知らない祭り2
女生徒の言う通り、午後の授業は全て無くなったため、曜は大急ぎで家に帰った。新しい場所。田舎の道はくねくねと曲がりくねってどこに繋がるのかも分からない。下手に近道などしようとせず、朝通った道を行くのが一番の近道だと曜は足を速めた。
家の軒先が見えてくると曜は遂に走り出した。昔ながらの平屋の家は、庭の手入れまでまだ行き届かず好き勝手にぼうぼうと草が生えている。長く伸びた草を踏みながら玄関に辿り着くと、
「ただいま!」
と大声を上げた。
隣町で仕事を見つけた母親は、曜と同じように今日から職場へ出勤している。この家に一日中いるのは三番目の姉の晄だけだ。荒い息も整えず、晄の部屋のドアを開けると、荷解きもされてない部屋の中で姉は作業机に向かっていた。
「わっ。びっくりした。ノックくらいしなさいよ」
線がズレた、と怒る晄の姿に、曜は初めてほっとした思いを抱いた。もしかしたら、家に帰ると姉の姿は無いのではないか。そんな悪い想像が学校からずっと曜を追いかけていたのだ。
「姉さん……。良かった……」
ズルズルと床に座り込むと晄はぎょっとして立ち上がった。マイクに向かって「ちょっと後で」と告げると、パソコンのネット電話の画面を切った。仕事の邪魔をしてしまった事を申し訳ないと思いつつも、今は無事な姿を見れた事が一番だ。
「あんた、新しい友達作れなくて帰ってきたの?」
という姉の失礼極まりない発言も大目に見ようではないか。
「違う。午後休みになった。それより、家に誰か来なかった?」
生贄の話をすべきかすまいか。そもそも五丁目の角、というのがこの家の事とは限らない。いくら小さな町でも五丁目がたった一つなんて事はない筈だ。
そう考えたら曜は随分と気が楽になった気がした。知らない土地の風習に戦戦恐恐しすぎだと自分でも笑えてくる。そもそも引越ししてきたばかりの人間を、大事な町の行事に参加させるだろうか。
(余所者には厳しいっていうしな)
きっと違う五丁目の家が生贄に選ばれたのだ。曜はそう結論付けると、姉の部屋を後にしようとした。
しかし。
「来たわよ。お客さん」
晄の一言に踵を返した足がピタリと止まる。ギギギ、と油が切れたブリキのおもちゃのように、ぎこちない仕草で振り返った。
「……誰が?」
「なんか、町の偉そうな人たち? 今日、祭りがあるんですってね。何の祭りか知らないけど、それに主役として出てくれって頼まれて」
「……行かないよな」
幽霊でも見たような顔をしていたのだろうか。「何その顔」と晄は弟の顔を揶揄いながら、ケラケラと笑った。
「行かないわよ! 締め切り近いもの! そんなん参加してる暇があったら、一コマでも原稿進めてるわー」
「そっか……」
良かった、と曜が安堵したのも束の間。
「代わりに妹が行くって言っといたけど」
「………………は?」
たっぷりと時間をかけて姉の言葉を考える。
妹だって?
この家の家族構成は母、姉、自分の三人だ。生まれてこの方妹がいた事実は一度たりとも無い。
誰だ。妹。
「あんたよ、あんた。こういう田舎のコミュニティって大事なんだから、あんた、あたしの代わりに行って来てちょーだい」
服はあたしの好きに着てっていいから。
そう言って再び原稿に戻った姉の言葉は、噛んでも噛み切れない硬い肉の筋のようだった。
茫然と立ち尽くす曜を見て、晄は何を勘違いしたのかしょうがないわね、とクローゼットに向かう。
「服は選んどいてあげるわよ。スカートならサイズ気にしなくていいでしょ」
ちゃんと毛の処理しといてね。
その言葉を最後に部屋から閉め出された曜は、暫くの間、頭の処理が追いつくまでドアの前に立ち尽くしていた。
姉のふざけた戯言など無視すればいい。世の男性諸君は皆そう思うだろう。
しかし悲しいかな。物心ついた頃には姉三人にたっぷりと可愛がられて育った曜は、彼女の言葉に逆らえない。反論も抵抗も何一つしてはいけない事を、嫌という程知っている。
夕方、町の人間が再び家を訪ねた頃には、ツルツルになった足をスカートの裾から覗かせた『妹』が、長い髪を揺らして「こんばんは」と挨拶していた。