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きのい  作者: 西田ハル
10/27

5

「とりあえず掃除がしたいわ」

 神妙な顔でそう言った。

 在宮は地学室をぐるぐると回って戸棚や並んだ机に指を走らせる。指でなぞった線が彼女の軌道を示すかのようにうきぼりになる。

 指のホコリを払ってハンカチで拭う。

「ほらこんなに汚れているもの」

 ついでにスカートもはたいて在宮は定位置に戻る。彼女の席は窓際と決まっているらしい。

 確かに地学室はきたない……というよりは動的な現象が起きないせいでホコリやチリが静かに積み上がっている印象だ。この場所だけ時間が止まっていたかのようなそんな感じ。

 家や建造物なんかも人の出入りがなくなるとすぐに風化、劣化してしまうのと似たようなもので、ある程度は人の手が加わったり出入りがあったほうがその空間や部屋の健全性というか秩序が保たれるのかもしれない。

 そもそも特別教室のひとつであるのに授業で使われていないようだし、地学室の意義が問われている。

「これから活動の拠点となる場所が汚れているのは許容できないもの」

「確かに、ちょっと座っただけで制服がホコリで白くなるのはイヤだよな」

 最低限座るスペースは綺麗にしたが全体的にほこりっぽさが残っているのは健康にも悪そうだ。

「写真部予定組の最初の活動は掃除ということで」

 在宮が教室奥のロッカーからほうきを手に持つ。

「水原くんには水拭きお願いしたいのだけど」

「おー」

 汚れのない白い雑巾を在宮から受け取る。あまりにも使われない教室のため、掃除用具は綺麗らしい。人が来なければチリは積もるが掃除もされないのでそういった道具は綺麗なまま。なんとも皮肉な話というかなんというか。

 雑巾を濡らして戻ってくると、在宮はすでに床を掃いていた。髪をくくってブレザーは脱いでいる。ほこりにまみれる可能性があるので正しい判断だろう。

 手始めに机や棚を拭いていく。水拭きのあとに乾拭きをして水気を吸わせる。一つ目の机の汚れを払拭しただけで雑巾は黒くなった。なかなか手間がかかりそうだが床の雑巾がけに比べたらラクなものだ。

 バケツがあればもっと効率よく進められたのだろうが、ないのであれば相応のやり方で進めるしかない。

 拭いては雑巾をすすぎ同じ工程を繰り返す。何度かの往復を経て机の天板は綺麗な木目を取り戻した。

 棚も見える範囲はくすみ一つない。なかなか頑張った。

「やっぱり綺麗にすると見栄えが違うわ」

 在宮はほうきを片手に満足げだ。

「なんやかんや三十分くらい掃除してたわけだし」

「清掃はおしまいにしてお茶でも飲みましょう」

「自販で買ってくるぞ?」

 そう提案すると「そうね……」と上に視線をやる在宮。そして首をかしぐ。

「まだ利用したことがないからなにがあるのか知らないわ」

「五階の教室から一階まで行かないとならないから相応の手間があるしな」

 正直なところ各階に置いて欲しいところではあるが費用がとんでもなさそうなので願いはかなわないことだろう。アシコーもボランティアで学校をやっているわけではないので生徒の要望全てを受け入れていては運営が立ち行かなくなる。

 仮に要望が通っても在学中にそれが叶うとは限らないので難しい話だ。後輩のために頑張るほどの意欲を持った生徒もそうそういないだろうし。

「近いし在宮も見に行くか?」

「そうするわ」

 自動販売機は体育館に併設された共有スペースに設置されている。吹き抜けの空間にいくつかのテーブルと椅子があり、お昼時や放課後などに利用者が見える。この時期を過ぎるとただただ暑いだろうから今利用するのが賢い使い方かもしれない。

 こういう空間を使いこなせるのがリア充たるゆえんなのだろうと、どうでもいいことを考えているとその場所に到着した。

 テーブルは一つ専有されている以外は空いている。ソフト部らしき女子たちが休憩がてら談笑していた。長時間屋外で活動している彼女らにとっては屋根があり風が吹き抜けるこの空間はとても魅力的なのだろう。

 そんな姿を横目に、在宮が自動販売機を眺めている。

「街中にあるものと比較すると少しだけ安いのね」

「ビーエナが薬局とかスーパーで買うより安いから最強だぞ」

「びー……? どれかしら」

「これこれ、ビーストエナジーっていうエナドリだよ」

 トラの顔をしたロゴマークの下にビーストエナジーと書いてある。コンビニだと206円くらいで安い薬局で190円台。しかしアシコー自販機ではなんと180円。敵なしだ。お値打ちすぎて家用に数本買って帰ったことすらある。

 ビーエナのほかにブルーブルもありそちらは190円。悪くはないが小さいボトルなのでビーエナが売り切れていることのほうが多い。ビーエナユーザーが多いのはいいことだ。

 なによりもビーエナは枠を二つ持っているのでブルーブルに完全勝利をしていることは誰の目にも明らかなのだ。素晴らしい。

「エナジードリンクね、まったく飲んだことがないのだけれど愛飲者が多いということはなかなかの中毒性があるということね」

「飲みすぎるとうっかり死ぬ可能性もあるからな」

 海外勢の飲みっぷりは常軌を逸したものなのでマネしてはいけない。缶のサイズからして違うのにそれを水のようにがぶ飲みしたらそりゃ想像される結果が待っている。

 一日一本にはとどめているが、おそらくそれでもあまりよくないのだろう。

 とは思いながら飲んでいる。うまいのだから仕方がない。

 俺は無言でビーエナを買い、自販機を在宮に明け渡す。

「それも気になるけれど……」

 と逡巡しつつも最終的にサイダーを手にした在宮。そもそも炭酸のイメージがなかったのでそれでも新鮮だ。

「家だと俗物的なものは触れる機会がないもの」

 そんな時代錯誤なことを呟き、在宮は「戻りましょ」と先に身をひるがえした。

 地学室で所定の位置につき掃除の苦労をねぎらう。

 サイダーをあおり在宮がひと息つく。

「やっぱり綺麗だと気分がいいわ」

 締め切られた窓も全開にしたら非常に空気の循環のいい教室になった。全体的に陰気臭かった地学室も古びた雰囲気は残しつつも爽やかな印象に変わる。これでようやく気持ちよく活動ができる。

 俺もビーエナを口に含む。エナドリらしい風味とビーエナ特有の香りがする。電車内で飲むのは公害なのでやめたほうがいい。

「それにしても普通に疲れた」

「普段はほとんど掃除をしないものね」

 アシコーのシステムなのか分からないが自分のクラスの掃除もほとんどしない。一応持ち回りでやることになっているらしいが今のところ実行されている様子はない。

「業者入れてるとは思えんし誰がそういう負担をしているのやら……」

「その何者かに感謝をしておきましょう」

 ペットボトルをことりと置いて、在宮はゆっくりとした口調で言った。

 それからあまり中身のない雑談を交わして一時間程度。

 ふと時計を見上げたところで、タイミングよく沢木が現れた。

「はろー」

 ドア付近で立ち止まり周囲に目を向ける。

「なんかめっちゃきれい。この教室こんなに明るかったっけ?」

「今日は活動の一環としてここの掃除をした」

「おー意識高い系部活動だ」

「意識高い部員がいるとすればとっくに帰宅済みだろうけどな」

 仮に部員がいてもみな即時帰宅をするので所属が何人なのかすら分からない部活である。そもそも俺も在宮もまだ部員ではない。二人とも届け出を出していないわけで、はたから見たら地学室を不当に占拠している状況だ。

 沢木はスクールバッグを机に置きその隣の机にピョンと腰かける。

「今日はどこ行ってたんだ?」

「あー、他のクラスの子としゃべってたらこんな時間になってたーってところ」

 沢木がバッグをあさるとこまごましたお菓子が次々出てくる。グミやチョコなどを俺と在宮に手渡す。

「ありがとう。沢木さんは顔が広いのね」

「んー、どうだろ。いつの間にか陸部勧誘の話になっててびっくりしたけど。まさか陸部のサシガネだとは思わなかったねえ」

「デート誘われたかと思ったら宗教勧誘されるみたいな話も聞くよな」

「とうねはちょっとつられそう」

 硬いグミをアメのように転がしながら沢木がからからと笑う。

「思慮深い俺はそんなワナには引っかからん」

「そう思っている人ほどかかりやすいとはいうけれど、本当なのかしら」

 在宮はチョコをつまみながら疑問を呈するとなぜか沢木が応じる。

「とうねは美人に迫られると多分だめだよ」

「ひどい言われようだな……」

 とはいえ否定はできない。自分でも少しは自覚があることを他者に指摘されるとダメージを負う。自己理解があながち間違ってはいないことの証左にはなろう。

 魅力的な異性に迫られたらキョドって正常な判断はできない可能性は大いにある。

「騙そうとする人間は騙していることすら気取られないようにするでしょうから自分を過信するのは相手の思うツボね」

「それらしい格好の人にそれらしいことを言われたら従っちゃうかもしんないもんね。制服でその人間を判別することは多いし」

「確かに警官の格好した人に身分証見せてとか言われたら疑問も持たないかもしれないな」

「それだけ日本においては制服というものがその人を象徴するものとして機能している、ということね」 

「中身の真偽は問われない、っていうのが怖いところだけど」

「そのとおりね」

「JKっていう符号があるだけで価値が上がるのも同じだよね」

「休日の池袋や秋葉原に制服の女性がよく立っているのもそれが要因でしょう」

「何度か見かけたことあるな」

「何度か利用したことあるって?」

「してねえよ」

「嘘つかなくていいんだよ?」

「優しげな顔して言うな」

 本当にやった気分になりそうだ。

 興味ないとは言わないぞ、うん。とはいえ彼女らからのサービスを受けたらいくらかかるか想像もつかないので踏み込むわけにもいかない。横目に盗み見るまでにとどめている。やはりああいったキャッチをしているお姉さんは美人が多いので、声をかけられるとビビる側面がある。

 こう言ってしまうとお金があれば突撃しそうだが心が弱いので一人ではムリだ。というか年齢の問題でそもそも対象外なのでは。

 それから緩やかに時間が経過して最終の帰宅時刻を迎える。

 おのおの準備と戸締まりを終えて地学室を出る。

 暗くなりつつある空をなんとはなしに見上げて先を歩く二人を眺めた。

 とても穏やかな時間を感じている。

 なんとなくこれが続いていくような気がした。

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