第53話
首を切り落とされていた巨大な狼の魔獣。
その死体が大きく波打つと、くっついた首から頭を動かしてアーネス様をぎろりと睨む。
さらに潜んでいる俺達にも気づいているようだ。
古代の女神フレイヤの次は、古代の神狼フェンリルか。
フェンリル級じゃなくて、本物のフェンリルだったのね。
「ナルル」
「はっ!」
ナルルが霧でフェンリルを覆う。
これで視界を奪えればと思ったけど、一瞬で霧が散ってしまった。
その一瞬の間にディアが絶を放つ。
「だめか」
だめでもともとだったけど。
あの神器とフェンリルとの繋がりを絶てるかと期待したが、そんな簡単にはいかないよね。
「前に出ます」
「モニカも~」
ナルルとモニカが前に出る。
フェンリルの強力な爪と牙が二人に襲い掛かる。
ナルルの衣が一瞬で剥がれた。
「ナルル下がって。霧をフェンリルの眼に」
「はっ!」
前衛はモニカに任せる。
雷のように動き回るモニカと、その動きについてくるフェンリル。
フェンリルの攻撃を紙一重でかわしているけど、やはり分が悪そうだ。
「ディア」
「闇玉!」
闇玉に辺りの光りを吸収させて闇を造り出す。
その闇に紛れてディアがフレイを狙いにいった。
ディアの動きに気づいたフェンリルは後ろにいるフレイに近づけさせまいとする。
「闇玉! 闇玉! 闇玉!」
「ナルルも。気を引くだけでいいよ」
「はっ!」
闇玉によって光が吸収され生まれる闇に紛れて、ナルルとディアがフレイを狙い続ける。
ただ本当に狙って奥まで行くことはない。
あくまでフェンリルの気を引くのが目的だ。
おかげでモニカはだいぶ動きやすくなったようで、フェンリルの攻撃を避けながら反撃している。
「マリアナ様」
「はい!」
戦具の竜鞭でマリアナ様もここで参戦。
フェンリルの脚に鞭を絡ませるように振っていく。
フェンリルの巨体の後ろにいるフレイからマリアナ様は見えてしまうか?
まぁ見えたところで今さらか。
状況はこちらが有利。
前回の女神フレイヤは部下を召喚するタイプだったからやばかったけど、フェンリルは自らが戦うタイプだ。
女神フレイヤと同じように部下を召喚するタイプだったら、とりあえず距離を取って逃げる作戦だった。
でも、これならこのままいけるのでは?
「ティア」
「はい!」
ティアがモニカとマリアナ様の動きに合わせて結界を展開していく。
モニカがフェンリルの攻撃を受け止めれば、すぐに再生で回復してくれる。
状況はそれほど悪くはない。
こちらも決定打があるわけじゃないが。
その決定打に期待していたアーネス様は……戦具の剣に意識を集中なさっている。
「なるほど……愛情と憎悪は表裏。愛するが故に憎しみ、そして殺してしまったのですね」
なにそれ怖い。
いったい何を話しているんですか?
「大丈夫。私とアルマ様はすでに婚約しております。はい、そう婚約です。私の愛する人は未来の旦那様と決まっております。ええ、ですから憎しみではなく、愛情で私は夫を守りたいと思っています」
何の話か分からないけど、とりあえず良い方向に向かっているようだ。
『私も婚約したけど裏切られたわ』
うお! いきなり頭の中に女性の声が。
『この人も貴方を裏切るかもしれないわよ?』
「アルマ様は私を裏切ることなどありません。何よりアルマ様が何をなさっても、私は裏切られたとは思いません。偉大なアルマ様が成さることを、ただただ受け入れて愛情を注ぐだけです」
『そう……羨ましい。私もそんな風に彼を想えば違ったのかしら? でも彼は私を欺いて……』
いま大変な時なんですけど。
何の恋話ですか。
とりあえず、アーネス様は解放『ブリュンヒルド』を使えているんだよね?
この聞こえてくる女性の声はブリュンヒルドなのか?
「ブリュンヒルドの想いは私が継ごう。決して悲劇で終わらない、素晴らしい恋物語として」
『分かったわ。貴方に私の想いを託すわ。だからこの男が貴方を欺いた時には、絶対殺してね?』
絶対欺きませんから。
怖いこと言うのやめてください。
『貴方にこれを……私が愛して殺した人が持っていた剣よ……『グラム』と『フロッティ』の2つがあるけど、どちらがいい?』
「ふむ……2つともよいですか? 以前にアルマ様から聞いた『二刀流』。実は練習していたのです。2本の剣で戦ってみたいので」
『なら貸してあげる。グラム……フロッティ……』
アーネス様の戦具の剣が弾けて光りの粒子となる。
その粒子は別々に集まっていき、2本の剣を造り出した。
なんて見事な……剣なんだ。
「重さも……ちょうどいいですね」
「いけそうですか?」
「はい。この2本の神剣の相手が神狼フェンリルとは……相手にとって不足無しです!」
白く輝く翼を広げて、アーネス様がフェンリルに飛びかかった。
グラムとフロッティの2本の剣には聖属性が流れている。
モニカの動きに気を取られていたフェンリルの巨体を、アーネス様が2本の剣で斬り裂いた。
吹き出す大量の黒い血。
モニカの打撃では軽いダメージしか与えられていなかったが、これは間違いなく大きなダメージを与えている。
アーネス様を睨むフェンリル。
しかしアーネス様だけに気を使わせない。
地上ではナルルとディアが闇に紛れてフレイを常に狙っている。
マリアナ様も竜鞭をフェンリルの脚に絡めて動きを鈍らそうとしている。
モニカも休まず攻撃を続けている。
アーネス様の解放に期待はしていたけど、前回の女神フレイヤの時と違って偶然の幸運による勝利じゃない。
仮にアーネス様の解放がここで使えなかったとしても、長期戦でフェンリルを倒すか、それともフレイを気絶させるかで勝てたと思う。
状況が悪かったら逃げてもいいしね。
二刀流という考えはこの世界の剣士には無かった。
俺が知ってるのも宮本武蔵か漫画の世界かだからね。
実際に2本の剣を使うというのは難しいはずなのに、アーネス様の二刀流は実に様になっていた。
剣を扱わせたら天才といわれるアーネス様は、その影で絶え間ない努力を続けていたことを知っている。
きっと二刀流も俺から聞いてずっと練習していたんだろうな。
「なぜだ! お前達はいったい……なぜこんなことに!!」
黒い血を流し続けるフェンリルを見て、フレイが焦りと怒りの声をあげる。
こいつにもいろいろ聞かないといけない。
でも制約あるから話せないだろうからな。
フレイの制約も解除しないといけない。
そうなるとフレイヤと同じく、このおじいちゃんに俺が精霊力を与えないといけない。
何かちょっと嫌だけどそんなこと言ってられないか。
あのおじいちゃんに鍵の魔具を挿し込むしかないな。
「終わったね」
四方八方から囲まれたフェンリルは、アーネス様の二刀流で首に大きな傷を受けたところで大地に転がった。
そのまま動かなくなると、次第にその肉体が腐食するかのように蒸気を立ち昇らせながら、消滅していった。
真っ黒な大地の上に巨大な狼の骨だけが残る。
俺達の勝利だ。
「貴方の負けですね、フレイ様。降伏なさいますか?」
「なぜだ! なぜなんだ! お前達のその力は何なんだ!」
「今は私が聞いています。降伏なさいますか? それともまだ足掻きますか?」
「くそっ! なんでこんなことに……もう少しで……」
フレイにそれほど高い戦闘力があるとは思えない。
あの紐……グレイプニルと言っていたか。
あの神器が無ければただのハイエルフと同じだ。
まぁ、普通ならハイエルフは十分に強いんだろうけど、アーネス様達の強さの次元はもう違うから。
俺は後ろでフレイから見えない位置にまだいる。
そろそろ出ていって制約を解除するか。
アーネス様を前にして、口は悪いけど戦意は喪失しているようだし。
アーネス様とマリアナ様の婚約者としても挨拶した方がいいのかな? なんてね。
「ん?」
ぴりぴりと痛むように体がざわつく。
よくない時に起こる感覚だ。
それもとびきりの。
まずい……危険だと本能が告げてくる。
「逃げるよ」
みんなも何かを感じていたのか、全員が退避行動に移っていた。
ナルルは特大の闇霧を前方に展開。
ディアはあちこちに闇玉を投げている。
モニカが俺とティアを抱えると全速力で駆け出した。
その横をマリアナ様も一緒に走る。
そして……アーネス様は上空で何かと斬り合った!?
なんだあれ!?
モニカに抱えられてすごい勢いで遠くになっていくけど、はっきりと見えたものがある。
宙に浮く剣と斬り合うアーネス様。
誰も持っていない剣が宙に浮いて勝手に動いている?
「なんだあいつは」
「闇鷹で何が見えた?」
「見えたのは輝く馬に乗ったフードを被った奴だ。一瞬で闇鷹は潰されたけど、あれはやばい」
輝く馬に乗ったフードを被った奴。
フレイの隠し玉?
あの嫌な感じは……古代の女神フレイヤが現れる前の感じと似ている。
もう1つ神器を持っていたのか?
それとも……。
アーネス様はまだブリュンヒルドの力を得て2本の神剣を持っている。
それでも勝てるとは思えない。
「モニカ! アーネス様を」
「だめ。ご主人様を安全な場所に運ぶ」
「アーネス様が!」
「お姉様と決めていたことです。私達で勝てない相手と判断した場合、アルマ様だけは安全な場所にお連れすると」
なんでこうも俺は馬鹿なんだ!
モニカに抱えられながら、己の無力さを嘆くことしか出来なかった。
~オーディン王国北部の森林上空~
アーネスは1本の剣と戦っていた。
細身の剣だ。
その動きはまさに達人と呼ぶにふさわしい動きを見せている。
しかし……その剣を握る者はいない。
(何かの魔法か? しかしこの動き凄まじい!)
2本の神剣を持ってして、防戦一方だ。
攻めることではなく守ることに徹してどうにか防いでいる。
だが、徐々に押され始めていく。
(くっ! 防ぎきれん!)
アーネスの蒼い鎧を剣はいとも簡単に切り裂いた。
モニカほど防御力の高い鎧ではないにしても、進化した戦具の鎧である。
しかも聖属性を纏っているのだ。
それをまるで紙でも切るかのように、簡単に切ってしまう。
アーネスの腕から赤い血が大地に落ちていく。
アーネスは目の前の動く剣に全ての意識を集中していた。
そうでなければ一瞬で殺されてしまうからだ。
そのため、フレイの後ろにやって来ていた者に気づけてなかった。
「ブリュンヒルド……まさかと思ったが。誰かが辿り着いたというのか? どうやっても到達しえない理であったはずだ。いや……どれほど刻もうと綻びは必ず出るということか。我は全知全能ではない」
その者は上空で剣と戦うアーネスをしばらく見た後、馬の下でうずくまる一人の男を見た。
「当代のフレイよ」
「は、ははっ!」
「あれがお前の言っていた者か?」
「あ、あれは違います!」
「違う? あれではないのか?」
「私が見つけた疑わしき者は、あれの妹でございます。あれは姉のアーネス! 妹はマリアナです! どちらもオーディン王国の王女でございます!」
「ほぉ……やはり綻びはそこから生まれるか。主神オーディンよ」
その者は何かを考えるように黙った。
そしてしばらくして言った。
「殺しておくか」
「は、ははっ! 守護者様の御力でどうかあいつを、ぐほっぉぉ!!!」
馬は蹄はフレイを一瞬で踏みつぶした。
「そろそろ決着をつけろ」
その者のつぶやきと共に、空で戦う剣の動きがさらに一段速くなる。
「ぐっ!」
すでに身体のあちこちを切り裂かれ血を流していたアーネスは、剣の動きについていくことができない。
ついには飛ぶ力を失い地上に落ちていく。
アーネスの心臓目掛けて剣が襲い掛かった。
「む?」
剣がアーネスの心臓を貫くと思っていたその者の目は、信じられないと言わんばかりに大きく見開いていた。
剣はアーネスの心臓を貫くことなく、何かに弾かれた。
それはナルルの全魔力を注いだ闇魔法『衣』であった。
「我の契約が解かれている? なぜだ……あのスヴァルト……」
剣は馬に乗る者の元へ戻っていった。
空から落ちてきたアーネスを受け止めたナルル。
一歩も動けない。
動けば殺される。
ナルルはどうにかして、アーネスだけでも逃がせないかと考える。
だが動けば殺されるこの状況で、助かる術など思いつくはずもなかった。
「お前……契約をどうやって」
「絶!!!!!」
ナルルの後方から一本の矢が放たれた。
一度はアルマ達と一緒に逃げたディアだが、ナルルがいないことに気づいて戻っていた。
最悪の状況を確認したディアはイチかバチか、こちらも全魔力を注いで絶を放った。
女神はディアに微笑んでくれて、全魔力を注いだ絶はその者に直撃した。
一瞬の時を得た。
その一瞬を逃さずナルルはアーネスを抱えたまま逃げ出した。
ディアもだ。
もはや後ろを振り返ることもない。
捕まったら終わり。
ただただ走るだけ。
死の恐怖を背中に感じながら、ナルルとディアはひたすら走り逃げた。
「得られるはずのない上級魔法。我の契約が解かれたのは一人ではなく二人。一人ならば、ユグドラシルの綻びから生まれたとも納得できよう。だが同じ時代に二人? その確率は? それを偶然として納得できようか? 否だ」
その者はナルル達を追わなかった。
遠ざかっていくナルル達の後姿を見ながら考え佇んでいた。
「いるのだ。我が築き上げたユグドラシルの制約の外にいる者が。その者は神か? 悪魔か? それとも……。我に最後まで抵抗した賢き者。何かを仕組んでいたのか?」
その者は後ろに見える巨大な樹を見つめた。
「オーディンでさえ己の運命を変えることは出来なかった。だが、我は違う。ユグドラシルをこの手に……。いいだろう。新たな世界を創るのは我か、それとも……」
その者は再び逃げていったアーネス達の方角……オーディン王国を見つめて言った。
「お前達にその資格があるのか。見せてもらおうではないか」




