第10話 誰が彼の母親を泣かせたのか
「ほうこれはこれは。」
貫禄のある女性が部屋に入るなり、シゲシゲと鏡の中の私を嘗め回すような視線を向けてくる。
「これなら、使えるでしょ。」
「使えるなんてものじゃないわよ。これまで、『裕也』君のために準備してきた伝手を使わなくても十分スポンサーがつくわ。志保さんと言ったよね。映画に出てみない?」
「ちょっと待ってください。それでは話が違う・・・それに、こんな無表情な女優は使えないでしょう?」
「大丈夫よ。愛想笑いに何十通りものレパートリーがある貴女なら通用するはずよ。」
「っ・・・。」
喫茶店の店長から情報が流れているらしい。実は何度も愛想笑いがバレてしまったので、店長にバレないように何十通りもの愛想笑いを作っては試していたのだが、店長には何故か全て分かってしまうのだ。悔しい。
「それに、この『ゆり』のデビュー作、見て分かると思うけど凄く目立つ役柄の割りに出番が少ないの。全部あわせても5日で撮り終わっているのよ。それくらいなら、医大生の貴女でも時間は取れるでしょう?」
確かに何度も繰り返し見せられている部分は映画全体から長さからすると僅かである。
「この映画のリメイク版を撮影するというわけですか?」
「そうよ。『一条ゆり』の再来よ。もし当たらなくても、それだけ『一条ゆり』が凄かったということで、『ゆり』の仕事も増えるでしょう。」
ダシにされるのかも知れないが私は医者を本業にするつもりだから、女優に成れなかったとしてもヘコむ必要は無い。
「報酬はどれくらい頂けるのですか?」
5日間とはいえ、拘束されてさらに顔が露出してしまうのだ。多額な報酬を頂かない限り、割りに合わない。アメリカに居るあの男の目には届かないと思いたいが、伸吾さんには分かってしまうだろう。私が嫌いな女優をしているとあの男にバレたら・・・厄介なことだ。
「報酬? 映画が当たれば思いのままよ。今回はうちも出資するから興行収入の1パーセントがうちの事務所に入るからね。それに1本当たり出演料、何千万円というオファーがくるわよ。」
それでは、当たらなかったら無報酬同然ということだよね。話にならない。
「いいえ。映画に出演する報酬です。」
私はきっぱりと報酬を要求する。月に数回タレントをするだけという約束だったのだ。この場で帰っても文句は言われないはず。
「マネージャ、無理よ。この子に取って女優になれることは価値が無いことなのよ。私の取り分の半分を払ってあげて、無理言って出てもらうんだから。」
彼の母親が口を挟んでくる。マネージャと親しみを込めて呼んでいるということは、この女性が裕也が所属していた事務所の社長なんだよね。
「えっ。そうなの。へえ、珍しいわね。そんな子も居るんだ。当たっても当たらなくても、たかたが500万円よ。それでいいの? まあ平行してタレント活動をしてもらうことになると思うから、もう少し払えるけど。」
「もちろん、それで構いません。私はお手伝いだけですので、期待しないで頂けると助かります。」
かなり私が主演する映画の準備が進んでいるようである。ここまで準備しているということは拒否権は存在しないのだろう。拒否して今までのコネもご破算になるのでは大赤字もいいところだ。
「早速なんだけど、今夜バラエティー番組に出演してもらうわ。それだけ言ったんだから、覚悟をしてよ。今回は、『ゆり』と一緒に出演だけど、次もそうとは限らないからね。」
報酬を要求するからには、それだけの仕事をしろ。ということなのだろう。
私はそのまま帝都ホテル内にあるエステサロンに直行させられている。事前に予約してあったらしく、出演時間の3時間前まで、キッチリと身体を整えられていく。いったい、どこまで勝手に進行しているんだ。私が断るとは思わなかったのか?
*
「あのヤロー! 何が『応援するよ』だ。」
生番組の収録のあと、私が所属する芸能事務所に到着する。そういえば、契約書も交わしていないことに気付き、帰り道に立ち寄ったのだ。
ここで憤っているのは、事務所の社長だ。
『一条ゆり』がプロデュースを行うというのを聞きつけたあのバラエティー番組のプロデューサーが他のタレントを後回しにしてでも、急遽、生番組の収録を行ったのは『一条ゆり』を動揺させて、何かを口走らせ、上手くすれば破滅させて番組を面白くしようという意図があったらしい。
直接、裕也の名前は出なかったが、彼の欲望について指摘してきたのだ。だがその企みは、私自身が泥を被ることで事なきを得た。
彼の母親である女優『一条ゆり』はなんとか、その場を凌げたものの酷く気落ちした様子だった。ここに来る途中、事務所の社長が東都ホテルまで送っていったのだが、後部座席で私の胸に顔を埋めて泣いていた。涙で化粧が崩れ落ち、老婆のように見えたほどだった。