第9話 彼女は怪我の治療ができない
綾仁親王殿下は今上天皇の第3皇子である高桂宮家の第1男子で皇族の中で唯一の若い独身男性として有名だ。皇族としては三十数年ぶりの男子だったが数年後相次いで生まれた親王のほうが継承順位が高いこともあり、既に皇太子としては偶されていないがそれでも重要な皇統には違いない。
「お忙しいところへお邪魔して申し訳ありません。わたくし、首席随員の八條友近です。」
綾仁親王殿下をまずお通しして客間にご案内させて頂いた。酷くお疲れのご様子なのでもう1人の随員と警護担当だという男性にその場を任せて、別室で話を伺う。
「杉山建と申します。映画監督をしております。こちらがこの映画に出演して頂いています『台地マキ』さん、『西九条れいな』さんです。丁度、休憩を取ろうとしていたところですので、お気になさらずに。」
監督はスタッフに怒鳴りつけていたことなど忘れたかのようだ。
「西九条といいますと九条公爵家の分家のご血筋の方ですかな?」
九条公爵家と言えば、明治維新で公爵に取り立てられた6摂家の公家だ。
「いえ違います。単なる芸名ですので。」
「そうですか。それは失礼致しました。今時、公家も無いんでしょうが、藤原氏のお血筋に繋がる女性のお顔の特徴が良く出ておいででしたので。」
へえそうなんだ。藤原家の美姫で当時の天皇家に取り入り権勢誇ったのは有名だ。有名だがそれって平安美人だよね。当時の美人画が残っているのか後世の人間が創作したのかは知らないが少なくとも今風の美人じゃない。
暗に不細工だと言われた気がする。ということは、プロデューサーも摂政一条家の血筋だったりして。
「いえそれは構いません。」
「私も元は分家の西八條家から養子に入った人間でして、摂家は分家を作る際に必ず頭に東西南北をつける決まりになっておりますのです。皇族同様九条家も嫡流の維持に苦慮しておりますので、関係すると思われる方にお聞きしている次第なんです。かく言う私も子孫を増やせまんでして、家を出て行った妹の子供を探しているんですよ。」
まさか。
そんな。
西八條とは母の旧姓だ。両親が離婚した後は私もその姓を名乗っている。
何があったのかは知らないが母は実家を嫌っており、西八條家の人間は誰もしらない。
八條さんが監督の方へ向いた隙に私は慌てて指を口元の持って行き、マキさんの方を向く。マキさんはもちろん、私の本名を知っているのだ。目を見開いていたマキさんは頷いてくれた。
偶然だとは思うが摂家の血筋なんて立場は絶対に欲しくない。バレたらどんなことをさせられるかわかったものじゃない。
「それでこちらには、どのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
後は監督に任せておけば大丈夫だよね。
「親王殿下のご公務のため、この村に入る手前の国道を北上していましたところ、南北共に土砂崩れで塞がれてしまいまして、ここにある伯爵家の別荘を思い出したもので、お邪魔してしまいました。」
「それは、難儀なことでしょう。客間は、撮影に使いませんのでご逗留頂いても構いません。」
監督は、親王殿下がいらっしゃるというのに撮影を続けるつもりのようだ。本当に撮影現場では自分が一番偉いと思っているらしい。撮影を続けるのは構わないが、出来れば長らくのご逗留は遠慮して欲しいものだ。何かがあって、本名がバレたらと思うと気が気じゃない。
「これは伏せて頂きたいのですが、親王殿下のご体調が思わなしくないので、ヘリを呼んであります。直に別荘横のテニスコートに到着する予定です。」
良かった。帰られるようだ。それなら、心配することはないわね。
そのときだった。
外でドーンという大きな音がした。とうとう雷が鳴りだしたらしい。この台風の中、ヘリコプターを操縦する人も大変だ。
「大変です。ヘリが・・・ヘリが・・・。」
スタッフがまたもや駆け込んできて、呼吸を整えるのも惜しいのか喋ろうとするが上手く言葉が出ないようだ。
「ヘリコプターが到着したのか?」
「違います。ヘリコプターが雑木林に引っかかり不時着しました。」
「乗員は大丈夫なんですか?」
思わず私は口を挟んでしまう。この過疎の村には医者が居ないのである。もし大怪我を負っていたとしても誰も助けられない。ここで私が治療行為をしてしまうと医師法違反になり、国家試験の受験資格を失ってしまう。
精々出来るのは応急処置くらいだ。
「はい。擦り傷だけで乗員は無事です。」
「良かった。」
*
降りしきる雨の中、撮影隊の救急箱を持ち、墜落現場に到着すると「警察庁」と大きく書かれたヘリコプターが横倒しになっており、ヘリの羽が折れ曲がっているのが見えた。
「大丈夫ですか?」
「はっ本官は大丈夫であります。」
ヘリの操縦士と思われる男性は元気なようだが、しきりにヘリの無線に向かって呼びかけている。
「八條首席。申し訳ありません。次のヘリコプターを手配しておりますが、何分悪天候のため、飛べるものがおりません。つきましては自衛隊の応援を頼んでは如何でしょうか?」
「馬鹿いえ! 皇族が自衛隊を使ってみろ、諸外国からどんな言いがかりをつけられるか分からんのだぞ。」
「はっ。考えが至らず申し訳ありません。至急手配しますのでもう少しお待ちください。」




