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春を待つきみ  作者: 海月くらげ
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大好きだったひと



十年目の春だった。


その日、仕事中に見た光景が忘れらなかった俺は十年前毎日のように足を運んでいた場所にいた。

春はなんとなく苦手だ。朝も昼も夜も、街にはやたら忙しない足取りの人間か、やたら疲れた顔をした人間しかいないし、花粉やら2PMやらで目の前が霞むし、突然暑くなったり寒くなったりで身体が疲れるし。

今日もそうだ。陽射しが強くてぼんやりして、降ってくる桜の花弁が視界を覆って、その足取りを追っていたらあんなものを見た。砂煙のつんをした匂いが鼻の奥を刺して気分が眩んだ。俺はあの匂いに弱い。海馬が刺激されてたまらない。


時刻は午後二十時。春の夜は冷える。俺はいつかそうしていたように、近くの自販機でホットココアを買って、すぐ近くの封鎖された駐輪場のベンチに腰掛ける。そうしてイヤホンを耳にセットして買ったココアを飲むわけでもなく、プルタブを爪先で弄ぶ。

昔はこうしていると仕様もなくわくわくして、何時間だってここで待っていられる気がしていたんだ。そんなことを思い出してクスッと口端から吐息が漏れた。我ながらほんと。いつの話だよ。

自問自答したり記憶を辿りながら過ごしていたら、気付けば二時間が経過していた。腕時計に目をやり、一息吐いた。いつのまにか来た時より冷えてる。帰ろう。自分のしょうもなさにほとほと呆れて天を仰いだ。もう緑の葉をつけて揺れている桃の木を見上げて、その奥に広がる夜空を吸い込んだ。帰ろう。

勢いよくかぶりを振って立ち上がる。どうすることもなかったココアが缶の中でどちゃんと音を立てて揺れた。置いて帰ろうかなとか近所迷惑なことを考えながら顔を上げた。



(ふき)ちゃん?」


イヤホンをした耳にも、その鈴の音は届いた。コンマ一秒、瞬きをする暇もない。全身が粟立って喉がヒュンと鳴る。背中がびりっと痺れて、途方もなくなって、泣き出したくなる。こわいくらいに。

顔を上げた先に、俺の目の前に、好きな人がいた。

最後に見た時よりずっと短くなった髪。見たことのないスーツ姿に、怖いから履きたくないと笑っていたはずの高いヒール。変わらない線の細さと、瞳の色。物怖じしない強い双眸が、驚いたというように丸まっている。

ああそうだ。この目に見つめられると、俺はどこにもいけなくなる。

十年前、ここでアンタを待っていると嬉しい気持ちになれたのは、その榛色の目が、俺を見つけてくれると信じていたから。


俺の、大好きだったひと。

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