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春を待つきみ  作者: 海月くらげ
2/2

花吹雪 第1節

前回更新した際、とても中途半端なところで終わってしまいましたので改めて投稿させて頂きます。


*12年前



高校生になった。制服が変わって、校舎が変わって、通学路が変わった。


毎日欠かさず装着しているシルバーのヘッドフォンと、最近通販でポチった臙脂色のパーカー。入学早々身だしなみのことで呼び出されたのは記憶に新しい。中学二年の時に初めて染めた髪は、既に傷んでいて黒を入れようが何をしようが汚い柴色になる。そんなわけで悪い意味で諦めた俺の今の頭はアッシュグリーンの金に近い髪色で、教師から嫌煙されるのも当然だった。言うほど校則の厳しい学校ではないのだが、流石に俺ほど初っ端から校則をガン無視しているのは学年でも数人らしく、俺は早くも指導委員のブラックリスト入りだった。


中学より広い校庭。中学より広い校舎。中学より綺麗な机や椅子、中学にはなかった渡り廊下。ひとつ上の先輩たちの、言いようのない充実した表情と、女性との短いスカートの裾。放課後手を繋いで帰る学生カップル。

そのどれもが陳腐な深夜ドラマに見えた。たかだかひとつの差で、中学を卒業したての俺らの代をやだ可愛いー!と喚く女特有のキーンとした声もうざいし、無駄に早く身長がぶらんと伸びたせいで体育会系の部活の勧誘に遭う。新しい担任の長い挨拶に、そのうち覚えるだろう人間たちの中身の薄い自己紹介。



春は嫌いだ。全部が煩わしい。


入学して一週間と半分、早速授業を抜け出してサボりの穴場を探して絶好の場所を見つけた。正門から遠く、職員室からも遠く、その上道からも覗きにくい。もう使われていない古い倉庫の裏手。無人の教室があった。流石に鍵がかかっていて、校内から教室へ入ることはできなかったけど、別に屋内にこだわりがあるわけでもない俺は上靴のまま外へ出て、その教室の窓の下に座り込んだ。


首にぶら下げていたヘッドフォンを耳にあてて、好きな女性アーティストのプレイリストをシャッフル再生に設定しておく。音楽が流れ始めて、空を見上げる。青く澄んだ空は今は校舎に遮られてとても窮屈そうだ。


同学年の連中は高校に上がったことでもじもじしていたり、張り切った顔で似合わない制服を着てずんずん歩いていたりするけど、俺は生活する場が中学校のあの校舎でなく、この校舎に変わったという印象しか受けていない。なにかやりたいことがあるわけでもないし展望があるわけでもない。ただしゃかりきに高校生になろうとしている同い年の奴らの顔を見ていると辟易とした気分になるから嫌だ。

 このまま適当にサボっていたらこの状況も変わっていくんだろうか。そのまま二年生になって、気付いたら卒業したりしているのだろうか。出来ればそうであってほしいと思った。主体的に動くのはとても苦手だから、息をしていたら終わりましたみたいな人生がいい。


ここで座り込んでいたら、明日には卒業式で見送られる立場になっていたりしないかな。そんな馬鹿みたいなことを考えて立てた膝の上で肘をつく。

ああ、今日が早く終わればいいのに。俺は毎日そうやって考えて生きている。


不意にガラッと頭上近くで大きな音がして、びくりと肩を震わせた。慌ててヘッドフォンを耳から離して状況を把握するべく頭を持ち上げる。どうやら誰かが空き教室の窓を開けたらしい。というかこの教室やっぱふつうに使われてたんだな……。今更な事実に少しの落胆。今は授業中だろうか、そう思ってスマホを起動させてみるが、どうやら知らない間に昼休みになっていたらしい。驚いた。


そろーりと音を立てないように窓に近付いてみる。向こうにバレないように、頭の半分だけを突き出して中を覗く。女子がひとりで広い机に分厚い本と弁当を広げている姿が視界に飛び込んだ。肩まである髪のせいで顔はわからないが、リボンが緑色だからきっと二年生だろう。確認するだけして頭を引っ込めた。教師じゃないならいいや。ヘッドフォンを着け直す。停止ボタンを押さなかったせいで新しい曲が始まっていたけど気にしない。一等好きな曲だった。

腹が減った気がしなくもないけど、今動くのは得策ではない気がして、言うほど腹も空いてない気がして、考えるのが面倒で聴こえる曲の歌詞をなぞりながらじっと座っていた。


 時が動いたのは次の曲が始まってすぐのことだった。突然大きな風が吹いて、短い髪が巻き上がった。

目の前に白い花弁が舞った。大きな花弁だなと思った。


「待って!」


ヘッドフォンを着けていることを忘れるくらいの大きな声だった。内臓が震えるのを感じた次の瞬間、突風が吹き抜けた。頭上で臙脂色の花吹雪が吹いたんだと、そう思った。


「びっっくりしたあ、外まで飛ぶ?普通」


白い花弁だと思ったのはどうやら何かのプリントだったらしい。上靴のまま外に飛び出したらしいさっきの女子は、古びた倉庫近くに落ちた白い紙を拾ってはたはたと砂を払ってみせた。俯いたままでやっぱりその顔は見えない。上から射す陽の光が、その子の髪がきらきらと天使の輪っかをはしゃがせていた。俺はどうすることも出来ずに、座り込んだままその光景をぼんやり眺めていた。

粗雑な仕草で最後に大きくプリントを片手で振ったあと、その女子が顔を上げた。ばちっと視線がぶつかる。太陽に照らされた彼女の瞳が、綺麗な榛色に光って丸みを帯びるのをどこか夢心地で見守っていた。というのもほんの一瞬のことで、その丸い目は次には怪訝そうに歪んだ。思わず反射的に肩が竦んだ。彼女は細くした目でたっぷりこっちをねめつけてから、


「……嫌な予感がする」


低い声でそう唸った。


「はい?」


喉が勝手に返事をする。眉頭が中央に迫ったのが自分でもわかった。プリントを両手でしっかり握ったまま、彼女は体勢をしゃんと正して、これみよがしにふうっと大きく一息ついた。


「もしかしてだけど、私のパンツ、見えたりした?」

「はい?」


今度こそ自分の喉から嫌な声が飛び出るが、背筋をピンと伸ばした名前も知らない女子は口を尖らせて不服そうな顔でこちらを睨むばかりだ。

けど不服なのはこっちもそうなわけで。そもそも俺がいつアンタのパンツを覗くタイミングなんかあったというんだ。腹が立って膝を崩して胡座をかく。


「見てない」

「ほんと?」


機嫌悪さを全面に押し出した声色を出したつもりだったが、反面返ってきた反応は存外悪くないもので、彼女は一気に表情を明るくした。思わず寄せた眉が標準の位置まで戻ってしまうのが分かる。


「なんだぁー、よかったー。こんなところに人がいると思ってなかったから思いっきり窓乗り越えちゃったから。ああー大恥曝したかと思ってびっくりしたー」


プリントを握りしめたまま噴き出すように前のめりになってその人は笑った。拍子抜けだった。


「てかなんでそんなところにいるの?あ、わかったサボりだ」


返事をする暇もない。


「地べたに座ってたらズボン汚れない?」


ぺたぺたと上靴を鳴らして近寄ってくる。思わずまた身を縮める。若干身を引いてるこっちにもお構いなしに俺に近付いてきて……。


「私中入るけど、そっちも気が向いたらおいでよ。そこ寒くない?」


窓に手を掛けて、そのままにっこりと笑ってこちらを見下ろした。


「あっ、ここ跨ぐからその間だけ目逸らしててね⁉︎」

「言われなくても見ねえよ」


突然最初の話題に逆戻りして思わず反射的に言い返してしまう。しまった、と思ったけど当の本人は気にしていないようで、そう?と言いながらぐっと窓枠に掛けた手に力を込めたのを見てさっさと目を逸らした。

とすん、と軽い着地音がして視線を元に戻すと彼女はもう教室の中に入っていて、もうこちらに視線も向けてはいなかった。そのまま元の席に帰ったようで、俺の位置から彼女の姿は見えなくなった。

ヘッドフォンからはまだお気に入りの曲が聴こえている。最早ただのバックミュージックと化していたようだった。なんとなく、耳から首にヘッドフォンを下ろして、そろりと立ち上がってみた。


教室の中ではさっきの彼女が最初に覗いた時のように広げた紙やら本やらを片手で捲りながら、もう片方の手で器用に箸を扱いながら弁当の中身を口に運び続けていた。じっとその様子を眺めていると、視線に気付いた彼女が頬に食べ物を詰め込んだままこっちを見やる。そのリスみたいな顔面にひっそりウケていると、彼女はページを捲っていた方の手でこっちおいでと言わんばかりに手招きをしてみせた。そこからは半分本能で足を動かして、衝動のままに窓枠を乗り越えていた。


「気が向いた?」


教室に降り立つと、口腔内のものを飲み込んだのか、朗らかな笑みを浮かべた彼女がこちらを見据えていた。


「べつに」


踵を踏んだままの上靴を引きずりながら、窓枠に背中を預ける。反論したいわけでもないのに、気分でその言葉を否定した。


教室の中は日当たりでもなく電気も彼女の上の蛍光灯が点いているだけでうっすらと暗い。六人掛けの大きな木製の机。てんてんと奇妙な陳列で置かれている彫像や壁に掛かった肖像画。外から適当に見ただけでは分からなかったが、ここは美術室らしい。


「こっち座らないの?」


椅子に着いたままの彼女が、自分の前の席をとんとんと指先で叩く。どうやら壁に背中を預けただけの俺が気になったらしい。ここで首を横に振るのもなんとなく癪に思えて、指定された席の低い椅子を引いてそこにどっかりと腰掛ける。すると満足したのかにっこりしながら卵焼きを口にした。そのままもぐもぐと口動かし、ぽんぽんと矢つぎ早にご飯やらきんぴらごぼうやらを口に詰めてまた頰をいっぱいにして、机の上のプリントに目を移した。すごい食べ方だなと思いながらその過ごし方を眺めていた。 そのうちになんだかもぞもぞして気付いたら口を開いていた。


「二年生?」

「ふぉぉんほん」

「……飲み込んでからでいい」


のんびりと口を動かしながら彼女は咀嚼を続ける。ひとしきり飲み込んだのか、最後に水筒を煽ってぷはーとおじさんのような声を上げた。


「そうだよ。そっちは?ネクタイつけてないし派手な髪色だけど見たことない顔な気がするからやっぱ一年?」


言いたいことを言い切ってからまた水筒を傾けた。俺はそれを目で追いながら一度頷いた。


「ふーん」


訊いた割に興味がないのか、それだけ言って今度はご飯を口に運ぶ。今度はすぐに咀嚼し始めた。一挙一動がなんだか忙しない。常に咀嚼してる間にも、いつのまにか手にとっていた蛍光マーカーでプリントに線を引いている。常に両手が動いているから両利きなのかもしれない。その間に口も目も動かしてるんだから凄いな。俺絶対飯食べるので精一杯だな。


「そんなに見られるとちょっと食べづらいんだけどなあ」


ずれたことを考えていたら、箸先を下に向けたままくるくると回した彼女がまた唇を尖らせながらこっちをねめつける。


「もうご飯食べたの?」


機嫌を損ねた、とひやりとした瞬間にはもう完結していたのか次の話題に移り変わる。その様変わりについていけず、適当に首を振って応えた。


「食べてないの?」


頷く。


「お腹空かないの?」


面倒なのでもう一度頷く。


「そっかあ。だからスタイルいいんだねえ……」


そう言って最後のおかずを口に運んだ。もぐもぐと口を動かしながらじいっとこっちを見詰めてくる。また少し身が縮こまった。

 容姿を褒められることは割と多かった。というのもほかに特筆して秀でているものもなく、褒めるところがそれしかないんだと思う。運動に執着していない身体はほかの男子より肌が焼けにくく、筋肉もつかず、成長期に入ったのが人より少し早かったためか身長も後ろから数えた方が早い。前に韓国アイドルにいそうだねと言われたことがあったが、韓国アイドルに詳しくないので褒められているのかもいまいち分からなかった。それに、男にとって細いだの白いだのは男らしくないと言外に言われているようなものなので、手放しに喜ぶことも出来ない。


「べつに」

「あとでちゃんと食べた方がいいよ?育ち盛りなんだし」


少し捻くれモードに入った俺に気付いていない彼女は、まるで近所のおばちゃんのようなことを言いながらせっせとプリントに線を引いていく。あまりにもさっぱりとしたその態度に気付くと素直に首を縦に振っていた。そんな俺を上目遣いで見やって、よしと一言だけ機嫌良さそうに彼女は頷いた。


そこからお互いなにも口に出すことはなく、彼女は見慣れない単語の並ぶプリントと本を見比べマーカーを引いたり付箋を貼ったり赤ペンでチェックを入れていた。俺はそれを頬杖をついて黙って眺めていた。そのなんでもなさすぎる時間が、居心地よく感じられた。初対面の歳がひとつ上の女の子がつくるこの空気感が、俺を邪険に扱わない彼女の目が、眠たくなるほど退屈で、不思議なことに安心してしまった。


「よし、今回はここまでにしよう」


不意に教室に響いた彼女の声にびくりとする。やべ、意識半分寝てた。何回も瞬きをしてから掛時計を見ると、もうすぐ昼休みが終わる時間だった。隣の椅子に荷物を置いていたようで、目にも止まらぬ速さで机の上のものを仕舞っていき、半ば呆然としている間にその人はぱんぱんになったスクールバックを持ち上げ立ち上がった。


「ほい、出るよ」


当然のように促され、また半ば釣られるように立ち上がると彼女はさっさと教室の出口に向かっていてなんなら電気もさっさと消してしまっていた。

一々行動が素早い女だな……とぼんやり思いながら、待たせるのもなんだかなと瞬時に悟った俺はいつもより大股でドアに向かった。


「この教室私が鍵管理してるの」


無人になった教室のドアをバンッと蹴りつけ、勢いよく旋条しながら彼女は徐に口にする。突然の大きな音にビビってる俺に、建て付けが悪いからコツがいるのとはにかんで見せながらもう一度ドアをバンと叩く。


「普段はサボりに使えないからね」


鍵をチラつかせながらそう言って笑った。あわよくば次もここで時間を潰そうという邪念は見抜かれていたようだ。こくりと頷く。彼女はそんな俺をみて同じように頷いてから鍵をカバンに仕舞って、これまたさっさと自分の教室へ向かうのか歩き出す。ほんの数分の間だけでわかるその本物のマイペースさにやはり呆けたまま後ろ姿を見送る。


交わした言葉は少なく、分かったのは何故か古びた美術室の鍵を管理していること。やたら行動が早くて器用なこと。彼女がひとつ上の二年の先輩だということ。……名前も訊かれなかったし、訊かずに終わったな。


北校舎一階の端、追いやられたように存在するもう使われていなさそうなくらい鬱蒼とした空気の美術室。そんな一室に似つかわしくないはきはきとした女の子がひとり。


チャイムの音が聞こえて、首にぶら下げっぱなしだったヘッドフォンを耳に装着。スラックスのポケットに手を突っ込んで足を踏み出す。

 高校に入学して一週間と少し。鼻から息を吸い込んだ。


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