第7話 彼女は何かをブツブツと呟いた
「すみません監督。お先に失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」
もう夜中の10時だ。これ以上、付き合っていたら明日の授業の予習ができないじゃない。
今日のスタジオ撮影で私の分がアップする予定だったのだけど、1つ前の撮影が延びに延びてしまっていたのだ。
「ああ。そうだな。次に参加できる日を伝えてくれ。こちらで調整するよ。」
監督は優しい人だった。『マキ』さんが言うような厳しさは殆どなく。あの男とは違い傲慢さの欠片も無い人物だった。ただ一つ撮影方法を除いては。
「自分勝手な人ね。もう少しくらい待ちなさいよ。貴女との絡むシーンをなんで、こちらでスケジュール調整しなきゃいけないのよ。」
またもや『西園寺れいあ』が噛み付いてくる。例の件を余程恨んでいるらしい。
「自分勝手は貴女のほうでしょ『西園寺』さん。いったい何回NGを出せば気が済むの。『西九条れいな』さんは5時間も待っているのよ。」
まあその度に『マキ』さんが庇ってくださるんだけど、火に油を注ぐ結果になってしまう。なんかワザとやっているんじゃないかという気がする。
「何よ。今度は『台地マキ』さんと寝たの。この映画にはそんな話題性は要らないんだけど。」
この女、『マキ』さんにまでケンカを売るようなことを。まあ私を敵に回した時点で『マキ』さんは怒っていたけどね。
私の映画のヒットは『恋多き女』の話題性によるものだと思っているのだ。まあ確かにそうだから何も言えないな。
「そんなわけないでしょ。『マキ』さんも私もノーマルよ。」
ここだけはシッカリと言っておかなきゃね。
「もうなんでこんなに長いのよ。このセリフ。」
およそ3分に渡る長セリフがNG連発の原因だ。この監督の作品の主役や準主役クラスには必ず用意されていて、それが見せ場になっているらしい。他の監督の作品だとカメラの角度を変えて、何分割かするシーンでも一気に撮影するのである。
その方針だけはスポンサーだろうと誰だろうと何といわれようとも変更したことが無いそうだ。
「それは貴女も知っていてこの作品に参加したんでしょ。ならさっさと終わらせなさいよ。待っているのは私も同じなのよ。」
「だって準主役クラスは長くても1分30秒くらいだったはず、それを突然3分だなんて長すぎるわ。」
グチグチ言っても仕方が無いでしょうに全くもう。
「それは最近の傾向であって、昔は端役でも3分くらいあったわよ。知らないの?」
「『西園寺』さん、もう1回だけ待つわ。それでお願いね。」
仕方が無い。もう少し待つか。
「『西九条れいな』。じゃあ貴女が代わりに演りなさいよ。出来もしないのに勝手なことを言わないで。」
とうとう呼び捨てか。まあいいけど。
「嫌よ。なんでそんなことをしなきゃいけないの。」
そんなことをしても誰も得をしない。わざわざする意味がない。
「まあ出来ないわよね。貴女が主演した映画のセリフなんて10秒が精々ですものね。」
確かに私が主演した『あかねさす白い花』では登場シーンはごく僅かでセリフも10秒くらいしかない。
だけどいったい何回私の映画を見ているんだろうこのひと。普通1回見ただけでは、そこまで分からないと思うんだけど。私の第1作目はまだメディア化されて無いし、一部映画館でしか見られないのに・・・そんな暇があれば、もっと頑張ってセリフを覚えればいいのに。
「『西園寺』くん。言ってはならぬことを言ったな。」
突然、スギヤマ監督が立ち上がる。彼女の言葉の何かが彼の琴線に触れたらしい。
「では『西九条』くんがこのセリフを間違えずに言えたならば、役を降りてもらおうか。もちろん、替わりに『西九条』くんにこの役をやってもらう。」
「ちょっと待ってください。準主役クラスを初めからやり直せる時間がありません。」
「何よ。もうこの役を貰ったつもりなの。笑わせないで。いいわテイク10までに彼女が間違えずに言えたなら、この役を降ります。その代わりテイク20を越えるようならば、彼女を降ろしてください。」
それはいい案だわ。さっさと間違えてこの映画からオサラバしてしまえばいいのよね。そうすれば『西園寺』さんにも恨まれなくなる。
「わかった。彼女がテイク10を越えるようならば、セリフの長さを脚本家と考えなおそうじゃないか。『西九条』くん、私の名誉のためにやってくれんか。」
ちょ。ちょっと待った!
その方針は誰に何を言われても曲げないのが監督の信条なんでしょう?
それじゃあ、ワザと間違えられないじゃない。
「そうよ。あれだけ馬鹿にされた私の名誉のためにもやってちょうだい。」
絶妙なタイミングで『マキ』さんが口を挟んでくる。そうだった。彼女の名誉のためにも間違えられないのか。なんてこった。
「だから時間が・・・。」
「『西九条』くん。時間は大丈夫だ。撮影期間は幾らでも延ばせる。スポンサーからも納得のいくものを作ってほしいと言われておるからな。」
そして、最後の逃げ道まで塞がれてしまった。
*
「すみません『マキ』さん。最後の1分ほどのセリフの見本を見せて貰えませんでしょうか。『マキ』さんの解釈で構わないので感情を乗せてもらって。」
とにかく、この場はさっさと終わらせてしまおう。後のことは後で考えればいいよね。とにかく明日の授業の予習をする時間を作るため、最短距離を狙うことにする。
「えっ! そこまで覚えているの?」
この間、勉強した医師法なんて改正につぐ改正で物凄く歯抜けになっているは、附則が付いているはで丸暗記するしか無かった。あれに比べればこのくらいの長セリフを暗記することなんて簡単なのよね。
それにセリフに感情の色付けをしたほうが覚えやすい。その時々の感情で使うセリフなんて決まっているもの。その人物の性格とかまで掴めれば、その感情に乗せて喋るだけでいいんだけど。流石にそこまで掘り下げる時間はない。
「ええまあ。流石に17回も同じシーンを見れば覚えてしまいますね。」
『西園寺』さんも初めの数回こそ前半で躓いていたけど、10回以上は最後の1分で躓いていたのよね。流石にあの長ゼリフにどんな感情を込めるかまで考えていたのでは何時間あっても足りない。とにかく今日のところは彼女とマキさんのセリフ・感情をコピーさせてもらうしかない。
*
「嘘よ。なんで淀みなく、あの長ゼリフが演じられるのよ。しかも、私が演じたセリフ回しから、動きや表情何から何まで同じように演じるなんて、しかも1回見ただけの『台地マキ』さんの演技まで。」
『西園寺』さんが座り込んでなにやらブツブツと言っている。
「監督。今日はこれで終わりということでいいですよね。じゃあ帰りましょう。『マキ』さん送っていってくださいね。」
今日はアッシーをしてくれる男共が居ない。元々撮影が順調だったなら、私の出演シーンがアップしたお祝いに彼女と何処かのレストランで食事をする予定だったのだ。彼女の名誉も守ったんだから、これくらい要求しても構わないよね。




