっていた。

 大通りから一筋わきに入った道。とある宿の半地下にあった蔵を店として利用しているため、窓がなく、出入り口が一か所だけだ。

 つまり人の出入りを監視でき、襲撃に備えやすい。

 さほど広くない店にも、沈んだ草色の軍服が増えた。仕事中なのか休憩中なのか非番なのか知らないが、制服のまま街で遊ぶ軍人がいるのは珍しいことでもなかった。


「お、紅の。飲むか?」

 蔵だった頃から変わらない石壁を背に、上等な酒の入ったグラスを掲げて呼ばれた。

 黒砂糖の色をした髪とヒゲ、60歳も目前にして屈強で分厚い体躯、ドゥーレ商会会頭である。


 テーブルを挟んで向き合うように設置したソファの組がいくつかあり、会頭がいたのは店の一番奥だった。

 遠慮なく近づいたが三歩ほど離れた場所で一度会釈する、挨拶が目的だが「飲むか」と言われたので会頭から勧められたら腰かけるつもりではあった。

 しかし、会頭の向かいには先客がいた。

「おおい、紅の坊主が飲めるようなイイ酒持ってこい。あと、…その様子じゃソファが一脚いるかね?」

 豪商の名にふさわしい声で「はは」と笑った会頭には失礼だが、決して先客のとなりに腰かけるのが嫌だとか、そんな生ぬるいものではなく。むしろ椅子とかいらない座らない挨拶したらすぐ帰りますこの場にいたくない、という顔をしていただろう。


「いやはや、嫌われましたなあ。司令官殿」

「おかしいですね。私の中ではわりと良好な関係を築いていたと思っていたんですが」

 ―――だ、れ、が、だ。

「こいつは珍しい珍しい。紅が坊主らしい顔をしておる。ますます引き留めねばな」

 ―――い、や、だ、ね。

 少しだけ息を吸って、止めて、リールは猫かぶり全開の華やかな笑顔を浮かべた。

「会頭。しばらく滞在しますのでその挨拶に参っただけです、気を遣っていただかなくても」

「とりあえず座れや、坊主。司令官殿のとなりとは言わんから」

「ですが、」

「明日からコインの1枚だって回してやらんぞ」


 リールは、負けた。



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