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大貂様3

 少女の姿をした何か。

 彼女が上機嫌に部屋を去って行くと、はっと荒い息が胸から吐き出る。全身は汗でびっしょりになっていた。曜が胸を押さえて息を整えていると、小菊が湯呑をそっと差し出した。

 何が入っているか、とかもうどうでもいい。乾いた喉を潤すものが欲しくて、曜はすっかり冷え切ったそれを一息で飲み干した。


「……何なんだ。彼女は……」


 小さな手が差し出されたので、湯呑を押し付ける。少々乱暴な仕草になってしまったが、小菊は気にした様子もなく、空の湯呑に新たな茶を注いだ。

「大貂様でございます。この山一帯を統べる者。主でございます」

「貂っていうと、イタチの大きい版みたいな?」

「正確には違いますが、そう思って頂いても結構です」

 熱々の茶を曜に手渡して、小菊は話を続けた。

「大貂様のお力は素晴らしく、また、この地に住まうどの獣よりも艶やかな毛並みをお持ちです。本当に美しいのです」

 キラキラと輝く熱の籠った目は、きっと少女本来の貂の姿を思い浮かべているのだろう。ほぅ、と熱い吐息を零して「直ぐにお婿様もその魅力の虜になるでしょう」と言った。


(女の子ならともかく、相手が獣じゃなぁ……)


 人並みに思春期を迎えた男子である。異性に興味が全くない、訳ではないのだが、如何せん相手は貂だ。獣だ。尻尾と耳付きだ。とてもじゃないが、恋愛対象として見られる訳がなかった。

「大貂様はお婿様が来られるのを何百年もお待ちしておりました」

「今まで女の人ばかりだったのに?」

 欲しいのは花嫁たる女性ではなかったのか。

 胡坐を掻いて茶を啜る曜に、小菊はとんでもないと尻尾をピンと伸ばした。

「それこそ人間の思い違いでございます! 大貂様は一度たりとも人間の雌を寄越せなどと申した事はないのです。人間どもが勘違いをして、勝手・・に雌を差し出しているのです。大貂様が欲しいのは正真正銘の雄でございます!」

 ふんふんと鼻を鳴らして力説する小菊に、曜は若干気圧されながら「そ、そうか」と返した。どちらにせよ、大貂様、波埜は人間が欲しいらしい。それから小菊は二本足で器用に歩くと、曜の膝にそっと前足を乗せた。


「例えあなたの心が雌であろうとも、体が雄であるならば問題ありません」

「ちょっと待て!」


 このイタチ。この格好が己の好みと思っていないか? それこそイタチの思い違いである。勝手な想像である。これは姉の突拍子も無い思い付きに巻き込まれただけであって、決して自分の趣味ではない!

 曜がそう訴えてもイタチは茶色い毛をひくひくと動かして「ほほほ」と笑うだけである。さらに笑うだけでは飽き足らず、小菊は服のついでと結婚の話をし始めた。

「残念ですが、婚儀ではお婿様は雄の装いをして頂きます。人間式の……なんでしたか。紋付き袴? あれを用意いたしますので」

「本当に待ってくれ。俺は結婚なんてしないよ」

 帰らせてくれ、と曜が懇願しても、イタチは細長い体を横に傾けるだけ。そもそも何故曜が帰りたがっているのかさえ、真に理解しているのかどうか。婿様の家はここです、の一点張りでちっとも話が進まない。それどころか、

「結婚しないと申されましても、お婿様だからこの場においでなのでしょう?」

と、独自の解釈で返してくる始末だ。こうなってしまうと曜にもどう打ち返せば良いのか分からない。テニスボールがコート外に落ちても、「アウトじゃない。そこはインだ」と相手に言い張られるようなものである。ルールが、常識が端から小菊と曜で違うのである。


(これはもう、こっそり逃げ出すしかないか……)


 できるかどうかは分からない。先程のように、またこの部屋に戻されてしまうかもしれない。それでもじっとしているよりはマシだ、と曜はこの屋敷から脱出する道を選んだ。


 まずはこの部屋から出ること。


 その為にも、甲斐甲斐しく世話を焼く小菊には早々に退場して貰わなくては。小菊を抱えて逃走するわけにもいくまい。

「ねぇ、小菊――」

 お腹が空いたんだけど。

 曜がそう呟くと、小菊はまぁ、と大きな声をあげて、

「それは気付きませんで、失礼いたしました。すぐに夕餉をお持ち致します」

と、四つ足で部屋を飛び出して行った。


 耳を澄まして、小さな足音が遠ざかっていくのを聞く。完全に聞こえなくなると、一つ大きく深呼吸。

 曜は障子に手を掛けた。


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