2話
(落ち着け、落ち着けよグリーン……今は、状況を確認しよう)
少女に連れられ、散歩をしながら、グリーンは現状を見つめ直した。
グリーンは第三王子、ポインターに殺された。そして気が付いたら、柴犬に転生していた。
でもって、ここはどうやらエルフの集落のようだ。目こそ見えないが、エルフ特有の森の匂いがあちこちから漂ってくる。
(犬の嗅覚と聴覚のおかげで、目が見えなくても案外何とかなるな……じゃなくてだ。どうして俺は、柴犬に転生してしまったんだ?)
考えても分かるわけがない。この件に関しては一旦保留する事にして。
犬に転生しても、思考能力は人間のままのようだ。人としての感性をきちんと保っていて、周りの会話も理解できている。
(どうやら俺はこの、エルフの女の子に飼われている、みたいだな……)
横に並んで歩く少女を見上げ、グリーンは耳をぺたりと倒した。
生前は最強の冒険者として名をはせていたのに、一気に柴犬として飼い犬生活へ落ちてしまうとは。
(……つーか大人の感性を持ったまま犬に転生するとか、屈辱以外の何物でもないじゃないか……! しかも幼女に飼育されるとか……あれ、言葉にすると倫理的にアウトな状況じゃないのこれ? でもなんか妙に興奮するような……って馬鹿か俺は!)
頭の中が随分喧しい元勇者である。
「お散歩は楽しい? ハチ」
少女はグリーンを見下ろし、聞いてきた。
幼い少女に飼育される状況は嫌なれど、女の子を悲しませては勇者の名が廃る。
『ああ、楽しいよお嬢さん! あー楽しいなお散歩お散歩楽しいなーっと!』
とりあえず少女の足元を駆け回り、楽しさアピールで吼えまくる。一応話してみたのだが、やはり周囲のエルフに言葉は通じていないようで、
「あらあら、わんわん吼えて嬉しそうね」
「犬はやはりいいな、子供の教育にももってこいだ」
こんな感じの反応である。誰も自分と話す事が出来ないのは、なんだか孤独感があった。
「えへへ、そっかそっか、楽しいんだハチー」
少女は喜んだようで、グリーンを転がし、お腹を撫でまわしてきた。
『ふん、こんなもんで俺を手懐けようったってそうはいかな……おおぉぉぉうぅぅぅキモティ~……もっと撫でてぇぇぇぇぇ……!』
想像以上の心地よさに我を忘れる元勇者。思いのほか犬が板についていた。
丸まって少女の手にじゃれつくと、彼女はより激しくお腹を撫でまわしてきた。
『あっあっ、そこそこぉ……もっとぉ~んあへぇ~……』
「ふふっ、よっぽど撫でられるのが嬉しいんだねー。……勇者グリーン」
グリーンははっとし、我を取り戻した。
急いで少女を見上げる。彼女の目は、年齢不相応なほど、冷徹な物に代わっていた。
纏う空気も冷たくなっている。この感覚、グリーンには、身に覚えがあった。
『その目と、この壮絶な威圧感……子供が出せる物じゃない……!』
「流石に気づいたようだな。場所を変えるぞ」
完全に、グリーンの言葉を理解している。間違いない、この少女の正体は。
人気のない木陰へ案内されると、少女は腰に手を当て、グリーンを見下ろした。
「久しいな、勇者グリーン。私は随分前から意識を取り戻していたが、貴様はついさっきのようだな」
『その口調、やっぱり、お前だったんだな』
グリーンは身を低くし、唸り声を上げる。
自分を飼っているエルフの正体。
それはかつて自分と激戦を繰り広げた魔王、エクセルの転生体だ。
『って、おいちょっと待て。お前、俺の言葉が分かるのか? 他の連中には分からなかったのに。と言うより、なんで女の子に転生してんだよ!? お前元男だろ!? それに俺の飼い主になってるって事はまさか……俺が犬になったのってお前の仕業なのか!?』
「いちいち煩い奴だな。……どうやら、前と全然変わってないようで安心したぞ」
エクセルはグリーンを抱きしめると、優しく頭を撫でまわした。
「順番に答えてやる、慌てるでない。貴様が犬に転生したのは……確かに私が理由だ」
『どういう事だ?』
「息絶える直前、私はお前に、転生術をかけたのだ。人智を超えた力を持つ者のみがつかえる、命の女神への交渉術をな」
転生術はエクセルが話した通り、神に匹敵する者のみが使える高位の魔術だ。
自分、もしくは特定の相手に、一度だけ使用可能。使うと魂が冥界へ送られた際、命の女神が被術者の力と記憶を引き継いで来世へ転生させてくれる物である。
「生前、お前とは奇妙な縁が結ばれたのを感じた。だが、お前の命は長くはなかった。だから、助けてやりたかったのだ。そして、もう一度会いたかったのだよ。私を倒した、最高の好敵手にな」
『……そう、なのか? けどなんでお前はエルフなのに、俺は柴犬なわけ?』
「多分神がミスったんだろう。魂の構成にバグが出て、私はエルフに。貴様は柴犬になってしまったのかもしれない」
『何してんだ命の女神ぃ! けどお前、敵だった俺を友達なんて……』
不意に、自分を裏切ったポインターが思い浮かぶ。
それを思いだした途端、グリーンはぶるりと首を振った。
『悪いな、俺はお前を倒した後、裏切られて殺された。今、おいそれと信用する事は無理だ』
「構わん、時間をかけて貴様の信用を手に入れてやるさ。……しかし、ぷぷっ」
エクセルはいきなり笑い始めた。
「あへぇ~、だと? 私を倒した勇者があへぇ~とか! あーもうおかしいなぁ!」
『……ばうっ!』
むかついたグリーンはエクセルの尻にかじりついた。
「いだぁっ!? 何をする、女子の尻に噛み付くとかセクハラだろうがこの変態犬!」
『やかましい! つーかお前も変態みたいなもんだろが、元男なのに女の子に転生しやがって!』
「何を言っている、私は元から女だぞ?」
瞬間、グリーンは固まった。
『……え?』
「だから、魔王だった頃から女の子だったの。まぁ中性的というか、男にも見える容姿だったから勘違いされても仕方ないだろうが」
『……マジ?』
「マジだ」
グリーンはぽかんとした後、改めて謝罪した。
『あの、女性なのに思いっきり聖剣ぶっさしてすいませんでした……』
「妙な所で律儀な奴だな。もう過ぎた事だ、気にするな。……だからこそ、貴様とは人として付き合いたかったのだが」
『なんか言ったか?』
「何にも。そして、貴様の言葉が分かるのは転生術の副作用だな。同じ術で来世に転生した者同士で、魂が繋がったのだろう。だから貴様は、私とだけならば、会話が出来るようだ」
『……そう、なのか……俺が人として話せるのは、元魔王だけ……なんか、寂しいな』
「……ま、気を取り直せ。だがそのおかげで、貴様が柴犬に転生しているとすぐに分かったのだ。もし分からなければ、貴様は森の中で捨てられたまま、野垂れ死んでいただろう」
エクセルの話では、グリーンは一ヵ月前、森の中に捨てられていたらしい。
そこをたまたま通りかかった彼女に拾われ、一命をとりとめたとの事だ。
「拾った頃はまだ赤ん坊だったからな。貴様は丁度生後一ヵ月の子犬だ。でもって私はまだ十歳。ふっ、私のほうが数段年上だな」
『言っとくが、柴犬は九ヶ月で人間換算だと十歳になるからな。あと五ヶ月で追いつくぞ』
「な、なんだと? 犬が年を取るのは早いのだな……」
エクセルは肩を落とした。
しかし、犬になってもこうやって会話が出来るのは、考えてみるとありがたかった。
なにしろ、人としての意識を持ったまま犬になったのだ。誰とも話せないとなれば、きっと発狂して自殺していたかもしれない。
相手が元魔王でも、話し相手が居るというのは、嬉しい物だ。