第6話 これが清純派女優の正体だ
帝都ホテルの外に出ると雨だった。ホテルのタクシー乗り場には長蛇の列が出来上がっていて、15分では東都ホテルに着けそうにない。まあ、タクシーの運転手もこんな目と鼻の先では嫌がるだろ。
仕方が無く歩いていくことにした。折り畳み傘は持っていたが雨足が強く肩から背中に掛けて随分と濡れてしまった。
そうそう、先に経口避妊薬を飲んでおかなくては・・・。到着してすぐに身体の関係を迫られるかもしれない。前立腺の触診行為だけで乗り越えれるとは思っていない。
東都ホテルのロビーに向かおうと回転扉の方向へ向かって歩いていたときだった。ロビーに彼の母親を見つけ、手を振ろうとするが思いとどまる。傍に伸吾さんが居たからだ。これで伸吾さんが担当することは確実であろう。
私は慌てて物陰に隠れて、スマートフォンから電話を掛ける。
「どうしたの?」
「あのう。突然の雨で濡れてしまって・・・それで・・・ロビーへはちょっと・・・。」
「恥ずかしいのね。別に構わないんだけど、フロントの人に言えばタオルも貸してくれるし。まあいいわ。貴女はこんなホテルは初めてなのね。気後れするのもわかるわ。ちょっと待ってね。今行くから。」
帝都ホテルとは違い、荷物運びのボーイが並んでいなかったので回転扉の傍からロビーを覗き込んでいると、彼の母親が伸吾さんに何かを話しかけ、頭を下げると1人でこちらのほうにやってくる。
よかった。伸吾さんはこちらに気付いていないようだ。
「本当だわ。嫌な雨ね。これカードキー。あちらの階段を下っていくとブティックショップの通りに入れるから、そこを通り抜けて突き当たりにあるエレベーターを使って53階に上がれば、この部屋番号の階に到着するわ。ほかに何か質問はある?」
やけに詳しい。誰にも見られずにホテルの部屋に入ることに慣れているようである。彼の本当の父親と密会する場合にも、このホテルを利用しているのかもしれない。
「いいえ。」
「そうそう。ひとつ聞き忘れていたわ。あの子を放り込める適当な病院が無いかな。できれば自分のコネは使いたくないのよ。私から辿れるような病院だと週刊誌の記者が押しかけるかもしれないでしょ。」
「はい。あります。」
紹介できるような病院はひとつしかない。でも、コネがある病院だから拒否されることはないと思う。
「そこって精神科はある? 最悪、気がふれたことにして強制入院させることもできるでしょ。」
この母親、自分の子供を何だと思っているんだ。
いくら迷惑を掛けられたからって、それは無いんじゃない?
でも、まあ私の知っている病院は精神科もある、彼に女性ホルモンを処方してもらったところだから・・・。
「へえ。あそこならいいわね。」
私が病院名を告げると納得してもらえたようだ。外来の設備がシッカリした有名病院なのだが、病棟の奥にいくと一時的に身体を拘束できる病室も整っている本格的な精神科病棟もあるところだ。
実は母が入院していた病院なのだが、看護婦の連携でミスをして空白時間を作ってしまい。自殺にしばらくの間、気付けなかったことがあったのだ。
あのときは頭が真っ白だったせいか相手の言いなりに僅かな示談金を貰い、誓約書を書いた。だからか、多少の融通は聞いてくれる。彼の女性ホルモンの注射も簡単な診察のみでしてくれたのだ。
今回も無理を言えば個室ベッドのひとつくらい空けてくれるだろう。なにせ今回は金に糸目をつけないスポンサーがいるのだから、特等室でも大丈夫に違いない。
私はその場で連絡を入れると即座に受け入れ準備をしてくれるということだった。
「特等室でいいですよね。」
「あの子を隠しておけるところなら、何処でも構わないわ。なんなら看護婦さんに手を出さないように縛り上げて貰ってもかまわないのよ。」
そこまでは言わなくてもいいのに・・・彼が最低な行いをしたという自覚はあるのだけど、だんだんと彼が可哀想になってきた。
「明日からなら、いつでも受け入れてくださるそうです。」
私が受け入れ先の個室料金を告げると彼の母親は頷く。問題無いみたい、きっと芸能人が使うような病院なら設備が豪華な分、個室料金が高いのだろう。
「わかったわ。ありがとう御世話になるわね。あんな子じゃなくて貴女が私の子供だったら良かったのに・・・。」
涙をポロポロと零しながら、私の手を握ってくる。これは確実に演技だ。遠くから見れば演技は完璧だったのだが、近くで見ると黒目の部分が全く動いていない。
わざわざ、お世辞を言うだけで演技をしてしまうとは、これも『女優の性』なのだろう。この演技でお詫びに伺うテレビ局のプロデューサーたちを泣き落すのかもしれない。
リンリンリン・リンリンリン。可愛らしい着信音だ。こんなことでも清純派を演出しているのかもしれない。
「はい。『一条ゆり』でございます。あっ・・・・・・・・はい、この度はご迷惑をお掛けして大変申し訳ありま・・・あっ・・ちょ・・・。」
相手は誰なのか分からないが、今回の一件に関することということだけは分かる。それも相手が一方的に話して電話を切られたようである。
「あのう・・・。」
私はため息をつき、項垂れる彼女に声をかける。
「今回の大河ドラマの監督さんよ。次回作にも私が出演する約束の代わりにあの子を出して頂いたのだけれど・・・私の次回作の出演も保留にして欲しいそうよ。あの子の所為で私の仕事がどれだけ減ってしまうというの。私は何もしてないっていうのに!」
そう言った背中に哀愁が漂っている。こちらは演技では無さそうである。