第10話 彼女は何故最後にキレたのか
『カット! カット! NGだ。』
「何度言ったら分かるんだ。猿真似は止めろって言っただろ! この映画を潰す気か!」
『西九条れいな』初主演の映画『あかねさす白い花』は7月にクランクインを果たし、私の夏休みに合わせて10月公開に向けて急ピッチで撮影されているところである。
今、ここで声を荒げているのは『観奇谷鬼好』という映画監督だ。舞台の演出家上がりの彼はヒットメーカーとして知られ、大ヒットした作品は無いものの、彼が撮影すれば必ずヒットしているらしい。
ここまで私の撮影は順調だった。およそ半分の工程が既に過ぎていた。もちろん彼が言う通り、私は女優『一条ゆり』のコピーの演技を続けていたのだが、突然彼の態度が豹変したのである。
理由は分かっている。
準主役クラスに抜擢された女優『ベティー』が絡むシーンの撮影が開始された途端、彼が『ベティー』を罵倒し始めたのである。
アクセントもイントネーションも関心する程完璧な日本語なのに、『これだから外タレは』を連発し始めたのである。
慌てて芸能事務所の社長が調べたところ、過去に彼の映画のスタッフロールに載った外国人俳優が全く居ないことが分かった。さらに調べを進めていくと彼が監督した作品に出演した新人女優や外国人俳優の大半が彼のイジメによって泣く泣く辞めさせられていたのだ。
つまり、彼の映画のこれまでのヒットは新人俳優や外国人俳優を使うという博打をやらずに映画の質を一定以上に保つことで成しえてきたのであろう。ある意味正論なのだろう。
だがこれに困惑したのは、プロデューサー『一条ゆり』だ。そもそも、私をプロデュースして映画を撮影するに至った動機は、タイと日本人のハーフ女優『ベティー』のプロデュースを世間に不審に思われずやりとげるためである。
つまり、女優『ベティー』を外すことは主演である私を外すこと以上に有り得ないことだったのである。当然、プロデューサーと私は彼女を庇うことになった。
女優『ベティー』が絡むシーンは助監督に任せるというプロデューサーの鶴の一声により、生贄を失った監督は、その矛先を私に向けてきたのである。主演女優とはいえ、登場シーンの少ない私を外すことなど容易いと考えているようだ。
私は当然、彼の言葉を無視する。この程度の罵声は、認天堂医大付属病院の控え室に居たヤクザたちに比べれば屁でも無い。
それに私にはこの演技しかできないのだ。既に頭の中にイメージが出来上がっているものを覆すことなど容易じゃない。
*
撮影が進まなくなって3日、先にキレたのは監督のほうだった。
「ダメだと言っているだろう。この耳は飾り物か!」
そう言って私の耳を引っ張る。痛い。僅かに耳が切れたようだ。余りの痛みに倒れこんだ振りをした私に向かって、監督は蹴りを入れ始める。
「お前みたいな新人女優なんか。代わりなんか幾らでもいるんだ。辞めてしまえ!」
これまで多少手を上げられることはあっても、私が倒れこめば暴力の手を止めていた監督が切れて本気で暴力を振るい始めたのである。
私は身体を丸め、痛みに耐える。そして暴力が止まった途端、監督に向かって無表情な顔を向ける。
「なんだその顔は! この俺に反抗しようというのか!! このあばずれ女が。俺が動けば芸能界から追放することも容易いんだぞ!!!」
監督はそのまま、私の頭を踏みつけてくる。
私はチラリと和重のほうに顔を向ける。手でOKマークを作っている。どうやら、上手くいったようだ。
監督のこれまでの行いからして、いつかは本格的な暴力が始まると思っていた私は和重に頼み、スマートフォンで一部始終を撮ってヨウツブにアップしてもらったのである。もちろん、私の単独行動だ。芸能事務所にもプロデューサーにも告げていない。
それから、しばらくして監督に1本の電話が掛かってくる。彼の所属する映画の配給会社である。
和重から『お菓子屋十万石』に連絡が行き、騒ぎ立てるようにお願いしている。彼がSNSで呟いた途端に彼を尊敬する芸能人たちが反応する。そして、あっという間にネットニュースになり、テレビ局が取り上げることになる。
「お前! 何をしやがった!!」
「何をって。貴方がしたこと一部始終を世間に知って貰っただけですよ。ちなみに貴方の行なった暴力行為を告訴する用意もあります。」
「貴様! そんなことをしてどうなるか分かっているのか?」
「芸能界から抹殺ですか? お好きにどうぞ!」
そもそも、この映画出演だけで引退するつもりだったのである。この男が本気で潰しに掛かってきても痛くも痒くも無い。
「きっさまー!!」
よし。この場で更に暴力行為に及べば多大なダメージを食らうことになるのは彼のほうだったのだが・・・。
「お待ちなさい!」
そこに凛とした声が響く。プロデューサー『一条ゆり』である。これまでダンマリを決め込んできた彼女が動いた。
「プロデューサー。こんな生意気な女はクビだろ。クビにしろ!」
「クビになるのは貴方のほうですわ。この映画に貴方のような監督は必要ありません! 即刻出て行ってください!!」
あちゃー。失敗した。
私は相手を怒らせ暴力を振るわせることで世間の評価を下げ、向こうが監督を辞めると言い出すのを待っていたのだが、プロデューサーが先にキレてしまったようである。
これでは、怒りの矛先が『一条ゆり』に向かってしまい。更に裕也のことを持ち出して個人攻撃を加えてくるに違いないからだ。
「それでいいのだな。このヒットメーカーたるこの俺を外せば、この映画は必ず失敗するぞ。」
「警備員。この男を排除して!」




