2.盗賊
連邦領の北端、数々の異民族を従えるイルヴァーツ王国。
その領土は連邦の支配下にある国の中でも二番目に広大だが、城は中央の首都寄り――つまり南側に位置している。
城を抜け出してから最低限の休息だけで馬車を走らせると、次の日にはもうメイリたちは国境にさしかかっていた。
「すまんな、お前たち。国境を抜けたら、たんと休ませてやるからな」
エイダンと交代して手綱を持ったショーンは、二頭の馬をねぎらうように撫でる。
それを聞いていたメイリは、馬車の中でエイダンに話しかけた。
「……国境というのが、ひとつの関門なのですか? 首都までは、まだまだ距離がありますが」
「はい。わが連邦領内には、大小さまざまな自治区が存在します。大きなものは王国から、小さなものは伯爵領など」
「それぐらい、わたくしも知っていますわ」
「失礼しました。それで、国境についてですが……。各地区は独自に法をしき、軍隊を持っています。連邦という枠組みの中にあって、完全に独立した別国であるという実情です」
「はい」
「わがイルヴァーツで反乱が起きましたが、それは隣国に関係ない出来事です。もちろん中央から命令があれば軍を起こすでしょうが、自らに火の粉が降りかからない限り、無関心を貫きます」
メイリは大きく頷く。
「なるほど。あくまで問題を自国内に押しとどめるため、追手は国境を越えてはこないと」
「姫様は理解がお早いですね」
「世間知らずと言って下さった方が救われますわ」
「……ご自分を責めないでください。今は、私たちにできる最善のことをしましょう」
「はい」
* * *
「へっくしょん!」
国境の峠にある小高い岩山の上で、ボロを着たひとりの男がくしゃみをした。
「うー、さみぃ。交代はまだかよ」
そのとき男の耳に、わずかな地響きが届いた。
馬蹄の響きだ。
男は胸元から小さな望遠鏡を取り出して、音の方角をのぞく。
「……ボスに連絡だな」
何かを見つけた男は身軽に岩山を降り、国境を縄張りとする盗賊団のアジトへと入っていった。
部屋の中では賭博が行われており、下卑っぽい笑いと落胆の叫びで賑わっていた。
「ボス!」
「なんだヤーク」
輪の中央で裸に近い格好の美女を抱きながら、絵札をごっそり手にしている若い男が応じた。
「黒塗りの馬車が一台、こっちにやってくるッスよ」
「へえ。護衛は?」
「見あたらないッス」
「じゃあ、大した人物じゃねぇな。襲ってもうまくねぇが、まぁいいか。暇つぶしだ」
若い男が札を捨てて立ち上がると、周りの者も全員それにならった。
場の中で最年少にも見えるこの男が、盗賊団の首領、アルドだった。
アルドは不敵に笑い、手下に呼びかけた。
「野郎ども、遊びの時間だ」
* * *
「くそ、あと一歩のところで……!」
馬車を全速力で飛ばしながら、ショーンは悪態をついた。
人の足とは思えない速度で追ってくる黒い影。その数は十か、二十か。
疲れ切った馬ではとうてい振り切れないだろう。
「エイダン! 何か武器は?」
「私とショーンが帯剣しているものしか」
「なら、食料でも化粧道具でも構いません。窓から投げつけましょう」
「は……はい!」
「国境まであと少し。なんとか時間を稼げれば――きゃあ!」
ガクンと馬車が激しく揺れた。
追手が投げつけた武器が車輪に絡まったらしい。
止まった馬車の周りがすき間なく囲まれたとき、メイリは覚悟を決めた。
* * *
「おいなんだ、先客がいるじゃねーか」
アルドたちが武器を取って向かうと、馬車はちょうど黒装束の集団に襲われているところだった。
「見かけねえ奴らだな」
隣のヤークがそれに答える。
「異民族っぽいッスね」
「俺らの縄張りで獲物を横取りたぁ、いい度胸だ」
「やるんスか?」
「ライバルは皆殺しだ。獲物も刃向うようなら殺していい」
「了解ッス」
「おら行け! 馬は売るから傷つけんなよ!」
アルドの合図で、盗賊たちは一斉に駆けだした。
* * *
「うほおおおおおおい!」
「ひゃっはあああああ!」
唐突に、どこからか現れた奇天烈な集団が、奇声を上げて突撃してきた。
黒装束の追手よりもさらに多い数だ。
誰も状況を飲みこめないなか、新手の集団と黒装束たちの乱戦となる。
「邪魔をするな!」
剣戟の音が走る。
黒装束の追手は武器を振り回して追い返そうとするが、だんだんと数の波に飲まれていく。
「ほらほら後ろ後ろ!」
「グッ……!」
その集団の個々は決して剣の達人ではないが、数の利を活かして戦う方法を熟知していた。
ひとり、ひとりと確実に倒していく。
やがて、生きているのはその集団とメイリたちだけになった。
「た……助かったのでしょうか?」
「……いえ。身なりからして、彼らは――」
すべて片付いたあと、馬車の前にふんぞり返った若い男が出てきて叫んだ。
「オォイ! 責任者出てこぉい!」
「ボス、それ言いたいだけッスよね」
「責任者出せコラァ!」
外でわめきたてる盗賊たちを見て、エイダンは苦々しい表情で言った。
「……私が行きます。彼らは盗賊。追手を殲滅してくれたのは、縄張り意識からでしょう」
「そうなのですか……。でも、それは許しません」
「ひ、姫様!?」
「この場で一番強い権限を持っているのはわたくしです。盗賊とはいえ、助けられたのは事実。わたくしがお話します」
「お、お待ちくだ――」
エイダンの制止を振り払い、戸を開けた。
傾いた馬車から、悠然と地面に降り立つ。
盗賊の首領を真っ直ぐに見据え、胸に手を当てて名乗った。
「わたくしがこの場の責任者。イルヴァーツ国主ヘルンが三女、メイリ・ヘルンですわ」