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竹蛇の僧都

 僧都と名乗った大イタチは、曜を屋敷の中に連れ戻すのかと思いきや、そのまま門の外へと連れ出した。

 少し歩くと豪奢な唐門とは打って変わって、重厚な雰囲気の大手門が見えてくる。石垣と本瓦で出来た大手門からは、外からの侵入者をけして内には入れないという絶対の意思が感じられた。どっしりと佇む入母屋の屋根に見下ろされると、足のすくむ思いがする。


 着替えましょう、と言った僧都は、そのまま曜を外に放り出したりはせず、門の隣にある番所へと招いた。横に長い平屋の番所には槍や刀を持ったイタチたちが夜通し詰めていて、その体は僧都程では無かったが、皆中型犬くらいの大きさがあった。


 どうぞ、と渡されたのは男物の白いシャツと黒のズボンだ。それを受け取った曜は僅かに安堵するとホッとため息を吐いた。もしまた女物を用意されたら、と少し気にしていたのだ。この僧都はまともそうだと安心すると、早速真新しい袖に腕を通した。

 ひらひらスースーとどこか頼りない衣服から解放されると、やっと本来の自分に戻れたような自由を感じる。ふわりとしたスカートの方がゆったりとしていて体には楽だろうに、足にフィットするズボンの方が解放感を覚えるのだから不思議なものだ。ふぅ、と畳の上に人心地着いた所で、白いイタチがのそのそと体を揺らしてやって来た。


「服、ありがとう。てっきり着物か、女物を出されるかと思ったから安心した」

「それはようございました。屋敷に籠る者はどうも時代に乗り遅れておりまして。向こうの小間使いならきっとそうしていたでしょう」

 僧都は顎の下に伸びた、サンタの髭のような一房を手で撫でると、ほほほと穏やかに笑って曜の前に腰を下ろした。老いた者とは皆そうなのだろうか。祖父や祖母と話しているような柔和で落ち着く雰囲気。ここへ来て初めて会話らしい会話ができた気がして、曜は内心でほろりと涙を零していた。


「早速なんだけど、外に連れてってもらってもいいか? 俺は花嫁にも花婿にもなる気はないんだ」

 曜が身を乗り出してそう言うと、僧都は勿論ですと頷いた。

「今までも、捧げられた方々には直ぐにお帰り頂いておりました。あなただけお引止めするのも可笑しな話ですじゃ」

「それは良かった。……そもそも何で婿が欲しいのに、女ばかり寄越されるんだ?」

 波埜は一度も女を要求したことはない、と小さなイタチたちは言う。しかし、この町の人間たちは三百年も愚直に女性ばかりを花嫁として差し出している。一体何故そんな食い違いが起きたのだろうか。

 そう尋ねると、僧都は肩の毛を揺らしてはははと笑った。

「元々、我々は化けるのが得意な生き物でしてな。人の世では、狐や狸なんかが有名ですがね。とんでもない。我々の方がよっぽど上手く化けられますとも。儂も昔は竹林で巨大な大蛇に化けては旅人どもを脅かしたものです。ひっくり返って荷物も手放して逃げるのが面白うて面白うて。いやはや、若い頃の話ですがの」

 目を細めて昔を追懐している老イタチに成る程、と曜は頷いた。竹蛇の僧都と名乗った時、何故イタチなのに蛇なのかと疑問に思ったのだが、蛇は彼の武勇伝だったのだ。


(このでかいイタチが蛇に化けるんだもんな。そりゃ旅人も腰を抜かすよ)


 冗談じゃなく命の危機を感じるレベルだ。若い頃の話で良かったよ、と曜が張り付いた笑みを浮かべていると、僧都は更に話を進めた。


「三百年前。波埜様が人里に下りた時もそうであった。波埜様は人間に化けておったのじゃ。それはそれは美しい、人間の美丈夫に」


「…………は?」


 美丈夫? 

 美丈夫とは男性にあてて使われる言葉ではなかったか。曜が目を丸くしていると「さよう」と僧都は尖った歯を見せた。

「ほほほ。すっと通った鼻筋に歌麿が描いたかのような凛々しい眉。折烏帽子に直垂姿と大層ご立派な御姿は今でも眩い光と共に思い出されまするよ」

 目を細める老イタチの瞼には、きっと当時の光景がありありと浮かんでいるのだろう。まるでそこに波埜がいるかのように、僧都は宙に手を伸ばした。

「懐かしい。本当に懐かしい。……ある時一人の修験者に波埜様の正体が見破られてしまいましてな。七日七晩戦い修験者を喰い殺しても、その怒りは静まらぬ」

 最後は波埜様のお怒りをお鎮めしようと、人間が生贄を寄越してきたのじゃ。波埜様の花嫁にと。村一番の、美しい娘御をの。


 そう語った僧都の言葉を曜は目を丸くしたまま反芻した。

 三百年前、波埜は男性に化けて人里に下りた。修験者を食い殺した件はともかく、生贄が女ばかりなのは波埜が男の姿をしていたからに他ならない。


「それ、人間悪くないだろ……!」


 むしろ、何故もっと早く真実を教えてやらなかったのか。今まで焼かれてきた(死にはしてないようだが)女性たちが可哀想である。

「まぁ。貴方も似たような事をなさりましたな」

「うぐっ」

 己が女装してきた事を指摘されればぐうの音も出ない。きっと、色々な理由があったのだろうと曜は己を納得させる。そうでなければ、投げたブーメランが自分の鳩尾にヒットしてしまう。


「さて。そろそろ外へ出ましょうか」

 どっこいしょ、と立ち上がったイタチに曜も続く。番所に詰めていたイタチたちはいつの間にか居なくなっていて、門の前には曜と僧都の影だけが伸びていた。


(そういえば、ここは、静かだ……)


 春の山だ。夜ならもっと虫の声でも聞こえてきても良い筈なのに。先ほどから聞こえるのは篝火のパチパチと爆ぜる音と、曜が足を動かしたときの砂利の音だけだった。


「さて、開門しましょう」


 僧都が一度そう言うと、大きな音を立てて閂が動く。唐門にあったものよりも更に太くて長い閂は、誰の手も借りずに一人抜けると、がらんと音を立てて地面に落ちた。


 分厚い扉が内側に開く。


 向こう側に見えるのは鬱蒼とした夜の森だった。


 一歩外へと踏み出す。


 途端、目を刺す光が曜を襲った。一瞬だけ瞼を閉じて、開く。薄目で見れば、それは町長の相沢が持っていた懐中電灯だった。

 転がっている、点けっぱなしの懐中電灯を手に取って振り向けば、重たい門の閉まる音がした。

 忘れ物の懐中電灯。その人工的な光に照らされたのは、大きな大きな楠だった。そのぽっかりと開いた洞の前に曜は一人立っている。

 あれ程忌々しかった太い縄は炭と化し、何者も拘束できない状態で地面の上に朽ちている。それなのに大楠は焦げた後一つ付けず、葉の一枚も燃やさず、瑞々しい緑を湛えてこの場所に在る。ここに、曜の目の前に立っている。


 どこかの枝で梟がホーと鳴いたのを皮切りに、虫が、蛙が一斉に鳴き出した。私たちが寝静まる前に帰りなよ。そう言われているようだった。

 

 山の天辺からは町の明かりがよく見える。


 曜は長い夢を見ていたような気分で、町へと続く山道を足早に下りていった。


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