第3話 そして誰が不幸になったのか
「わしは貴女の大ファンでして、是非とも色紙にサインを貰えんかな。」
話には聞いたことがある。国家公務員のキャリアとして位を上り詰めるとその地位を利用して、会った有名人からサインをねだる人間が良く居るということを。
しかし、私みたいなポッと出の新人女優のサインまで欲しいものなのだろうか。これはきっと社交辞令だよね。誰からも貰っていれば、警視庁に有名人が現われたら誰かしら報告してくれる人間が居るのだろう。
「ええ。構いませんわ。」
私が了解の返事を出すとおずおずと色紙と名前ペンが出てくる。
「実はネットで映画評論家のようなことをしておって、ペンネームがカタカナで『トシゾウ』というんじゃよ。だから、宛名は『トシゾウ』でお願いする。」
映画評論家の『トシゾウ』って有名人じゃ・・・。彼の歯に衣を着せぬ評論は有名だ。しかも太鼓持ち記事が全く無く、映画会社に関係無くある意味平等な評論記事なのだ。
なるほど。警視総監なら何処からもヒモ付きにならないわけだ。だけど、ネット記事を投稿することで入ってくる広告収入は副業には当たらないのか?
まあそんな細かいことはどうでもいいか。警視総監なんて職は将来、警察庁管轄の財団法人しか行き先が無いのだ。警察庁長官なら将来議員の可能性はあるが出世街道から外れた警視総監では近年議員に成り上がった人物は全くいないらしい。
私が色紙にサインをしているとそこに駆け込んできた人間が居た。もちろん、捜査員じゃない。プロデューサー『一条ゆり』と芸能事務所の社長である。
「ごめんなさいね。私があんな男を監督に選んでしまったがために、こんなめにあわせてしまった。」
そう言ってプロデューサーは抱きついてくる。最近、何故か愛情表現過多なんだよね。まあ母親に抱かれているみたいで安心できるのだけど。
「大丈夫。何もされていないから。」
アダルトビデオに出演させられたら、どうなっていただろう。世間に顔向けできないから女優は辞めていただろう。それは問題無い。
経口避妊薬は常に飲んでいるから妊娠の可能性は無いが病気が恐いな。下手な病気を移されていたら、医者になる夢も断念せざるを得ないに違いない。和重ともお別れである。そう思うとゾッとする。
私は書き終えたサイン色紙を警視総監に渡す。
「ありがとう。こちらさんは何方かな? よく似ておいでだからお母様でしょうか。」
あれっ。イチユリストじゃないのか。いくら昔の映画のファンだからと言って、今の彼女の顔を知らないということはないだろう。
「こちらは私のプロデューサー兼女優の『一条ゆり』です。この男性は警視総監で映画評論家でもある『サイゾウ』さんです。」
私はそのまま彼女を紹介する。
「あああの。すみませんね。私は古い映画はあまり見ないもので、ですが貴女のファンだという友達から、彼女の主演作を勧められたんですよ。彼女の演技は素晴らしいですな。」
何故か彼女の顔が青ざめる。どうしたんだろう。
「あ、あのう。今日の彼女の事情聴取は終わったのでしょうか。できればすぐに引き取って返りたいのですが・・・。」
「そうですな。お疲れのところお引止めして申し訳ない。なあ、もういいんだろ。」
最後にずっと直立不動で立っていた課長さんに聞いている。問題ないみたいだ。
「あの男たちについてはお任せください。生涯、刑務所から出られないように検察庁に圧力を掛けますのでご安心ください。」
いいのかそれ。誘拐罪と傷害罪だけで刑期がそんなに延びるものなのだろうか?
そうだ。
「あ、あの。他にも映画でオファーした人を騙したみたいなことを言っていたんですが・・・。」
さらに余罪があれば、もっと刑期は延びるだろう。あんな男は一生刑務所から出てきてほしくない。他に被害を受けた女性たちが居たら、そう思っているに違いない。
「本当ですかな。それは好都合。即刻、調べ上げてやります。」
その後、余罪がわんさと出てきたらしい。あの男は裏でアダルトビデオの監督もしていたようで、『有名女優○○さん酷似』というタイトルで本人のアダルトビデオを発売していたことが分かったのだ。
幸いにもうちの芸能事務所に所属する女優さんは関わって居なかったが、次々と協力して収入を得ていた監督たちが逮捕され、それにつれ被害を受けアダルトビデオに出演させられた女優の名前も多くあがってくるという芸能界を震撼させる事件へと発展していったのである。
その女優たちの大半が口を噤んでいるが、名前が出ただけでも衝撃だ。さらに涙ながらに僅かなお金を掴まされ泣き寝入りをしてしまったという女優が記者会見を行ない、世間の同情を一身に集めている。




