第61話
樹の影に隠れていると5人の武装した狼人族の女性達が見えてきた。
獣の毛皮で作ったような防具に槍を持っている。
みんな大きいな。
特に先頭を歩く狼人族の女性は一際大きく、俺と同じぐらいの身長だ。
髪の毛はクリーム色といえばいいのか薄い黄色で、胸はアーネス様達に負けないほど大きく、引き締まった肉体は鍛えられていることが分かる。
お尻からは可愛らしい尻尾が生えていた。
「ん?」
先頭の女性が時計のある樹の前まで来ると辺りを警戒し始めた。
まずいな。
足跡を消す時間が無かったんだよね。
気づいたか。
「馬鹿な……」
「マーナ様!」
マーナと呼ばれた先頭の女性は一気に樹を登った。
樹の上に時計があるのを確認するとほっと安心したかのような表情を見せている。
やはりあの時計のためにここにきたのか。
あの時計を守っている?
「辺りを警戒しろ。何者かがここに来ていたぞ」
マーナの指示に従って4人の狼人族の女性達が辺りを警戒する。
樹の上でマーナは何かを考えているようだ。
さてどうしたものか。
「そこか!」
げ!? ばれた!?
マーナの槍が俺の隠れている樹の根元に突き刺さる。
その槍に向かって4人の狼人族の女性達が駆け出した。
「闇霧」
一瞬でナルルの闇霧が辺りを暗闇へと誘う。
4人の狼人族の女性達は突然のことに動きが止まった。
「落ち着け! 敵は一人ではないぞ!」
一人ではないどころか7人ほどいるんですけどね。
こうなったら隠れていても仕方がない。
話し合いの余地があるか分からないけど、姿を見せることにした。
闇霧の中で混乱する4人の狼人族の女性達をマリアナ様が竜鞭で一気に一縛る。
進化した竜鞭はかなりの長さまで伸びることが出来るのだ。
ニーズヘッグが伸びていると考えるとちょっと面白いんだけどね。
「何者だ! お前達はいったい!?」
「突然すみません。貴方達と戦うつもりはありません。ちょっとだけお話したいのですが」
「馬鹿な、人族だと! どうやってここまで……なっ!」
「動くな」
「いつの間にお前……」
アーネス様がマーナと呼ばれた狼人族の後ろに回り込んでいる。
たぶんこのマーナって狼人族はそれなりに強いんだろう、普通の基準では。
「用が済んだら僕達はすぐに帰ります。さきほども言った通り貴方達と争うつもりは一切ありません。本当です」
「くっ……お前達の用とは何だ?!」
「実はこの白い結界の中に入りたいんですけど、いろいろ探ってみたところ、その樹の上にある時計が怪しいと思いまして。何かご存知ですか?」
「この中に入りたいだと? ……なぜこの中に入る?」
「それは言えないですね」
「……」
「……」
妙だな。
この白い結界の中に入りたいことを伝えた途端、マーナの態度がおかしくなった。
戸惑ってはいるんだろうけど、何かを考えている。
俺の顔をすごいじろじろ見ているけど、何だ?
「……その中に入ることは不可能だ。よって去れ」
「いや、それだとちょっと困るんですよ。その時計が何か関係しているんですよね?」
「我らはこれを守る使命を負っている。手を出すならたとえ命を落とすことになろうとも、お前達と戦う」
戦うも何も、もう捕らえているんですけどね。
マーナの言葉は言っていることと雰囲気が合っていない気がする。
本当にその時計を、命をかけて守るつもりなら最初から戦うのではないか?
「その時計を壊すつもりはありません。ただその時計には鍵を差し込む穴がありますよね? その鍵がどこにあるか知りませんか?」
「……知ってどうする?」
「鍵を探しにいきます」
「鍵を手に入れてどうするのだ?」
「時計を進めるつもりです」
「……そうか」
マーナは後ろにいるアーネス様に構わず樹から降りた。
アーネス様はぴったり後ろについている。
「我が名はマーナ・ガルム。このイアールンヴィズの森に住む狼人族のガルム一族族長の娘だ。お前の名は?」
「僕はアルマです」
「アルマ。私と勝負しろ。勝てばお前の知りたいことを教えてやる。だが負けたらここから去れ」
首の後ろに剣を突き付けられている状況で何とも大胆な発言だ。
でもマーナさんは確かめようとしているんだと思う。
俺を試している。
「いいですよ。アーネス様」
「……はい」
アーネス様がマーナさんから離れていく。
「いくぞ」
「この槍は?」
「槍が無くとも……この爪がある!」
マーナさんは真っ直ぐ俺に向かってきた。
鍵の魔具が支援魔法を俺にかける。
この状態ならマーナさんの動きに俺もついていける。
けど、マーナさんも本気で俺に攻撃してきていない?
鋭い爪での最初の攻撃はどこか手加減しているように見えた。
ただ、俺の動きが速いと分かると、徐々にマーナさんの動きも速くなって本気になっていったけど。
「やるな!」
「いえいえ、それほどでも。僕の周りにいる人はみんな僕より強いですから」
「なに? ……そうは思えないぞ」
防御魔法を主体にマーナさんの攻撃をかわしたり防いだりしていく。
なんだかちょっとした訓練みたいに思えてきたけど、まぁいいか。
「槍もどうぞ」
「はぁはぁ、余裕だな!」
槍をひょいとマーナさんに渡してあげる。
受け取ると遠慮なく槍を使って攻撃してきた。
うん、問題ない。
どれほど勝負が続いただろうか。
俺は一切攻撃することなくマーナさんの攻撃を避け続けた。
ついにマーナさんの体力が切れて動きが止まった。
マーナさんはゆっくり俺に近づいてくると、小さな声で囁いた。
「はぁはぁ……はぁはぁ……アルマは賢者になる者か?」
「え? あ、はい。というか賢者です」
こんなところにいる狼人族も人族の賢者のことを知っているのか。
「そうか、やはりお前がそうなのか」
「えっと、何がでしょうか?」
「アルマは賢者」
「はい」
「だからここに来たのだろ? 御婆様から聞いた秘密の伝承通りだ」
「秘密の伝承?」
「族長の一族のみ知る伝承だ。『秘密の泉を求める片目の者を迎えよ。その者は賢者となる』。アルマは片目だった。そして魔法を使う。しかもすでに賢者だ」
ああ、秘密の伝承とやらに『賢者』という言葉が出てくるのか。
オーディン王国における賢者とは意味が違ったのね。
この秘密の伝承を残したのはたぶん……ミーミル様だな。
「マーナさんの言う賢者と、僕が言った賢者は意味が違いますけど、秘密の泉を求める片目の者はたぶん僕のことです。その秘密の伝承はミーミル様から伝わったものでは?」
「ミーミル様? それは知らないな。御婆様なら何か知っているかもしれんが」
ミーミル様の存在は忘れ去られてしまっているのか。
「それで僕の勝ちでいいですか?」
「アルマの勝ちでいい。何よりアルマは本気の半分も出していない。私のことを殺そうと思えばいつでも殺せたのだろ?」
「まぁ……たぶんそうですね」
「ガルム一族はアルマ達を迎えよう。……だが、来るのが遅すぎた」
「え?」
「もう私達はアルマを秘密の泉に案内してあげることはできない」
「どういうことですか?」
「私達は囚われの身となってしまった。もはや自由はない」
「囚われの身?」
「そうだ。私達は巨人から呪いを受けてしまっている。だからアルマを秘密の泉に案内することはできない。そもそもその白い膜を私達はどうすることもできない。そして時計の鍵は……巨人が持っている」
巨人の呪い。
鍵は巨人が持っている。
え? 巨人って生きてるの?
古代の神話にしか登場しないよね?
ミーミル様の肉体と思われる首なし巨人は王家の迷宮最上級の迷宮主としていたけど、あれはちょっと違うだろうし。
「巨人って存在するんですか?」
「ああ、いるぞ。スリュムヘイムと呼ばれる巨人の館にいるそうだ」
「いるそうだ?」
「私は行ったことがないからな。あそこに行くということは……いや、これは今はいいだろう。とにかく巨人はいる。そして巨人は定期的にこのイアールンヴィズの森にやってくるのだ。時計の鍵を持ってな」
「その鍵で時計の針を……戻している?」
「そうだ。鍵を使って時計の針を戻すのは私の役目だ。巨人にとって時計も鍵も小さすぎる。扱えないので私がやる」
時計の針を戻すのはマーナさんがやっていたのか。
それにしても、そんなに大きな巨人の館なんてあったら、これまでの探索で目につきそうだけど、よほど遠くにあるのか?
「巨人の呪いとは?」
「私達はイアールンヴィズの森から出られない。いまこの森には女の狼人族しかいないのだ。そして男の狼人族は森から追い出されて、逆に森の中に入って来られなくなってしまった」
「女性の狼人族だけをこの森の中に閉じ込めたのですか。でもなんでそんなことを?」
「巨人が花嫁を選ぶためだ」
「花嫁?」
「そうだ……ここで長話もなんだ。秘密の泉に案内することはできないが、ガルム一族の里には歓迎しよう。その4人を解放してくれないか」
「分かりました。マリアナ様」
「はい」
マリアナ様の竜鞭で一縛りにされていた4人を解放する。
4人はまだ困惑しているようだ。
「よい。アルマ達を里に連れていく。御婆様には私から話す」
「はっ」
「大したもてなしは出来ない。期待しないでくれ」
「構いません」
「御婆様に会ってくれ。アルマの知りたいことは御婆様の方が詳しいだろう」
俺達はマーナさん達の里に行くことになった。
この出会いは本当ならミーミル様が用意してくれた出会いになるはずだったんだと思う。
でも俺達が来るのが遅すぎて、マーナさん達は呪いにかかってしまっているという。
来るのが遅すぎたのではなく、スキールニルが何かしたのだろう。
鍵の魔具はマーナさんには反応を示さない。
ティア達のように制約が見えるかと期待したけど……だめだった。
この森から出ることが出来ない。
マーナさん達が呪いにかかっているのではなく、この森の方に問題があるのかもしれないな。
とりあえず里の御婆様に会って、いろいろ話してみるか。




