5.信用
「――!」
「それ」が何だか、いくら世間知らずでも瞬時に理解できた。
心臓がドクンと大きく跳ね、胸の奥から熱いものが全身をかけめぐった。
「――~~っ!!」
言葉にならない声を上げて、おもいきりアルドを突き飛ばす。
「な、何をするんですか!!」
唇にはまだ、さっきの感触が残っていた。
赤面しながら、口を手の甲でぬぐう。
「いってぇな。そりゃこっちのセリフだ」
「い、いきなり、キ、く……口づけされて、驚かないわけがないでしょう!」
「いきなりじゃなきゃいいんだな。よし、じゃあ今からキスするから準備しろ」
「違いますわ! そういうことではありません! わ、わたくしの承諾なしにこんなこと――」
「承諾したじゃねーか」
そんなことを言われ、ぽかんとする。
心当たりは、ない。
「……え?」
「何でもする覚悟があんだろ。『俺の女』になれっつったはずだ」
「お、俺の女って、まさか本当にそういう……」
「逆に、それ以外の意味があるのか聞きてーよ」
アルドはまた「ぎゃはは」と野卑に笑って、厚い上着を脱いだ。
隆起した肩の筋肉と、ひじから手首へ走る幾筋もの血管が、鍛えられた体を表していた。
「何に追われてるのか知らねーが、危険の多い旅路なんだろ。俺の女になるなら、首都まで守ってやるぜ」
喋りながら靴を脱ぎ、ベッドに上がる。
カチャカチャとベルトを外し、腰についていた大振りのナイフを鞘ごと枕元に投げた。
「な、なぜ脱ぐのです」
「娼婦のくせにカマトトぶってんじゃねーよ」
「だから違うと、何度言えば」
「じゃあ、それを証明してもらおうか」
ごろりとベッドに仰向けになると、隅から見下ろすメイリに言った。
「無理やりやるのは趣味じゃねえ。お前が上で好きに動け」
「う、動けって――」
「もちろん、服を脱いでな」
「……!」
ようやく意図をつかみ、メイリは奥歯をギリっと噛みしめた。
「さ、最っ低……!」
「ぎゃはは、その通りだ。よくわかってんじゃねーか」
「あなたのことを、買い被っていましたわ」
「バカヤロ、これでも色々と考えてんだよ」
「色事を考えてるだけのようですわ」
「ぎゃはは! うまいこと言ってんじゃねーよ」
アルドは笑い終えると、鋭い目つきで告げた。
「ある意味、お前を試してんだ。本当に何でもする覚悟があるのか。ともに首都へ向かえるほど信用に足るのか」
「……」
「別に俺としては、お前を奴隷に売るだけで終わらせてもいいんだぜ。選ぶのはお前だ」
「…………」
メイリは考えこむ。
こうしている間にも、刻一刻とイルヴァーツの状況は悪くなっているだろう。
急がねば、援軍を呼べたとしても反乱軍から城を奪還するのが難しくなる。
第三王女のメイリにでさえ、この追手の数だ。父や兄・姉の安否を思うと息が詰まる。
自分がやらなくては。
命を賭しても、という覚悟はあった。それが、こんな条件を突き付けられるなんて。
しかも、この要求をのんだとしても、アルドが約束を守る保障はない。
最悪な取引だ。
それでも、メイリはうなずくほかなかった。
「オーケー。んじゃよろしく頼むよ」
「……ひとつだけ、お願いがあります」
「ん?」
「……目を」
ふぅと、熱い息をひとつ吐く。
「目を、閉じていて頂けませんか」
「はっ。まあ、いいけど」
服を脱ぐ手がぶるぶると震える。
耳が熱い。心臓の音がうるさい。
(がまん。がまんですわ)
露出した体を腕で隠しながらアルドのほうに向きなおる。
アルドは仰向けで、眠りにつきそうなほど脱力した顔をしていた。
その枕元には――ナイフが、無造作に。
(……!)
迷った。
天使と悪魔が、交互にささやく。
(何を迷うことがあるのです? いまここでアルドを殺せば、あなたは逃げられます。どんなことをしてでも首都へ向かい、援軍を呼び、お父様を助けるのでしょう?)
(エイダンとショーンはどうするのです? 見捨てて行けと? それに、アルドはきちんと選ばせてくれました。選んだのは自分でしょう)
(そもそも盗賊と同等に取引をする必要なんてありますの? 状況を見れば彼らは紛れもなく、敵ですわ)
(しかし、彼らがいなければ追手に捕まり、全てを失っていました。わたくしの貞操ひとつ差し出すだけで事が済むなら、エイダンたちやアルドにとっても良いことでしょう)
(アルドが約束を守る保障はあるのですか? この男は信用に値するのですか?)
信用。
逡巡するなかで、はっとした。
アルドもその言葉を口にしていた。
自分の言葉を信じてもらえないからこそ、こんな状況になっているのだ。
いま、目の前の男は大の字に寝転がって目を閉じている。
枕元にナイフを転がしながら。
自分を信用してくれている、少なくとも「信用しようとしている」ことは間違いない。
見知らぬ仲、異なる立場なら疑心暗鬼になるのは当たり前だ。
信用してほしいなら、まず自分が相手を信じなくては。
アルドはきっと、約束を守ってくれる。
「……アルド」
「あ?」
「あなたを、信じます」
腹の上にまたがる。
手をそえると割れた腹筋の感触が心地よく、なでまわしたい衝動に駆られた。
「……どうすれば良いのか、わかりませんわ。教えてください」
「おう。それじゃまず――」
その先の言葉はなかった。
慌ただしい音を立てながら、ヤークが部屋に飛び込んできたのだ。
「き、きゃあああ!」
「ボ、ボス! 緊急ッス!」
アルドは殺気をふりまき、ヤークを睨みつけた。
「ヤーク……てめぇ、いまなぁ――」
「すんません! で、でも『それどころ』じゃないッス!」
ヤークは必死に弁明しながら、窓の外を指差した。
「アジトが、黒装束の大軍に囲まれてるッス!!」