知らない祭り1
先に教室に入って行ったのは担任だ。静かにと言っても落ち着かない生徒たちを、怒るでもなく笑顔で流して廊下に待たせている彼を呼ぶ。不思議とこういった噂が流れるのは早いもので、都会からやって来た新しいクラスメイトに皆興味津々だ。
槙島曜は何故もっと自然にクラスに入れてもらえないのかと思いながら黒板の前に立った。一人、二十数人の前に立たされるこの転校初日のシステムをどうしても好きになれない。普通に朝皆と一緒に教室に入れてくれたらいいのに。畏まった自己紹介よりも雑談混じりに会話する方が、新しい環境にずっと馴染める気がした。
「槙島曜です。よろしくお願いします」
簡素な自己紹介の後に担任が補足の紹介を付け足して、席に座るよう指示する。
四月半ばという転校するには少々中途半端な時期。そんな間の悪い時期に転校した曜の制服は、通うはずだったK県のグレーのブレザーだ。対してこの学校は詰襟の黒い学ランとセーラー。座席に着けばその異様さが一層際立ったように感じた。幸いなのは席が一番後ろの窓際だった事。よろしく、と話しかけてきた隣の男子生徒に小さく返事をして、それからは授業についていくのに集中した。どの授業も学力テストの返却から始まったのには、朝から緊張しっぱなしの曜を心の底からほっとさせた。
「槙島は何でこんなド田舎に引越ししてきたの?」
昼休みの鐘がなれば早速とばかりに話しかけられる。コンビニのパンを齧りながら話しかけてきたのは、隣の席の少年だった。机はそのままに体だけこちらを向いた彼は、一六五センチの曜よりもずっと上背があるように見える。
「あ、俺、クガウエマサキ。陸上って書いてクガウエね」
宙に指で陸上と書くと、にかりと笑う。
「珍しい名前だね」
「だろー? で、他に聞く事ない?」
にんまりと笑う陸上には、何か苗字にまつわるお約束の質問があるらしい。少し考えて、
「陸上部?」
と曜が聞けば、
「それが野球―」
と歯を見せて笑った。
そのまま陸上に話題が移るかと思えば、そうはいかせないぞと彼は身を乗り出した。
「で、こんなド田舎に引越ししてきた理由は?」
気付けば教室に残った者は皆、曜と陸上に注目していた。それだけじゃない。珍しい都会からの転校生を見ようと隣のクラスから、上の学年から、廊下には見物客が入れ替わり立ち代わり訪れていた。
曜はランチパックの袋を開けるのを諦めて、
「まぁ、家の都合で」
と苦笑交じりに返した。
曜がK県を離れてこのM県の片田舎に引越ししてきたのは、ずばり両親の離婚によるものである。都会の喧騒に疲れた母親は、離婚が成立するなり駅近三分のマンションを売って、緑に囲まれる一軒家を借りた。その期間僅か二週間ほど。我が母ながら行動力の塊だと曜は感心したものだった。
「兄弟いる?」
「姉が三人。ついてきたのは一人だけど」
歳の離れた姉たちは、既に社会人となって其々職に就いている。漫画家として家で仕事をしていた三番目の姉だけが、母にくっ付いてきたという具合だ。上二人の姉と違って、三番目の姉は家事が一切できない。母、若しくは曜の生活力を頼って実家住まいを選んだのだろう。広い家。自然の中。創作意欲が湧くからと姉は言っていたが、実際は楽したいが故の選択と曜は睨んでいた。
他にも何人かのクラスメイトたちと話しながら、初日の昼食を終えると、一人の女子が慌てた様子で教室に飛び込んで来た。
「今年のヒマツリ今日だって!」
「マジで!? ラッキー。午後の授業なしじゃん」
「どこんち?」
「五丁目の角ん家。でもあそこ空き家だったよね?」
クラスメイトたちの興味は、転校生から『ヒマツリ』とやらにあっという間に移っていった。曜は陸上に「ヒマツリって?」と初めて聞く言葉を尋ねた。
「うーん。祭りみたいなもん、かな? 十年に一度だから俺らも初めてなんだよね」
俺も隣ん家の兄貴から聞いただけだしさ。
そう話す陸上も詳しい内容は知らないようだ。しかし、曜の前の席に座っていた江波という女子が、振り返って曜の質問に答えてくれた。
「ヒマツリは大貂様に生贄を捧げるお祭りよ。あそこ、見える? あの山の天辺にある大きな木が大貂様の大楠」
山と言っても町全体が山に囲まれた土地だったが、江波が指差した山は窓の向こう、校庭のすぐ先にあった。決して大きい山ではないが、江波が言ったように天辺には傘のように枝葉を広げる巨木が見える。その木の周りだけ木々がなく、ぽっかりと開いた空間の中心にその楠はあるようだった。
「あの楠に生贄を縛り付けて火を点けるんだって。だから緋奉りって言うらしいけど……」
「火を点けるって……。勿論、人形か何かを、だよな?」
曜が笑みを引き攣らせながら聞き返すと、江波も陸上も、そして教室全体もしん、となってその場は異様な空気が漂った。
「……嘘だろ?」
お年寄りでもスマホを持つご時世、テレビは8Kというこの時代に!
まさか、と絶句していると、陸上が凍り付いた空気を融かすように明るい声を出した。
「だ、大丈夫だって! 今までも不思議と皆無傷で戻ってきてるから!」
それに選ばれるのは全部女だし、と続ければ「女は良いって!?」と女子から怒りの声が上がった。
「いいじゃん、誰も死んだりしないんだし。火を点けるのだってマジックみたいなもんだろー」
そう言って陸上の肩に手を乗せてきたのは人懐っこい顔つきをした男子生徒だった。彼は「あ、俺、三吉ね」とついでのように曜に自己紹介をすると、
「あんまり転校生驚かせるなよ」
と江波の頭をこつんと小突いた。
陸上がコッソリと「この二人、家隣同士」と曜に耳打ちする。二人は砕けた調子で軽い言い合いを始めていた。
「まぁ、それよりも今年の生贄は誰か、だよな。五丁目の角って誰がいたっけ」
陸上が教室全体に問いかければ、皆知らないと首を振る。そもそもずっと空き家だったと皆の記憶は一致しているようだった。それを覆したのは今日やって来たばかりの曜である。
「あの……。うち五丁目なんだけど」
角の。
皆の表情から笑顔が消える。
味わった事のない重たい空気に、曜は段々と背筋が冷たくなっていくのを感じた。
風が吹いて、山の天辺で大楠が揺れている。そのざわざわとした葉の擦れる音が、曜のいる教室まで聞こえて来た気がした。