縁結びの木
箭弓神社の中に入れます。
「このまま箭弓神社まで行ってみる?」
郵便局脇の階段を登りながら淳一は言った。
「彼処には縁結びの木があるの。昨日感動したの。だから二人で行ってみたい」
「縁結びの木か?」
「あれっ、確か此処に住んでいたのでしたね?」
「知らないことだってあるよ。本当は彼処の裏にあるソフトテニスコートがお袋の練習場だったけどね。中学校の途中までだったけど、俺は継母に育てられていたんだ」
「ソフトテニスの練習場が彼処にあったのですか? 気付かなかった。ジャーナリストのお義父様を支えて、お義母様大変だったのですね。」
「親父の仕事は不定期だったから……、仕方無く面倒をみてくれたんだと思う。だから遊び場は箭弓神社にある公園だったし……」
「だったら……」
「きっと、その頃はまだ……そんなに有名じゃなかったのかも知れないし……」
詩織の言葉を遮るかのように淳一は言った。
それに詩織は気付き、言葉を繋げた。
「そうかも知れませんね。夢灯路も今年で十三回目だって言うし……。それじゃ、明日にしませんか? テニスコートを見てみたいし、縁結びの木も見られますし……」
「そうだな。そうしようか」
「それじゃこのまま灯路を追って男沼に向かいましょうよ」
淳一の言葉を受けて詩織は女沼へと戻って行った。
「それじゃ、松山神社も明日ってことで。今日は男沼の夜桜を堪能するか?」
淳一の言葉に詩織は頷いた。
本当は夜の松山神社も見たかったのだけど……
「ところで詩織。この頃高校野球のことはあまり話さないな」
「直美には悪いんだけど、何だか興味が湧かなくなっちゃった。だって選抜に埼玉勢出ていなかったしね」
「そうだな。でも決勝は同じ地域だったなんて。幾年か前に平成の出場枠ってのがあって、埼玉が二校出場したことがあったろ? 又あったら、埼玉同士で決勝に行ってくれたら嬉しいな。勿論、松宮高校が優勝したら最高なんだけどね」
「本当に、そうなってくれたら嬉しいな。直美は甲子園で、私達は俳句甲子園で」
「お互いに目指す甲子園に向かって、頑張ってくれたら嬉しい」
淳一は詩織の手をそっと握った。
「此処は暗そうだからバレやしないよ」
驚く詩織に淳一はそっと呟いた。
「此処が遊んでた公園だ。あれがお袋が通っていたテニスコートだ。お袋は美容師だったんだ。だから休みの火曜日だったな」
箭弓神社の裏手にある遊具の先に、箭弓庭球場と書かれたソフトテニスのコートがあった。
「あっ、本当にあった。でも誰もやっていないね」
「今日は日曜日だからね。所属しているチームは確か、月から金まであったはずだよ」
「土日は誰も利用していないの? 何だか勿体ないですね」
「いや、誰でも利用していいはずだったな。ただし、ちゃんと後片付けする決まりだけどね。コートを長いブラシでならした後に、ラインの上をシュロ箒で掃くんだ。勿論ネットも畳んで仕舞うんだ」
「次の方のためね」
「図書室のホワイトボードと一緒かもな。箭弓神社には十三参りがあって、美容技術の伝承を目指すんだ」
詩織が頷いたので淳一は得意になっていた。
「3月27日に、13歳の子供に和装させてお参りする儀式だそうだ」
「あっ、先生」
でもそんな時、突に然声が掛かった。
振り向くと俳句部の数名が赤い鳥居の傍にいた。
「あっ、部長も一緒だったんですか?」
(ヤバイ。昨日はあんなに気を遣ったのに……何処かで気持ちが弛んでいたのかも知れない)
反省しつつも、皆が見ている前で絵馬は買えないと思い詩織はシュンとした。
二人で此処に来た理由は本当はそれだったのだ。
「先生、お詣りまだなんでしょう?」
「だったら私達と行きましょう。箭弓神社はキューピッドだって言ってたから……」
その言葉を聞いて詩織は青ざめた。
てぐすねと弓の弦も引いて淳一を落とす意気込みが感じられたからだった。
傍に行きたいのに行けない。
ただ後ろから見ていることしか出来なかったのだ。
「部長。箭弓様にある縁結びの木って知ってますか?」
「えっ!? あ、知らない……」
昨日見たなんて言えずに詩織は咄嗟に嘘をついた。
「だったらこのまま行きましょうよ」
部員達は淳一と腕を組んだ後、強引に移動してしまったので詩織は仕方なく後を追い掛けた。
二人でそれを見たくて此処に来たのに、なす術もない。
詩織は心の中で地団駄を踏んでいた。
「凄い木だね」
「でしょう? 私達の絆みたいね?」
「あっ、このやっくんときゅうちやん可愛いと思わない?」
皆てんでんに話し掛けている。
詩織はヤキモキしながらこの状態を見守ることしか出来なかった。
「きっと、この木があったから夢灯路は始まったんだな。発案者は表彰物だな」
「本当に良く考えた物ね。男沼と女沼とキューピッドの弓の字の入る箭弓神社にこの縁結びの木があっても、私には考えも及ばないわ」
「東松山って凄いんだ。だから俺はもっと盛り上げようと思っている。皆、東松山を第二の松山にするために力を貸してくれ」
淳一は詩織に輪の中に入るように目配せをしながら言った。
それを見て詩織はハッとした。
(ヤだきっと私、ジェラシーの塊のような顔をしているんたわ)
詩織は自分の頬が熱くないかを確認してからその輪に加わった。
「この木のように皆の気持ちを一つにしたいんだ」
それを確認して、淳一は部員達の背中に手を回しながら言った。
それは詩織に向けての発言だった。
自分を信じて付いてこい。
淳一はそう言いたかったのだ。
「結局絵馬は買えなかったな」
「だってあの子達が、何処で見ているか解らないから」
「見ていると言うか、見張られているみたいだったな」
淳一はペロリと舌を出した。
淳一は彼女達の乙女心に気付いたのだ。
だから尚更詩織を安心させてやりたかったのだ。
「売っているかどうかも確認出来かった。皆が帰った後で戻りたかったのだけど……」
詩織は悄気ていた。
「だったらこれ……」
淳一は俳句部で使っている裏白チラシを渡した。
其処には詩織に対する気持ちが書き込まれていた。
「絵馬に書くつもりで下書きしたんだ」
「読んでも良いの?」
詩織の言葉に淳一は頷いた。
「これから先何があっても俺達は夫婦だ。俺は一生、君だけを愛する」
「うん、たぶん……」
「たぶんじゃイヤだ」
「じゃ、詩織は?」
「私も一生、たぶん淳一さんだけを愛すわ」
「こら、詩織。俺の真似なんかして……」
「たぶんって言われた気持ちは?」
「良い気持ちはしなかった」
「でしょ?」
「ごめん、詩織。俺は詩織を一生離さない。だから俺を信じて付いてきてくれ」
「はい。私も一生淳一さんから離れません」
「ありがとう詩織……」
淳一が耳元で囁く。
それを聞きながら、詩織はそっと目を閉じた。
まるで淳一からのキスを催促するかのように……
本当は校長との約束さえも忘れて燃え上がりたい二人だったのだ。
次回は最終章です。