閑話 1時間ドラマ「無表情な女医」
女優『一条ゆり』に聞いたところ、映画は撮る順番がバラバラで決まってないがテレビドラマは出来るだけ筋がきに沿って撮影されるらしい。
まずは、冒頭の過激なシーンからだ。過激と言っても脱ぐわけじゃない。
私の役どころは外来救急の女医。全身緑色の手術着にマスク、透明なサングラスをしている。カメラは遠くから撮っており、私がメスを構えると徐々にカメラが寄ってくる。
腕の動きからメスが動かされたとわかるように大げさに動かした途端、私のサングラスに血糊が真一文字に吹き付けられた。
私は無表情に手で押さえつける演技をすると噴出した血糊がサングラスの途中で止まる。これで冒頭にシーンが終わりである。
同僚の医師を演じる俳優が嘲りの表情を浮かべる。二枚目俳優なのにこういう表情が得意分野だという俳優さんは多い。清濁の両方が出来てこそ一人前なのだろう。
「全く動揺無しかよ。少しは女性らしく悲鳴でもあげてみろよ。」
私は無表情のままで視線を逸らすとそのまま処置室を出て行く。
控え室で手術着を脱いでいくと画面にタイトル、俳優、脚本家などのスタッフロールと共にテーマ曲が流れるはずである。本来は手術着を脱げば下着姿なのだが、ドラマの都合上白衣を着ている。
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CMが終了後、病院の玄関先で私に対して、お礼の言葉を言い頭を下げる老夫婦の姿。
本当に仲が良さそうな夫婦役の俳優さんたちで私生活でもおしどり夫婦として業界では有名らしい。羨ましい限りである。
そして、頭を下げるその姿を見て微かに微笑む私。医者になれば、こういう光景を幾度となく目にすることになって幸せな気分に浸れるはずである。
カメラがぐっと引き、その姿を見る同僚の医師の姿が映し出される。だが、同僚からは私の表情を読み取れない角度になっていて悔しそうな顔で見つめている。
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このあと当分出番が無いがスタジオの隅やロケに同行して撮影に付いていく。本当には帰って授業の予習をしたいのだが、それも出演料に含まれていると芸術事務所の社長に言われているのである。
その同僚がネチネチと嫌味を言うシーン。病院内の看護師がその場では私を庇いつつも裏で悪口を言っていたりするシーンが続く。
嫌味を言った同僚が他の同僚の医師と酒を酌み交わす。そこで私の無表情をネタにして盛り上がるふたりのシーンが挟まれ、次にベロンベロンに酔った同僚がヨタヨタと繁華街を歩くシーンが台本に書き込まれている。
まあ実際に救急医はこんなにベロンベロンには酔えない。大規模災害時に対応できるように1時間以内に酔いが醒める程度の量しか呑まないようにしているはずである。
そこに現れるのは、ヤクザ風の男を演じる俳優。誰が見てもヤクザにしか見えない俳優は貴重な存在らしい。ヤクザ映画では敵役の準主役クラスを演じれる技量を持っているらしいが、いかんせんヤクザ映画自体がごくわずかなのでこういう役を演じれる俳優が育たないらしい。
ヤッパを持ち、訳のわからない言葉を叫ぶ。ヤクで気がふれた振りをしている熱演ものだ。
周囲のモブは悲鳴を上げて逃げる。足ががくがくと震えている医師の腹に『ズブリ』と効果音。もちろん、刃物で腹を刺しても音はしない。
倒れた医師の腹にはヤッパが突き刺さり、女性の悲鳴が鳴り響く。そこに救急車のサイレンが重なり、私が勤める病院名が書かれた建物に到着する。
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麻酔が覚め、ベッドから起き上がる医師。普通、大怪我をすればいろんなチューブでがんじがらめにされるはずだが、まるで虫垂炎のような簡単な手術の後のような状態である。
そこに私が入っていって一言。
「よかったですね。内臓は傷付いていませんでしたよ。」
微かに微笑む。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
『カットー。』
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「あーあ。どうしちゃったんだ。テイク16いけるかい。それとも休憩挟んだほうがいいのかな?」
さっきからNGが連発しだした。ドラマの撮影では1度NGが起きると何度も連発するというのは良く聞く話だ。だが、監督さんが言うには、同僚の医師を演じる俳優さんがここまで連発したことを見たことはないらしい。
そう私がNGを連発させているわけではなく。もう中堅の領域に入りつつある彼が私の笑顔を見た瞬間に真っ赤になってしまってセリフが出てこないらしい。これはイチユリストと同じ反応だ。
目の前でガックリと項垂れる彼にイチユリストですか? とも聞けない。どうしたら、いいのだろう。
「・・・すまない。」
ようやく、顔の火照りが治まった彼が私に対して謝る。
「大丈夫ですよ。お気になさらずに私も沢山NG出しましたし。」
そう言って彼に微笑み返す。
・・・しまった。先ほどのシーンと同じ微笑になったらしく。彼が再び真っ赤になる。
「あ、あのう。笑顔の種類を変えてみましょうか。私を撮っているカメラはNG分を使ってもらえばいいじゃないでしょうか?」
先輩俳優に向かってこんなことを言うのは失礼かなと思ったがこれ以上長引かれたら明日の授業に響いてしまう。
「うんうん。もうそれでいいんじゃないかな。」
監督さんもなげやりだ。スタジオの雰囲気も悪くなってきている。
「面目ない。」
彼が了承してくれたので私は『一条ゆり』主演映画で使えそうな微笑を頭の中でピックアップを開始する。5つくらいかな使えそうなのは・・・。
「少しこの場で演じてみますね。監督さん、合図をお願いします。」
『スタート。』
「・・・・・・・だめだ。」
『カットー。』
これが延々と続く。仕方が無いので自分で作った笑顔を最後に持ってきたところ、なんとか彼は真っ赤にならずに済んだ。『一条ゆり』おそるべし。
「すざまじい破壊力だな。君の笑顔は。」




