第63話
子供の巨人はまったく警戒する様子もなく森の中を歩いていく。
どすんどすん、とこれでもかと足音を響かせながら。
向かっている方角からして俺達が一度は探索した場所だと思うんだけど。
1時間ほど進んだ時だ。
大きな2本の樹の間を巨人が通ると、その先に巨人の姿が見えなくなった。
ここだな。
案の定、結界か何かで隠していたのか。
2本の樹の前まで進むと、まずアーネス様が中に入ってみた。
「む……何も変わりませんね」
辺りに結界が展開されている様子はない。
2本の樹の間を通っても、何も変わらない。
でも巨人の姿は見えなくなっている。
この2本の樹が怪しそうだけど。
右の樹を調べてみる。
触れてみると……ただの樹にように見えるけど、これは樹では無い?
なんだこれ……何で出来ているんだ?
「これ樹じゃないっしょ」
左の樹を触っているモニカも同じ答えのようだ。
これは樹じゃない。
「なんだろうね。見た目は完全に樹だけど……。あれ? これ魔力が流れそうだぞ」
樹に魔力が流れる。
鍵の魔具から魔力を流していくと、右の樹がわずかに輝いた。
どういうことだ?
巨人がこの2本の樹の間を通る時……確か両手で左右の樹を触るように通っていたな。
巨人も魔力を流した? 巨人は魔力を持っているのか?
「左の樹も魔力を流してみます」
右と同じく左の樹にも魔力を流す。
魔力が流れると同じくわずかに輝いた。
そしてその瞬間、2本の樹の先にあるものが現れた。
「これは迷宮の渦?!」
「なるほど。こういうことでしたか。あの巨人の子供は迷宮に入っていったのですね」
「巨人の館は迷宮だったのか」
まさかの迷宮だけど、迷宮なら今まで散々探索してきた。
最上級の迷宮だって攻略できるんだ。
「行ってみよう」
『はい!』
巨人の館に通じるであろう迷宮の中に入る。
魔力を流した2本の樹と同じような2本の樹がある場所に出た。
これに魔力を流せば、外に出られる渦が現れるのだろう。
「これは……」
「なんだこれ……」
「すごいっしょ……」
ただみんなの視線は2本の樹ではなく、その先に釘付けだ。
迷宮の中の構造は迷宮によって多種多様だ。
いろんな構造があり得る。
でもこれは俺も見たことがない。
こんな造りの迷宮だったとは。
「でかいね」
「あれは花? なんて大きさ」
「葉っぱ! あの葉っぱ見て!」
「岩が石ころみたいにあるぞ……たぶん石ころなんだろうけど」
「巨人にとってはね」
この迷宮は全てが巨人サイズの迷宮だ。
巨人にとってはちょうどよい大きさからもしれないけど、俺達にとっては何もかもがとんでもなく大きい。
まるで小人になった気分だ。
いや小人だな。
この迷宮にとって俺達は間違いなく小人だ。
「足跡が残っているね」
「追いますか?」
「巨人の館の場所は確認しておきたい。行こう」
小人となった俺達は迷宮の中を進んでいく。
迷宮の構造そのものは森のようだ。
何もかもが馬鹿でかいけど。
咲いている花は俺達より大きい。
落ちていた葉っぱを拾えば、それはとても大きな傘のように使えてしまう。
遥か上空から突然大きな水の塊が1つ落ちてきた。
葉っぱについていた水滴が一滴落ちただけなんだろうけど、俺達にとっては結構な脅威だな。
マリアナ様とティアがびしょびしょになってしまったし。
「まさか小人気分を味わえるとはね」
「新鮮で楽しい気もしますが、大変なことの方が多そうです」
「そうだね……例えば、あれとか?」
「はい。これは苦労しそうです」
俺とアーネス様が見る先には、1匹の蟻のような生き物がこちらを見ている。
蟻のようなではなく、あれは蟻か。
でも迷宮にいるってことは魔物なのだろうか。
あんな巨大な蟻……睨まれるとちょっと気持ち悪いな。
「来るね。こっちを獲物だと思っている。1匹とは限らないからね」
みんなに支援魔法をかける。
巨大な蟻もこちらに向かってきた。
左右に4本ずつの8本の足が蠢き、巨大な蟻の顔の先にある牙のようなものが動く。
やっぱりちょっと気持ち悪い。
「はっ!」
アーネス様が上空から蟻に攻撃を始めた。
モニカとナルルが前衛で、マリアナ様とディアがその後ろから攻撃する。
体が大きくても蟻は蟻だろう。
「硬い!」
なんて思っていたら、かなりの硬さのようです。
蟻があのサイズまで大きくなったら、確かに硬そうだ。
それでもモニカの斧が蟻の足の1本を吹っ飛ばした。
態勢が崩れる。
そこを全員が一気に攻めて倒した。
「単純に大きいことによる強さだね」
「動きそのものは問題ありませんが、これだけの大きさだと倒すのも一苦労します」
「魔石も大きいのかな?」
「アルマ様、こちらに」
ナルルが大きな蟻の心臓部をこじ開けていた。
そこには巨大な魔石が。
これ吸収したらすごいことになるのでは?
「あれ? 吸収できた魔力は全然多くないぞ」
吸収してみると、見た目とは一致しない僅かな魔力。
どういうことだ。
こんな巨体を動かすには、相当なエネルギーが必要なはずなのに。
「この空間の中ではあれだけの巨体を動かすのに僅かな魔力でも動くのかもしれません」
「なるほど。この空間が特殊というわけか」
考えても仕方ない。
この巨大な魔石から得られる魔力は僅かであるというのは分かった。
「団体さんの到着っしょ」
「うわ~」
蟻は一匹で活動する生き物ではない。
当然仲間の蟻がやってくる。
見えてきたのは何十匹という巨大な蟻達。
巣が近くにあるなら何百という数になるかもしれない。
「戦うだけ損だね。得られる魔力も少ないし」
「では逃げの一手で」
「闇霧!」
「闇玉!」
ナルルとディアが闇魔法を展開する。
「ニーちゃん!」
マリアナ様の戦具であるニーズヘッグが暗黒の息を吹き出す。
ちゃんと戦具として役に立ってくれるのはありがたい。
巨大な蟻の大群がこちらを見失っている間に、俺達は巨人の足跡を辿って奥に進んでいく。
巨人の一歩と俺達の一歩では幅が違いすぎるから、どれだけ先に進めばいいのやら。
「飛びましょうか?」
「その方がいいかな」
アーネス様以外は鍵の空間の中に入ってもらい、アーネス様の翼で飛んで足跡を追ってもらった。
全速力で飛んで15分ほどか。
巨人の館が見えてきた。
「あれか」
「確かスリュムヘイムと呼んでいましたね」
これまた何もかもが大きな館がそこにあった。
巨人にとっては普通のサイズなんだろうけど。
俺達ではあの巨大な門を開けることすら出来ないのではないか。
「まるで館に侵入するネズミの気分だね」
「巨人からすれば私達はネズミのような存在でしょう。しかも悪巧みをするネズミです」
「確かに。でも僕達もミーミルの泉に行かないといけないからね。巨人はスキールニルと繋がっているのか……繋がっている前提で動くべきだけど」
「巨人は親と子の2人。それにマーナの母親がいるはずですね。どうしますか?」
「もう少し偵察してみようか。あの窓から中に入れそうだ」
「承知しました」
開いていた窓からスリュムヘイムの中に入ってみる。
大理石のような綺麗な石で造られた巨大な建物は見ただけで圧倒されそうになる。
入った部屋の中には巨大なテーブルと椅子が置かれており、そのテーブルの上には巨大なティーカップが置かれていた。
お茶を飲む部屋か?
「旦那様あれを」
「ん? うわ、大きな葡萄だね」
「はい。あんな巨大な葡萄見たことありません。この迷宮の中では果物も巨大に育つのでしょうか」
「みたいだね。蟻があんな大きさなんだ。果物や野菜も巨大サイズで育つんだろうね」
部屋の中をあれこれ覗いていると、部屋の外から大きな声が響いてきた。
「がっはっは! お前の初めての花嫁がこいつの娘とはな!」
「マーナに俺様の子供をたくさん産ませてやるからな! がっはっは!」
巨人だ。
ちょうど部屋の外を歩いているようだ。
足音からして3人。
マーナのお母さんもいるな。
「あっちの窓へ。出来れば姿を確認しておきたい」
「はい」
声のする方へと窓を飛び移っていく。
やがて叫ぶように話す巨人の親子の声がある部屋の中に入っていくのが分かった。
その部屋に窓はあったものの、窓は開いていない。
そっと窓ガラス越しに中を見てみた。
いた。
巨人の親子。
子供でも大きいと思っていた巨人だが、親の巨人はさらに大きかった。
子供の巨人の2倍近くあるんじゃないか。
そして巨人にさせられたマーナさんのお母さんである狼人族の女性。
たしか名前はハティさんだったな。
窓越しでも響いて聞こえてくる巨人の親子の声は、ハティさんに娘のマーナさんを花嫁に迎えてあれこれするという、かなり下品な言葉だった。
ハティさんの表情はまったく動かない。
何を言われても無表情だ。
感情を失っているかのようだな。
一通りハティさんに向かって下品な言葉を投げかけた巨人の親子は部屋を出ていった。
外から鍵がかかる音が聞こえたので、どうやらハティさんはこの部屋に監禁されているようだ。
巨人がいなくなってもハティさんの表情はまったく動かない。
何をするでもなく、ただぼ~っと部屋の壁を見つめていた。
「窓をノックしてみよう。ハティさんの様子からして大丈夫だと思うけど、一応逃げる準備はお願い」
「お任せを」
窓ガラスをドンドン! と叩いてみる。
俺のサイズからしてかなり小さな音しか立てられない。
これでは気づいてもらえないので、鍵の魔具に魔力を流して風球を窓にぶつけてみた。
バリン!
まずい。
ちょっと威力が高すぎた。
窓に風穴が空いてしまった……。
「威力の調整が難しい」
「でもこちらに気づいてくれたみたいですよ」
椅子に座っていたハティさんの顔はこっちに向いている。
空いてしまった窓の風穴から中に入って、手を振ってみた。
その瞬間、それまで無表情だったハティさんの顔に感情が浮かんだ。
驚き、同時に涙が溢れている。
悲しみではなく喜びの涙だと思いたいけど……。
ハティさんはゆっくりと窓際に近寄ってきてくれた。
「初めまして、ハティさんですね? 僕達はガルム一族の里から巨人を追ってやってきました」
「ああ……。あ、貴方様はもしや」
「はい。僕は賢者です。賢者アルマです」
「ついに、ついにこの時がやってきたのですね。ああ、神様ありがとうございます」
ハティさんは両手を胸の前で組んで、天井を見上げながら涙を流した。
俺達はハティさんの感情が落ち着くまでしばらくそのまま待つのであった。




