プロローグ
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「『泊めて頂けませんか?』」
これは『一条ゆり』の映画5作目『花の香り匂い立つ』での名セリフだ。彼女は、惜しまれつつもこの作品で芸能界を引退して、某財閥の御曹司と結婚した。
ここはバイト先の喫茶店の店長である井筒和重のマンションの部屋の前である。
「・・・お前。・・・なんでここに。」
私は彼がドアを開けた瞬間に近寄り、今のセリフを言ってみた。映画の中のシーンもこんなシチュエーションだったはずよね。
彼は顔を真っ赤にしながらも声を絞り出すが、頭が真っ白のようで私が更に近付いても微動だにしない。
「ん・・ぅ・・ふ・・・ちゅ・・。」
私が彼の首に巻きつき強引に彼の唇を奪うと私を抱き締める力が強くなる。彼も無意識に映画のシーンをなぞっているらしい。
そのまま、私は彼を部屋に連れ込むとベッドに押し倒した。
*
「やっぱり、和重さんはイチユリストなんですね。『一条ゆり』の何処がいいんですか?」
彼女のファンクラブの会長である南天医大の学長にも、彼が好きだと言う映画の中のワンシーンを彼女ソックリの笑顔で演じてみたところ、彼と同じように真っ赤になって硬直してしまったのである。
「彼女を悪く言うなよ。」
「別に悪く言ってませんよ。確かに女優としての才能は凄いのでしょうね。」
「お前の話の節々からそう聞こえるんだ。まあ、裕也と強引に別れさせられたお前の立場から言えば仕方が無いのかもしれないが・・・。」
「結果から見れば恨むどころか感謝してますよ。女優業は余分でしたが・・・。」
「なんでそこまで、この職業を嫌がるかな。」
「それは・・・父が俳優だからですね。」
どうしてもあの男のことを喋ろうとすると口が歪んでしまう。
「・・・・・成功した途端、お前の母親を捨てたという?」
「そうです。あの男が母に、別れを切り出す瞬間まで私は幸せな家庭で育っていると思っていたんですよ。でも、それは全て演技だった。あの男の演技だったんです。この喪失感がわかりますか!!」
「・・・・・・・・・・それは、想像がつかないな。」
「・・・・・・。」
「・・・血か・・・血がなせる業なのか。だがさっきのセリフを聞いただけでも、お前には才能があると思うぞ。」
あんなの才能じゃないただのコピーだ。映画を見て寸分違いない表情を作り出し、『一条ゆり』本人からその時に何を思ったか、何を考えたかを聞き出して想像して作り上げた。単なるコピーなのに。
「それが嫌なんですよ。私は真摯に考え、真摯に行動しても、相手からみたら何処までが本当のことでどこまでが演技なんだろう。と思うじゃないですか。」
「じゃあ、なんで元俳優の俺なんかを選んだんだ。お前の周りには俳優じゃない男がごまんと寄ってきてるだろ。」
「私をこんなにした責任を取って貰おうと思って、それに貴方なら私の演技を見抜けるでしょ。」
私を裕也に売りつけたこと然り、私の演技を密告したことで女優『一条ゆり』に女優を強要されたこと然り、唯一の逃げ道だった彼の主治医遠藤先生がストーカーだと教えたこと然りだ。もう私には、この人格が最低のダメ男だが私の演技を全て見抜けるこの男しか残っていないのである。
「・・・それは・・卑怯だぞ。それに俺をあんなに動揺させておいて言うセリフがそれか。」
「ごくごく短時間でしたけどね。まさかベッドに押し倒した瞬間に冷めてしまうとは思わなかったです。」
「俺のマンションをどうやって突き止めた?」
「何を言っているの? 請求書の処理に困って私に経理までやらせておいて。」
「それは個人情報だぞ。」
「それを貴方が言いますか? 履歴書の住所を裕也に教えた貴方が・・・。」
「それに・・・裕也が戻ってきたら、どうする。アイツと女の取り合いなんて、嫌だぞ俺は。」
裕也が私を殺そうとしたことは知らないんだ。流石にこの人が『一条ゆり』のスパイだからと言ってそこまで教えていないか。
「そんなにも嫌ですか?」
そう言って、涙が零れそうになるのを必死に堪える。
「そんな・・・何があったんだ。お前がそんな表情をするなんて、いったい何が・・・。」
私は病院での経緯を全て喋った。
私が殺されかけ、『一条ゆり』が誓約書を書き、裕也が精神科病棟に入ったことまで話した。
重荷を肩代わりしてもらおうなんて、本当はしてはいけないことだと分かってる。だけどもう私ひとりでは、抱えていられなかったの。ゴメンね和重さん。
「俺の所為じゃないか。お前に高額バイトを探している理由を聞いたとき俺は、迷わず裕也に売ったんだ。このままでは遅かれ早かれ水商売に手を出すだろう。と思ってな。」
この人の露悪的に卑劣な画策の中で、唯一私のことだけ直接、手を下したことだったから、本気で嫌われているのか。と思ったときもあったけど、決して見捨てず相談相手になってくれたのは、そういうことだったんだ。