第8話 彼女は演技指導をさせられる
「何ですか。さっきから気持ち悪いなあ。」
映画の撮影スタジオから私の自宅に向かっているのだが、『マキ』さんが運転しながら、ずっと笑っているのである。
「ふふふ。だって私に騎士が居るって、こんなにも心地いいものだったのね。私も『お姉さまと呼びたいな。』って言ったら怒るよね。」
「別に構いませんよ。流石に『お菓子屋』さんが呼びたいと言い出したら、全力で拒否しますけどね。」
今さらだ。あきえちゃんは初めからだし、『中田』さんを弟のように扱っても喜んでいるようだし、そこに『中田』さんよりも若い『マキ』さんが加わるだけなのだ。
「そうね。なんと言っても女神さまだものね。」
「あんなのあの場限りですよ。『人前で呼んだら殴る。』って言っておいてください。」
*
それから、3年の月日が流れた。
スギヤマ監督の映画は準主役クラスの交代でおよそ半年を掛けて脚本を作り直し、撮影期間は2年を越えていた。それというのも私のスケジュールに合った撮影スケジュールだったからだ。
表立って誰からも文句が出なかったのは、スギヤマ監督の鶴の一声と主役である『台地マキ』さんが率先してスケジュール調整してくれたから、他の共演者が文句をつけられなかったようだ。
その合間を縫って撮影され、私が主演した『一条ゆり』監督作もさらに2作品公開され、毎回興行収入を上回ったのは、私がスギヤマ監督作品の準主役に抜擢されたと公表されたからだと思われる。
今、そのスギヤマ監督作品もあとわずかなシーンを残すのみとなっていた。
この作品は、『台地マキ』さん演じる主人公と私が演じる医者が、ひとりの男性を取り合うという愛憎劇である。
変更前の脚本では初めから対立する女が描かれていたが、変更後の脚本には親友同士となりお互いに相手を傷つけたくないという葛藤が描かれていた。
最後のシーンはロケ現場での撮影だ。
主人公の出生の秘密を暴くため、田舎の町医者のお宅に3人で訪れるところから場面は始まる。昭和初期に華族によって建設された別荘は山奥の過疎の村には似つかわしく無いほど立派な建物だった
「監督。この医療機器本物じゃないですか。しかも、かなり使い込まれている。どうしたんですか? これ。」
「君の大学で埃をかぶっていたのを借りてきたんだ。十分使えると聞いているぞ。」
既に町医者は亡くなっており、台風で足留めをくらった私たちだったが、この場所で『台地マキ』さん演じる主人公が虫垂炎を発症し、放置しようとした私を男が拳銃で脅し無理矢理、手術を行わせるというストーリーなのだ。
だからなのか本当に台風が本土を直撃するときを選んでロケ現場にやってきている。それなのに窓際でのシーンでは雨が映像に出にくいという理由で台風の中、映画のスタッフが外で放水している。ご苦労なことだ。余程、皆さん映画が好きなんだろう。私にはできないわ。
リアリティーを求めるあまり監督は医療機器の本物を借りてきたようだ。手術台や内視鏡手術のための液晶ディスプレイ。点滴台や心電図は小道具と取り換えられているが、隣の部屋にはレントゲン装置まで置いてある。これだけの機器があったら、ここで開業できそうだ。
「またですか。監督がうちの学長にストーリーを話したお陰で一体何例の虫垂炎の手術に立ち会わされたと思っているのですか。夜中に叩き起こされるなんて経験、現役の医者でも滅多に無いですよ。」
発症したばかりのものから今回のストーリーのように腹膜炎を併発しているものまで、ありとあらゆる状況の虫垂炎の問診と触診を行ない、手術に立会い開いた中を見せられるのである。腹膜炎を併発して癒着しているものなんて酷い状況だった。
「度々眠そうな顔でスタジオに現われたのはその所為か。まあいいじゃないか。」
監督がそういうんだったらいいんだけどね。その所為で撮影に掛かるまでに時間が取られて撮影が遅れることもあったんだから。
まあ、そのお陰で死にたてホヤホヤの解剖用に提供頂いた人体のお腹をメスで開く役目は真っ先に私のところへ回ってきたから得したといえば得したのだが。あまり嬉しく無いのは気のせいだろうか。
「それにしても都内の病院に入院した彼女のカルテを読んで、珍しい血液型だったからと異母姉妹を疑うだなんて短絡すぎませんかRH-AB型なんて2000人に1人と言われてますので結構居ますよ。現に私は大学病院で3人に血液を提供してます。」
それに裕也も同じ血液型なんだよね。まあ大学付属病院にはそういう人間が集まりやすいだけなのかもしれないけど。
*
「違います。」
『カァット。』
「すみません。そうじゃなくてですね。腹膜炎は常に痛くてお腹を押して離したときに強烈な痛みが襲ってくるんです。」
何故か演技をしながら演技指導をさせられている。虫垂炎が進行し腹膜炎になるとお腹が常に痛くて、医者がお腹を押さえ離した瞬間により強烈な痛みが襲ってくるのだという。
『台地マキ』さんも監督もスタッフも腹膜炎を患ったことがなく、誰も腹膜炎の患者さんを見たことが無いというので、私が見た患者さんを言葉で伝えようとしているのだが上手く伝わらない。
監督はニコニコと聞いているだけで何も口をだそうとしない。どうやら、初めから私に任せるつもりだったようだ。
「監督すみません。お客様です。」
演技指導の最中にスタッフが足早に駆け込んできた。
「何だ! 撮影中だぞ。総理大臣が来ても通すな。って言ってあったろうが。」
「あの、それがですね。内閣総理大臣のそのまた上の綾仁親王殿下がいらっしゃっています。」
「親王殿下がなんだ! 撮影現場では俺様が一番偉・・・・・・殿下って皇族のか・・・早くお通ししろ。」




