第57話
黄金に輝いて見えた猪車は、この猪の毛が黄金色だったようだ。
グリンブルスティという名の猪車の手綱を引くのはフレイ自身だ。
ただあまり上手くないらしく、猪はあっちいったりこっちいったりしている。
それをフレイもゲルズも猪も楽しんでいるようだ。
ある時は川の中に猪車が突っ込んだ。
でも水は一切中に入ってこない。
結界が展開されているようにも見えないのに、水の中を猪は変わらぬ速度で走り抜けていく。
またある時は目の前に大きな崖があった。
すると猪車は空を飛んで、その崖を一瞬で乗り越えてしまったのだ。
とんだ規格外の猪車だ。
フレイとゲルズは楽しそうにずっと笑いっぱなしだし。
こうして猪車と共に遥か古代の神々の時代の風景を、俺も楽しんでいた。
俺が生きていた時代よりも自然がより豊かのように思える。
でも時折見える町並みの建築物は、俺の時代の方が優れているかな?
そんなことを考えていたら、目の前に大きな虹色の橋が見えてきた。
なんて美しい橋なんだ。
見る角度によって色が変わるぞ?
いや違う。
これは橋じゃない?
虹そのもの!?
「な、なんだあれ……」
虹の頂上付近に着くと、虹の先が向かう大きな壁に囲まれた中が見えてきた。
まず目につくのは巨大な樹の根が伸びている。
そして壁に囲まれた中には、いくつも大きく煌びやかな建物が建っていた。
空を無数の天使が舞い踊っているかのように飛んでいる。
「アースガルズを見るのは初めてかい? ミーミルの古い知り合いなら来たことぐらいあると思ったけど」
「は、初めてです」
アーズガルズ。
確か神々が住まう場所のことだったような。
「やぁ! ヘイムダル」
虹の終わりに差し掛かると猪車が止まった。
そこには一人の男が立っていた。
恐ろしく強いと分かる。
ヘイムダルと呼ばれた男は俺を睨んでいた。
「フレイ。そいつは誰だ?」
「彼は……えっと、君の名前は何だっけ?」
「アルマです」
「そうそう! 彼はアルマ。ミーミルの古い知り合いなんだ」
「ミーミルの?」
「うん。いまミーミルにゲルズを紹介しに行ってきたんだ。そこでアルマをヴァナヘイムに連れていってやってくれって言われてね」
「……巨人が化けているのではないだろうな?」
「え~? アルマって巨人なの?」
「ち、違いますよ!」
「違うって」
「……ふん。まぁいいだろう。少しでもお前がおかしなことをすれば、その声が我に届くだろう」
ヘイムダルは振り返ると、どこかへと歩き去っていった。
「ははは。気にしないでいいよ。彼はこのビフレストの番人だからね。巨人族が攻めてこないかいつも見張っているんだ」
「ビフレストとはこの虹のことですか?」
「そうだよ。虹の橋ビフレストさ。綺麗だろ?」
「はい。とても……それにこの中の建物も全部すごいです」
「神が住まう館だからね!フォールクヴァングに行こう。そこにフレイヤはいるはずだから」
再び猪車は走り出した。
アールガルズの中を走っていく。
本当に見事な建物ばかりだ。
「なっ! なんて大きな館!」
「あはは! あれはビルスキールニルというトールの館だよ。この世界で最も大きな館でね。確か部屋が540もあるんだよね」
「え? トールの館なんですか?」
「そうだよ。今トールはいないかな。彼はよくヨトゥンヘイムに行って巨人族と戦っているからね。おっと見えてきたぞ! あれがフレイヤの館のフォールクヴァングだよ」
これまた大きくて豪華な館だな。
「いまは選定中かな?」
猪車から降りる。
フレイヤの館の扉を開けると、どこまでも続いているような広い、とても広い広間がそこにあった。
「ここはフォールクヴァングのセスルームニルという広間でね。フレイヤはここでヴァルキリーが運んできた勇敢な戦死者の半分を選んでいるんだ。ほら、あそこにいた。フレイヤ!!」
フレイが声を上げた先は、目視では小さな点にしか見えないほど遠かった。
それだけこのセスルームニルという広間が広すぎるのだ。
歩いて近づいていくと……そこには一人の絶世の美女がいた。
「あら、フレイ。愛しいゲルズと一緒にお散歩?」
「そんなところだね! ところで今からちょっと一緒にお出かけしないかい?」
「私はいま戦死者を選んでいるのよ」
「じゃ~それが終わったら! 父上に会いに行こう! ゲルズを紹介するんだ」
「そんなことならフレイとゲルズで行けばいいじゃない……あら? そちらはどなたかしら?」
「ああ、こちらはミーミルの古い知り合いの……」
「アルマです」
驚いた。
これが本物の女神フレイヤ。
あの……めっちゃ胸大きいんですけど!
スタイル良すぎだろ。
エルフ族のフレイヤと全然違うじゃん!
「初めまして、アルマ」
「は、初めまして」
「あはは。さすがのアルマもフレイヤの前では緊張するかい?」
さすがもなにも、あんた俺のこと何も知らんだろ。
「え、ええ。本当に美しくて緊張します」
「あらあら。嬉しいわ」
「アルマをヴァナヘイムの海辺に連れていくんだ。ミーミルに頼まれてね。父上に会いにいくついでに連れていこうと思って」
「そうだったの。ミーミルから頼まれているなら、ちゃんと送り届けないといけないわね。フレイだけでは心配だわ。私も行きましょう。でも出発は明日にして。今日は動けないから」
「分かったよ! それじゃ~明日また来るね。アルマ、今日は僕の館に」
「待って」
フレイヤがフレイの言葉を止めた。
「ミーミルから頼まれた大切な客人ですのよ。フレイのもてなしでは不安だわ。アルマは私がもてなすから、フレイはゲルズと二人でお戻りなさい」
「そうかい? 分かったよ。アルマ! 君のことは妹のフレイヤがもてなすそうだから、また明日ね!」
「は、はい」
フレイはゲルズと一緒に仲睦まじく館を出ていってしまった。
「私はもうしばらくここにいないといけないから、お部屋でくつろいでいてください。ブリュンヒルド」
「はい」
「アルマをお部屋に案内してあげて。それと眼帯の中から良いものを一つアルマに差し上げてちょうだい」
「承知しました。ではアルマ様、こちらへ」
「はい……」
この人がブリュンヒルド!
アーネス様の解放の時に力を貸した。
そしてすごく怖いことを言っていた人。
そんな風には見えないけど。
ブリュンヒルドに2階の一室に案内された。
果物やお酒がテーブルに置かれ、何かあればお呼びくださいとブリュンヒルドは部屋を出た。
「ふぅ……」
果実酒を一杯飲んで喉を潤す。
気が付いてからここまで、一瞬の出来事のようだった。
片目を失ったけど、これでどうにかして元の世界に戻れたらミーミルと会えるわけだ。
その元の世界に戻る手掛かりは、ミーミルの体を見つけることなんだけど。
「失礼します」
「あ、はい」
ブリュンヒルドが戻ってきた。
その手には1つの眼帯があった。
「こちらをお使いください」
「あ、ありがとうございます」
眼帯を左目につける。
とてもしっくりくる眼帯だ。
造りも良い物に見えるから、きっと高価な物なのではないだろうか。
「では私は外にいますので」
「はい」
再びブリュンヒルドは部屋を出ると、部屋の外に立っているようだ。
フレイヤとブリュンヒルドは主従関係にあるのか。
特に何をするわけでもない。
明日になるのを待つだけだ。
部屋の中で果物を食べてぼ~っとしていたら、しばらくして食事が運ばれてきた。
お腹を満たしてぼ~っとしていたら、今度は風呂の用意が出来たと言われて、風呂に入ってきた。
すんごい豪華な風呂だった。
窓の外は暗くなり、空には満天の星空が広がっている。
お月様も……ん? 何か月を追っかけている狼? みたいなのが見えるけど……なんだあれ?
そろそろ寝て明日に備えようかと思ったところで、ドアがノックされた。
「はい」
「良かった。まだ起きていたのね」
入ってきたのはフレイヤだった。
湯上りなのか、髪の毛が少し濡れている。
しかも妖艶なネグリジェのような服を着ているものだから、見た瞬間、固まってしまった。
「アルマと少しお話したいと思って」
「は、はぁ……」
「うふふ、そんなに固くならなくていいのよ? 楽しくお話しましょうよ」
「え、えっと」
「それともお話より……口を塞ぐ方がお好きかしら?」
俺はまったく身動きできず、フレイヤにされるがまま一夜を過ごした。




