第8話 救急医のセンセーは確信犯
『はい。カットー。一発終了です。』
「ゴメンゴメン。大丈夫だった?」
月9ドラマの収録が行なわれている。私は医師免許取れたての救急医という設定である。本物の医者なら臨床研修医からスタートのはずだが、そんな設定はすっ飛ばされている。具体的な年齢が出ていないから、そこのところは完了している設定なのだろう。
今は動脈瘤破裂の患者に向かってメスを入れたシーンだった。噴出した血が執刀医の顔を真一文字に横切るという過激なところだ。普通の人間なら、避けるところをこの主人公は無表情に受け止め、執刀を続け、間一髪で患者を助けたということらしい。
「よかったよ。その美しい顔が血に染まっても微動だにせず無表情のところがとってもよかった。」
どうやら、バラエティー番組で『男性の欲望』について答えた際に無表情だったことがドラマの主役に抜擢された原因らしい。まああのときは、その場のスタッフ全員を軽蔑していたから愛想笑いを忘れただけだが。
「ありがとうございます。」
私はにっこりと満面の笑みを浮かべて、このドラマのプロデューサー兼監督に応対する。愛想笑いも板についてきた。
「その笑顔もいいな。」
両親を一度に交通事故で亡くした主人公は表情を失うが、救急外来で運ばれてきた患者が元気な姿で帰っていくのを見るたび、少しずつ笑顔を取り戻し、その無表情にケチをつけていた男性の同僚の心を鷲掴みにするらしい。
おそらく、それも女優『一条ゆり』主演の映画のシーンからピックアップすればなんとかなりそうである。
*
「こちらは、今回のドラマの監修兼脚本をして頂いている『寺島浩』先生です。」
「あっ。先生。」
目の前に立っていたのは認天堂医大付属病院の救急外来で私たちの課外授業を担当してくれた医師である。
「ようイケイケじゃないか。『西九条れいな』ってお前のことなんだな。」
「お知り合い?」
監督の顔が疑問形だ。
「ああ、うちの医大生さ。課外授業とかで見学しに来たんだよな。コイツって、あの『お菓子屋十万石』をアッシーにして現れたんだよ。しかも彼の趣味なのかすげーイケイケな格好で。」
「ホンモノの医大生だったんだ。それでイケイケ?」
おいおい。今までいったいどう思っていたのよ。笑顔を貼り付けたまま、心の中だけで毒づいておく。
「センセーも業界人だったんですね。なおさら、イケイケは無いでしょう。」
「悪いな変なあだ名をつけて。でもアッチの顔は只のオヤジなんだ。脚本家をやってるなんて誰も知らねーよ。」
「副業ですか。悪い人ですね。確か付属病院は副業禁止のはずじゃないですか。」
「副業なんて誰でもやってるじゃないか。」
「それは、他の病院の夜勤とかでしょ。あれは黙認されているだけで、今日の脚本なんかモロ実話でしょう?」
「そうだよ。わりーか。さっきやったシーンな、事前にお前で確かめたんだけどよ。あれって横に飛ばねえのな。だから監督に言ったんだけど。変えねえのよ。」
「それはそうですよ。真一文字のほうが格好いいじゃないですか。」
監督が口を挟む。
「そういう問題かよ。監修は俺だぞ、ゼッタイに突っ込む医者のひとりやふたり出てくるぞ。だから、脚本家だなんて誰にも言えねーんだ。」
「やっぱり、ワザとだったんだ。というか、患者で試してどうするんですか。下手したら死んでますよ。」
「いいじゃねえか。ヤクザだったし。折角助かったってのに抗争で組が全滅だと聞いたら、真っ青になってたよ。そういえば、あのヤクザたち、どうやって追い返したんだ?」
「さあ。私が顔を出したら、なんか勝手にアネさん呼ばわりされて、盛り上がってましたよ。そしたら、すぐにいなくなったんです。」
まさかヤクザの情婦にピンチヒッターを頼まれましたなんて言えないよね。
「それだ! 助かったヤクザへ死んだ構成員から、死んだはずの奥さんの目撃情報のメールが入っていたらしいんだよ。すげー怯えていた。おかしいと思ったから事情を聞きにきた警察には伝えておいたよ。」
そういえばニュースであの女性の死因に不審な点があるとか言ってたな。もしかして、抗争に見せかけた夫婦喧嘩だったのだろうか。
「それにしても、ヤクザを追い返す役なんて酷く無いですか?」
「何だ。A評価じゃ不満か?」
「不満ですよ。洋服も下着もダメにしたし、結局『血の洗礼』を受けたのは私だけじゃないですか。」
「仕方がねえじゃないか。どいつもこいつも腰抜けばかりで、ちょっとでも洗礼を受ければB評価だってのによ。」
「それじゃあ、皆C評価なんですか?」
「イヤ。お漏らしをした男はD評価だ。認天堂の『血の洗礼』は有名だからよ。この課外授業の評価は絶対、就職するときに聞かれるんだ。あの男、どこの病院にも就職出来ねえな。他のヤツらも有名病院は軒並み落とされるぞ。洋服は悪かったよ、それに下着も・・・。」
漏らした男が居たらしい。就職どころか大学内で噂になって居づらくなりそう。
「あのとき、センセーガン見していたでしょ。」
この男の視線に合わせて血を掛けられたようである。『男の性』とはいえ凄いコントロールだよね。
「ハハ。バレたか。タダ見は良くねえよな。詫びに買ってやるよ。」




