第1話 別れ話を切り出したのは誰だ
私は彼と付き合うまで知らなかったが彼の母親は、有名な女優さんだ。
『一条ゆり』
清純系の女優として、私の父親の世代やその上の世代にイチユリストと呼ばれる熱烈なファンが存在する。彼女が主演した映画は出世作を含め、ほんの5作ほどなのだが、ビデオ、レーザーディスク、DVD、ブルーレイとメディア化されるたび、飛ぶように売れるらしい。
最近は某国営放送の大河ドラマや連続ドラマ小説の女優陣として重要な役どころを任されることが多く、その合間を縫って有名電機機器メーカーのCMや東京・大阪・名古屋といった劇場で舞台の主演女優を努めるなど、活躍の場は多いらしい。
そんな彼女が私のアパートに来た。机の上には、札束が積みあがっている。手切れ金らしい。
「貴女がどんな手を使ったか知らないけれど、あの子の派手な女性関係が鳴りを潜めてくれて助かったわ。お陰であの子の大河ドラマ出演が決まったの。今度の監督さんは厳しい人でねえ。新人俳優に彼女は必要無いという方なの。こう言えばわかるわよね。」
私は俯いたまま頷く。彼の出世の邪魔だから別れろ。と、いうわけだよね。
「いい子ねえ。そんなに素直だから、あの子が惹かれたのかしら。特別に、用意した手切れ金1500万円は全てあげる。だからキレイに別れて頂戴ね。」
今の彼女は清純とは程遠い悪女の顔をしている。これが女優として悪女を演じているのか、元来の気質によるものなのか私には区別がつかなかった。
「あの人と裕ちゃんの3人で親子の競演をするのが私の小さな夢なの。可愛いでしょ。」
『一条裕也』が彼の芸名である。
彼女はそう言いながら口元に手を添えて上品に笑う。
「えっ。」
おかしい、確か彼女の夫は早くに亡くなったある企業の御曹司だったはず。父親は別に存在して、彼女と同等もしくはそれ以上の有名な俳優みたいである。
「しまったわ。流石は医者を目指しているだけのことはあるというわけね。この私が口を滑らしてしまうなんて・・・。」
彼女は私の経歴を調べてきているらしい。
「もちろん、このお金には口止め料も含んでいてよ。・・・ん、なにかしら? もちろん、貴女のことは調べてあるわ。医者なんて堅い職業を選ぶのですもの。スキャンダルはご法度よね。」
優しい口調と柔らかな表情だったが、その表情とは合わない脅し文句を言う彼女。ただ私は、その美しくも表情豊かな顔に見とれ、何かに憑かれたかのように頷くしかできなかった。
*
彼が私と付き合っていたのは紛れも無い事実だが、彼が惹かれるような容姿でもなければ性格でもない。彼が私に惹かれたのは、きっと彼の欲望を全て満たしたからだろう。
あのとき、医者を目指したが医大ストレート合格を経済的な理由で挫折した私は、夢を叶えるために風俗以外の高額バイトに明け暮れていた。あの喫茶店も時給1500円という金額に引かれたからである。
よくあの修羅場を耐え切ったものだと思う。私は彼のジョークだと思い3万円という特別ボーナスのため、彼の盾になったのだ。まさか、彼が店長から私のアパートの部屋を聞きだして、バイトが終わる前に扉の前で待っているとは思わなかったのだけど・・・。
疲れきっていた私は部屋の前で押し問答する気にもなれず、部屋に入れてしまったのが運の付きだった。半ば強引に私と関係持った彼は、必然的に私のアパートで同棲することとなった。
あとで個人情報をバラした店長からガッポリと賠償金を奪い取ったが、逆に『頑張れ』と励まされてしまった。どうやら同棲することになったことまで知っているらしい。悔しい。
あの異常な出会いを体験した私は、彼との同棲の条件を盾に、医者の卵として彼を被験者とするカウンセリングを行った。それによると、あの多くの女性たちの存在は全て欲望を処理するためだったのである。
普通、恋人同士であっても毎日彼の欲望を満たすことなんてできない。その容姿から簡単に恋人ができるが、その欲求が強く多いことから、欲望の処理目当てだとバレてしまい、すぐに振られてしまう。そのため、平行して付き合うことで1日1回は欲望を満たすことに成功していたのだという。
今の世の中、風俗というものが存在するのだから、それを利用すればいいと思うのだけど、それを彼の母親が許さなかったのだという。男性の欲望について理解が無かったのか。それとも彼の強い欲望に気付いていなかったのか。
だからデート費用として母親から多くの小遣いを貰い、一般女性たちと付き合っていたのだということだった。
医者の卵として予備知識があった私と違い、母親とはいえ普通の女性にどんな手段であっても解消しないと溜め込みすぎて精神的な病気になってしまうという『男性の欲望』について理解しろというのは間違いなのかもしれない。
『』で括られた名前は芸名です。
本名と区別するためにそうしてあります。
見づらいかもしれませんがご了承ください。