第1話 男は何故誘拐を企てたのか
「これじゃあ。俺、誘拐犯じゃねえか。どうしてくれんだよ!」
いや。どう考えても誘拐犯だから。
今、私は白いバンに乗せられている。突然、白いバンが路肩に横付けされたと思ったら、男が数人出てきて引きずりこまれたのだ。そして、何か分からない書類に署名させられた上で、朱肉を指に付けられ書類に押させられた。
目の前には、映画監督だった男『観奇谷鬼好』が居る。
私の顔はこの男に引っ叩かれボンボンに腫れあがっている。これまでの腹いせなのだという。大して抵抗しなかったというのにこれなんだから、抵抗していたらと思うとゾッとする。
この間、およそ30分ほどだったのだが、いつの間にか後方にパトカーが現れ、追ってきているのだ。男たちはパニックになりながらも高速道路の料金所を突き破り、東名高速道路を南下している。
「ただお前でアダルトビデオを撮って売れば、お前の間違った評判なんざ一発で地に落ちるだろうし。そうすればこの俺も映画業界へ復帰できると思っていたっていうのに、くそっどうしてこうなったんだ。」
さっきの署名捺印させられた書類はアダルトビデオの出演承諾の書類だったわけなのね。私の評判なんて第2作目が公開されれば下がっていくだろうから、こんな面倒なことをしなくてもいいのに。
でも私のアダルトビデオ出演と映画業界復帰の話は関係無いだろう。この男の映画に出たいという俳優が居ないのだ。どう考えても無理。
「そもそも、お前が1億円のオファーを蹴ったのが悪い。この俺が大枚払って名前を出さずに密かにプロデュースした映画の主演のオファーを出してやったというのに、蹴りやがって! あれでどれだけの無駄金を使ったか。大抵の女は簡単に引っ掛かると言うのに。」
あの1億円の映画のオファーは、この男の罠だったらしい。
「仕方が無いでしょ。私にとってプロデューサーの言うことは絶対よ。その彼女が止めておけと言うんですもの。受けるはずが無いわ。」
まあ、プロデューサーがOKを出したとしても、医大の勉強が忙しくて長期間拘束される映画なんて出ている暇なんて全く無かったけどね。
そもそも、この男のせいで第1作目は撮り直しになり10日間以上無駄になったのよね。休みの間にやるつもりだった勉強ができなかったのよ。あれから挽回するのにどれだけの睡眠時間が削られたと思っているの。ふつふつと怒りが湧いてくる。
「そもそも、貴方が『ベティー』をイジメるから悪いんでしょ。下手な日本人よりもずっと綺麗な日本語だったじゃない。なんであんなことをするのよ。」
「外国人女性なんて糞食らえだ。ここは日本だ。女優をやりたかったら、自分の国に帰ったらいいんだ。」
「何を言っているの? 彼女は日本人でしょ。日本人の父親とタイ人の母親を持つというだけで日本国籍なのよ。」
女優『ベティー』はタイ生まれでタイのコミュニティーにも属しているが、商社マンの父親とタイの有名な歌手の母親が正式な夫婦となり、生まれてきた子供である。
大したコネもない日本の芸能界で活躍できるだけの才能を母親から受け継いできたのだろう。まあ、『一条ゆり』を脅迫したことは褒められたことじゃないが。
「それでもだ。俺はハーフって奴が嫌いなんだ。アイツらは半分日本人だというだけで、我が物顔で日本に居座りやがって! いったいどれだけ増えてくるってんだ。」
結局、好き嫌いの話だったらしい。でも、この監督のプロフィールに東南アジア各国を流浪した記述があったような・・・。
「それは、貴方たちみたいな男が子種を撒き散らしてくるからでしょ。」
「撒き散らしてねえよ。なのに二言目には『妊娠した金をくれ。』だ。生まれた子供は俺に似てねえし、生まれ月も2ヶ月くらい早い。アイツら嘘ばっかりだ。」
流浪最中に現地の女性に何度か騙されたらしい。女性も必死だったのだろう。まあその女性と関係があったのは確かなんだから自業自得だ。
そのとき車が急停止をした。
周囲を見ると他の車は全く居ない。前方には警察の検問だ。
『お前たちは包囲されている! 素直に車から出てこい!!』
後方のパトカーからお決まりの文句が聞こえてくる。
*
「大丈夫だったか?」
結局、そのまま彼らは投降した。抵抗しようにも彼らは刃物さえも持っていなかったからだ。本当にアダルトビデオの撮影現場に連れて行くだけのつもりだったようだ。
「和重。なんで?」
パトカーの更に後方から例の黒塗りのハイヤーが現われ、和重が降りてきた。
「なんでってお前・・・そのう。」
ははん。
「そっか。このところ良く見た女性のストーカーさんは和重の秘書だったわけね。道理で何処かで見た顔だと思った。」
初め誘拐犯の仲間だったのかと思ったがバンには全く女性の姿は無かった。まあ、あんな上品そうな女性が誘拐犯の仲間とは思えないけど。
七星映画の玄関口で1回見た限りだったから、覚えていなくても仕方が無いよね。




