第11話 医者になる資格を失う覚悟
すぐそばのソファに穴があいた。
「志保だと。貴様、志保というのか!」
「それがどうしたって言うんです。」
「まさか。佐和子の子供なのか? 戸籍を調べたから妹が子供に志保という名をつけたのは知っているんだ。」
母の名前が出てきた。拳銃を向けて脅しているこの人は伯父なんだ。
「誰ですか。それは。」
「惚けでもって無駄だ。調べたら簡単にわかることだぞ。」
まあ事務所のプロフィールにも本名を載せてあるから、インターネットで検索すればバレてしまう。
「そうです。私が西八條志保です。」
「貴様・・・いや、お前が妹の子供だなんて!」
伯父が手に持つ拳銃の銃口が下がっていく。気付いたらしい。ここで私を殺せば八條家を継ぐものが居なくなることに。まあどちらにせよ継がないんだけどね。
「何故だ。何故、皇族を助けようとしないんだ! 藤原家の血筋たるお前の義務だぞ!!」
な、なんだ。義務って。
「知らないくせに! 何にも知らないくせに何を言っているのよ。志保さんは医者になるためにいったいどれだけ頑張ってきたと思っているの。その努力を貴方の勝手な言い分で台無しにしようとしているのよ!」
『マキ』さんが私の代わりに答えてくれる。
「うるさい! 公家のなんたるかも知らない女が何を言う。」
私は銃口が『マキ』さんに向く瞬間、その前に立ちはだかる。
「どけ! どかぬか。」
「嫌です!」
「妹は妹で親王との見合いのセッティングをしようとした矢先に駆け落ちをするし、その子供は親王を助けられるのに助けない! なんて親子だ!!」
「貴方がそんなんだから、母は父に妊娠したと嘘をついて結婚を迫ったんだわ。貴方が追い詰めたのよ。わからないの。」
突如として、あの男が母に向かってなじるシーンの記憶が蘇る。そうか病院で聞いた話はこんな背景があったのか。あの男に尽くしていたのは、母にとって幸せだったのかもしれない。精一杯、幸せになろうと足掻いていたんだわ。
「もういい。やめろ八條。」
綾仁親王殿下が苦しそうな顔で止めに入る。鎮痛剤が入っているので痛みはマシになっているだろうが、相当苦しいに違いない。それでも立ち上がってこちらに来ようとしている。倒れ込みそうなところをすぐに警護官が肩を支えている。
「ですが殿下。」
「もういいと言っているであろう。私はそういう星の下に生まれてきたんだ。運が悪かっただけだ。八條や八條の姪が犠牲になることはない。」
伯父の手から拳銃が滑り落ちる。
何を思ったか突然、伯父が私の前で地べたに手をついた。
「頼む。頼みます。お願いします。殿下を助けてくれ! 藤原家も八條家も摂家も公家も関係無い。ひとりの日本人として、殿下を助けたいんだ。この通りだ。」
伯父は床に顔をこすりつけながら、土下座してくる。公家は関係無いと言いながら、日本人や殿下という。どこまでいっても頭から皇族が離れないらしい。
七星テレビの元社長といい伯父といい、何故男という生き物はこうなんだ。初めから頭を下げて頼もうと思わないのか。
「殿下はどうなんですか。人生を精一杯、生きるつもりはあるんですか?」
どんな手術であれ、気力が一番大事だ。本人に生きる気力が無ければ、失敗してしまうだろうし、自分の人生をかけてまで助ける価値は無い。
「ああぁ。君のような女性に出会えたことこそが幸運と言えるだろう。」
何を言っているんだろうこのひと。
「何が何でも生き抜いて、幸せになってみせる。私を助けて欲しい。君に命を預ける。お願いする。」
そう言って、おそらく皇族以外には下げたことが無いであろう頭を下げた。
「その言葉を忘れないでくださいね。殿下、精一杯やらさせて頂きます。」
*
やるからには最善を尽くしたい。それには準備が大切だ。
「伯父様。スマートフォンは生きていますよね。宮内庁病院と認天堂大学付属病院の医師をスマートフォンの向こうと動画で繋いでください。」
「ああわかったすぐ手配する。」
手術台は本物だが、初めて全てひとりで行わなくてはいけないのでは内視鏡手術は危険だ。向こうの医師に画像を見せるにしてもスマートフォンで直接撮影できる、開腹手術にするべきか?
とにかく、それぞれの病院の医師たちと相談しながら、行うべきだろう。
「監督! 本物の心電図や点滴台があるのでしたら、持ってきてください。」
監督が何も言わなくてもスタッフが動いてくれている。
「あるぞ。他には何かないか。」
「あと、万が一停電があってすぐに対応できるように撮影隊の発電機を動かしてライティングはそちらに切り替えておいて貰えませんか。」
*
「和重。私、人間不信になりそう。」
手術は無事成功した。
途中、台風のために携帯通信会社ドッコデモの回線で通信障害が発生して焦ったがあらかじめ映画スタッフが用意しておいてくれた携帯通信会社Ziphoneの回線を使い事なきを得た。
山田副社長就任後、設備投資費を抑えながらも回線品質が向上していると噂になっていたZiphoneの回線品質がドッコデモよりも格段上回っていることを証明することになった。
生まれて初めて生きた人間にメスを入れたときは非常に緊張した。
結局、内視鏡を使わず開腹してお腹の中を見たとき、手術を選択したことが正解だったと悟った。動画で見て頂いた両病院の医師たちからもあと1時間遅れていたら助からなかったと断言された。
実際に次のヘリコプターを到着するのを待っていたら危なかったようだ。
両病院の医師たちからの指示が飛び交う中、腹膜炎を併発した虫垂炎の手術は手順通り進められ、無事成功することができた。
「何故だ。日本中で大騒ぎになっているお前の医師国家試験の受験資格を剥奪しないように求める署名運動が1000万人を越えたんだぞ。」
綾仁親王殿下を救ったとはいえ、無免許医療行為は犯罪行為で医師国家試験の受験資格が即刻剥奪されるべきなのだ。宮内庁から連絡が行った現在内閣の法務大臣が指揮権を発動して止めなかったら、そのまま逮捕されていただろう。
「いや日本人って美談が好きなんだなと思って。」
結局、伯父が拳銃で脅したこと、そして殿下が頭を下げたことも無かったことにされたのである。
私が医師国家試験の受験資格が剥奪されることを覚悟の上で積極的に執刀し命を救ったことにされたのだ。あれだけ多くの人間が関わったというのに一ヶ月経った今も何処からも情報が漏れていない。
実は何度となく和重をはじめ友人たちに本当のことを言うべきと相談したのだが、誰からも反対されてしまった。本当のことを言えば私が悪者にされてしまうからだという。
本当のことを言えば悪者にされ、嘘で塗り固められた今は会う人会う人に感謝される。これでは人間不信になっても仕方が無いだろう。




